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「いいこ」の呪縛

「本当にかわいいしいい子だよねぇ〜」

大好きなお料理教室に行ったら、高確率でお世話になってる先生たちにこう言ってもらえる。
そう言ってもらえることは、とっても嬉しい。
だから素直に喜ぶし、先生に感謝も伝える。

けど最近、「いい子」で「なければならない」という呪縛も確かにあるような気がしている。
聞き分けがよくて、素直で、にこにこしていて。
職場でもそれは同じで、身内でない人と関わるときはそういう子で「なければならない」

でも、「いい子」と言われるたびに、胸が苦しくなる。泣きたくなる。息が詰まる思いがする。
私自身は「いい子」じゃない自分を知っているから。
本当はそんなに褒めてもらえるほど「いい子」じゃないのに、「いい子」の面だけを見せて「いい子」のフリをしているだけなのに。
その人を騙しているような気分になって、罪悪感が生まれる。

その反面、やっぱり「いい子」だと褒められることが嬉しくて、褒められたくて、「いい子」でい続けてししまう。
外で「いい子」でいる反動なのか、家では「いい子」じゃない自分が露呈する。
些細なことで両親に対していら立ってしまったり、突然泣き出したり。
パンパンに膨らませた風船が、ほんのひと突きで破裂してしまうような。そんな感じ。
家でそんな身勝手な振る舞いをするからこそ、両親にはわがままだ、頑固だと言われ、余計に感情を吐き出せないまま塞ぎ込む。

本当の気持ちは誰にも言えないまま抱えて塞いで、みんなに好かれていたくて、「いい子」の殻を被り続けてる。
万人に好かれるなんてことないのに、万人に好かれたくてあちこちに「いい子」の顔をする。
それが苦しさの根源なのに、やめられない。
両親に対して強く当たる自分も、恩を仇で返しているようで、親不孝者で。嫌気がさしてますます苦しくなる。

たまには「悪い子」になっても良くて、ずっと「いい子」で「なければならない」なんてことないのに、「いい子」じゃない自分を許せない。
「いい子」であることにしがみついて縛られている。

褒められることは嬉しいけれど、そこに必死にしがみついて縛られているのは苦しさの助長でしかない。

褒め言葉なのに言われれば言われるほど苦しくなる。
「いい子」は私を縛る呪いの言葉だ。

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