見出し画像

後悔とは、自分の部屋に生ゴミをぶちまけて嘆くこと

あ、写真は昔にりんご煮ようとして、水分足りなくて大失敗やらかしたやつです_(:3 」∠)_
まだこの小鍋つかってるよ!

それはさておき。

後悔ってのはもともとする意味がないので、しないほうがいいですよ、って話です。

その理由は簡単でして。

後悔で思い返すと、新鮮な気持ちで、自分を何度でもダメにできるからです。

そりゃ人間、嬉しくもないことを消化するのに時間かかるから、多少そういうのあるのは仕方ないですよ?

でも、何をしたところでされたところで、基本的にその時だけです。

同じことが、何度も何度も起こるわけではないんですな。
続けて継続的に行われたとしても、一回一回はすべて別です。
過去は変わらないし、それ以上に増えたりはしません。

ですが。

人は後悔をすることで、何度でも不幸を繰り返すことが出来ます。
インスタント不幸であり、セルフ虐待です。

でもですね。
嫌なことや不幸、良くないことって、そんなに繰り返して面白いものじゃないと思うんですよ。

だから、そういった不幸の価値を、ひたすら落としません?
そんなものに、ひたすら何度も思い返しては、人生で大事なことにしてしまって、自分の中で人生の重要な指針として価値上げるのやめません?
って話です。

そんな嫌な物事を後生大事に抱えて、自分のアイデンティティにしちゃうのは勿体ないのではないかなあと。

そんな話をしていこうかなと思います。


■後悔は、自分で生ゴミをぶちまける行為

まあ簡単に言えば。
後悔ってのは、自分の部屋に生ゴミをわざわざぶちまけておいて、こんなの辛いって嘆く行為です。

全く何の意味もないどころか、自分にも他人にも最悪です。
むしろマイナスしかありません。
何しろ、ゴミをぶちまけているのは自分なので。

少なくとも、そういうものだと知っておいて、後悔なんてしないようにしよう。
って考えるべきだと思います。

自分でゴミをぶちまけておいて、なんでもどうしてもありません。
ゴミをぶちまけたのは自分なので。

誰かに何をされても、どんなにうまくいかなくても、もう過ぎたことです。
何も変わらないし、確定した過去の話です。
過去は何があっても変わることもないし、タラレバなんて存在しません。

なので、思い返すことそのものには、何の意味もありません。

生ゴミをぶちまけるだけなので。
自分でぶちまけた生ゴミに良いも悪いもありませんから。
ただただ生ゴミが辛いだけです。

後悔は、自分が苦しみたいときに、わざわざ苦しむことができる以上の効果はない、と覚えておくと便利です。


ここから先は

3,932字

¥ 300

サポートいただけるとすげえ喜びます! 励みになりますので、もしなんか役に立ったとか気持ちが助かったとかありましたら、ぜひぜひよろしくですう!