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世の中「数字」が全て

特にここ1年ほど、体重の数字に一喜一憂して振り回される生活を送っている。
たかが数字、その数字を背負っているわけでもないし、自分から言わなければそれが誰かに知られることもない。
そう理解はしていても、気にすることはやめられない。考えずにはいられない。

こんな「数字」に囚われた生活、辞めてしまいたい。
体重もカロリーも食べるものの質量も、何も気にせず暮らしたい。「数字」に振り回されたくない。
そう思ったけれど、よくよく考えてみれば、私たちの生活は数字無しには成り立たないということに気づいた。

例えば、お金。成績。時間。距離。気温。充電。容量。
辺りを見回せば、必ず「数字」が目に付いた。
それだけ私たちの生活は「数字」によって可視化され、評価されているということだ。
先に挙げたカロリーだってそうだ。
高ければ高いほど疎まれる。数字の小さいものが評価される。

今の私にとって、体重の数字の小ささが私を評価する基準になっている。だから余計に、体重の数字を手放せない。
数字は評価の基準で、目安で、体重計が小さな値を示すほど、私の評価は高いと思いこんでいるのかもしれない。数字が大きくなった私は評価されず、ただでさえ無い価値が更に無くなってしまうと思っているのかもしれない。

体重もカロリーも、数字ばかり気にしたくない。
とはいえ今生きている以上、数字無しに生活を送ることは出来ないわけで。

気にする必要のない「数字」から解放されるのは、一体いつになるのやら。

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