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父は小さなボルボに乗って

8月15日、お盆の終わり。
実家に帰ると、カウンターにグレーのミニカーが置いてあった。
「どうしたの、これ」
私が聞くと、キッチンから母がひょっこり顔を出す。
「お盆の送り火、お父さんをこれに乗せてあげようと思って」


父は6月7日に死んだ。

葬儀がひと段落したあと、写真やデータなどの遺品整理をしていると、父のiPhoneのメモ帳から「宝くじの使い道」というページが見つかった。

宝くじの使い道(3億円当たったら)
・1億5000万円 ユニセフに寄付
・5000万円 妻(:私の母のこと)
・5000万円 母親(:私の祖母のこと)
・貯金
・500万円ずつ 子供2人(:私たち姉弟のこと)
・家のローン返す
・ボルボ買う
・伊勢神宮にお礼参り 
 ...

行きたい建築や温泉、観光地など、細々した願い事がその下に続く。

大金が当たってもその半分は寄付に回す人の良さ。伊勢神宮にお礼参りする律儀なところ。とても父らしかった。

私の大学1回生が終わる頃、父は宝くじで100万円を当てたことがある。そのときも彼は私たち家族を引き連れて、伊勢神宮へお礼参りに行った。
残念ながら、大金はまるっと私の学費に消えた。宝くじの当選金でギリギリ学費を凌ぐなんて、都合のいいギャグ漫画みたいな展開だと思った。
「大金を手にしたら、半分は恵まれない子どもたちにあげなきゃいけないんだよ。俺たちは日本に生まれて運がいいだけなんだから...」と父は非常に残念がっていた。その姿をみて、せっかくの大金がこんな娘の学費に消えてしまってごめんねと、なんだか私も申し訳なくなった。

お人好し故、父は損したり苦労したりすることも多かったし、家族みんなが大変な状況になったこともある。
けれども父は一度も愚痴や弱音を吐くことはなかった。口下手だったのもあるが、気弱で優しい性質だったから、我慢することも多かったように思う。
彼は世界のしわ寄せを食らっていたんじゃないか。
みんなが少しずつ他人を思いやることができれば、彼はもう少し苦労せずに済んだんじゃないか。
そんな思いが頭をかすめる。馬鹿げた考えだということは、十分わかっているのだけれど。

そんなわけで自分を後回しにし続けた父は、最期まで夢に見たボルボを手にすることなく向こうの世界に旅立った。
メモを見て哀れに思った母が、あの世とこの世の行き来くらいは憧れの車でできるといいね、とミニカーを注文した。
本当はお盆の後に発送される予定だったけれど、事情を聞いたミニカー専門店のオーナーは注文の翌日に届けてくれたらしい。粋な人もいるのねぇ、と母は嬉しそうだった。


玄関のポーチで、きゅうりとなすの精霊馬を盆飾りと共にテラコッタの皿に載せ、火をつけた。その隣には小さなボルボが停まっている。
精霊馬とは本来、早く来てもらうための速い馬、ゆっくり帰ってもらうための遅い牛、という意味を持つ。ちゃんと送り火はするのに、その横に車を並べてしまう母のちぐはぐさが可笑しかった。

テラコッタ皿から天に向かって煙が登る。
せっかくいい車を買ってあげたんだから、いつでもかっ飛ばして帰ってきてくれて構わない。心霊写真とかは嫌だけどね。

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