Ikumi Shiba

1995年東京生まれ。取材・文筆・編集。

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  • 本と映画の随想録

    本・映画の思索、個人的な視点から

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私が星の旅人だった頃

発熱で丸2日寝込んだ。 しかし寝返りを打てないほどに痛む身体より、放り投げてきた山のようなタスクを思い出すことの方が苦しかった。 徐々に引いていく熱に代わって、もう出社したくない...という思いがどんどん自分を蝕む。 「会社に行きたくない、月曜日までにどうにかして地球が滅亡しますように」と心から祈った。 人生の大半を費やす仕事に全力であることは「善く生きること」だとされている。もはや「人生≒仕事」であるという思想を目にしない日などなく、自己啓発本、電車の吊り広告、SNSや動

    • メタモルフォーゼの記憶

      ランドセルを背負った4、5人の男の子が、歩道いっぱいに広がりながら歩いてきた。誰ひとりとして前方の私には気がついていない。 大きく迂回するようにして彼らを避けたすれ違いざま、1人が「蝶をさなぎから羽化させたことがある」というエピソードを自慢げに話していたのが聞こえた。 蝶のさなぎの中は液体で満たされている。さなぎになるとからだがほとんど溶けてしまって、あおむしの原形はなくなってしまうらしい。 さなぎの中で一度液体になった幼いからだは、時間をかけて成虫へと変態する。 さなぎ

      • 古事記の神様たち

         出雲大社に行くことになったので、古事記と万葉集を読んでみた。出雲と聞いて思い浮かんだのが須佐之男命(スサノオノミコト)と柿本人麻呂だったからだ。  古事記は、神代から推古天皇の時代までを記した、現存する日本最古の歴史書である。序文と上・中・下の3巻で構成されており、特に神代の神話が描かれた上巻は、天照大御神や因幡の白うさぎなど聞いたことのある名や伝説がそこかしこに登場する。  日本の神様たちは多様で、良くも悪くも人間らしい。優しい神様もいるけれど、怒り、恨み、時に狡猾で

        • 60年の距離

          父方のおばあちゃんは、ぽつりぽつりと自分の人生を語ることがある。 その激動の人生について、ここに残したい。 1937年、私のおばあちゃんは現在の東京都中野区あたりで生まれた。 おばあちゃんの親子関係は複雑だ。 生後8か月頃に「奔放な母親が捨てた」らしく、千葉の田舎に養子として引き取られた。 5歳になったとき、これまで「お父ちゃん、お母ちゃん」と呼んでいた人たちが実の両親ではないことを知る。 ある日突然 "父母" と引き離され、祖父母と、近所に住んでいた「お店のおじちゃん

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        私が星の旅人だった頃

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        記事

          父は小さなボルボに乗って

          8月15日、お盆の終わり。 実家に帰ると、カウンターにグレーのミニカーが置いてあった。 「どうしたの、これ」 私が聞くと、キッチンから母がひょっこり顔を出す。 「お盆の送り火、お父さんをこれに乗せてあげようと思って」 ー 父は6月7日に死んだ。 葬儀がひと段落したあと、写真やデータなどの遺品整理をしていると、父のiPhoneのメモ帳から「宝くじの使い道」というページが見つかった。 行きたい建築や温泉、観光地など、細々した願い事がその下に続く。 大金が当たってもその半

          父は小さなボルボに乗って

          浅草に暮らす

           私は物心がついたときから浅草が好きだった。  幼い頃は、浅草に母方の祖父母が住んでいた。遊びに行く度、祖父が「散歩に行こう」と浅草寺に連れて行ってくれた。本堂の前にある常香炉まで行くと、必ず煙を頭や顔に擦り付け、「顔が良い美しい子なりますように、頭が良くなりますように、心が綺麗な子になりますようにねぇ」と願掛けをされた(効果があったかはさておき)。お参りをした後は仲見世を戻り、祖母の好物だった舟和の芋羊羹や亀十のどらやきなんかを買って帰った。  春には隅田川沿いが白くこ

          浅草に暮らす

          蝶の夢を見なかった潜水服は

          父が以前の父でなくなってから、もう3ヶ月が経とうとしている。 季節がひとつ巡ってしまった。わたしの父は今年咲いた桜を知らない。 寒かった冬もいよいよ終わりかけていた2月、実家で熱を出して寝込んでいた父と会話がかみ合わなくなったと、母が救急車を呼んだらしい。搬送当日までは、名前を答えたり自分で病院食を食べたりしていたそうだ。重度のヘルペス脳炎と診断が下されたのは、すでに父の意識と言葉が失われたあとだった。 目を開けることもしない、身体も動かない、声をかけると時折唸るだけの父

          蝶の夢を見なかった潜水服は