不安な自己肯定感との付き合い方
えー、自己肯定関係の闇テキストだと思います。
闇を説明するお話なので、めちゃくちゃダメージ受ける人もいるんじゃないかと思いますが。
その上で読んでもらえると、とりあえず、知識として構造はわかるし、対処しやすくはなるんじゃないかなーとは思います。
幽霊と戦うみたいなものだし、それにはまず、正体を知るべきだと思うので。
では、前置き長くなりましたがどうぞ。
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◆世界は敵と味方に分かれてない
最近【友人なら全肯定の味方、味方してくれないなら敵】みたいな分類をしてしまう人が増えとるぽいのは気になります。
友人だから本音言ってくれる場合は数多いし、普通なら言わないとか言いにくいことでもわざわざ言ってくれる場合は多いので。
そんな説教じみたこと、通常しなくてもいいことだったりします。
だって、そんなのいざこざになりやすいのわかってるんですもん。
面倒だし、そんな嬉しいわけでもないし、どう考えたって聞く方を責める言葉だってわかってるのに、なんとかして助け舟を出してくれてるわけなんだけども。
でも、したくもないのに、友人という関係性を守るほうが大事だから。
やりたくもないのに、面倒でもやってくれているのですな。
当たり前なんだけど、別に他人の悩みを聞いたり、それに対して考えて返事するなんてのは、みんな面倒に決まってるので。
だって悩みの責任被せられたり逆恨みされるかもしれないのに、わかっててやるからね。
友人じゃなきゃそんな面倒なことしたくもないわけです。
そこを、敵味方を感情で二極化した分け方しちゃうと。
まともな対応してくれる友人を失って、刹那的に騒ぎたい感じの同調者だけ集まりやすいのって性質がああるんですよね_(:3」∠)_
もちろん、本当に大事なときには、誰も残りません。
なぜって、関係者全員が自分の意見に賛同してくれる、自分の感情に同調してくれるっていう「出来事」しか望んでいないので。
つまり、人の意見がどうこうじゃなくて「自分の感情に同調してくれるっていう個人的なイベント」が刹那的に欲しいだけであって。
誰かに手を貸したいとかそういうこともなく、溺れているので助けて欲しい人達が、藁を奪い合いながら同調してるっていう状態なので。
まあ、やばいっす。
何がやばいって、全員が個人の集まりであって、誰ともつながってないからです。
これ、自己肯定低いとやりやすいのだけどもね……。
◆自己肯定感の低さについて
あ、自己肯定が低いというのは、自分がわざわざ海に飛び込んで溺れる状態を指します。
飛び込んで溺れる代わりに「いくら濡れても苦しくない、大丈夫」と言って様々な困難を防御する無敵状態を維持しようとする心の動きです。
なるほど、たしかに一見、濡れていればこれ以上濡れることもないのだから問題はないんですけども。
でも、その代わりに海は寒いし冷たいし、一人ぼっちなのですな。
そして定期的に、自分が海の中にいるのかどうかを確認しなければならない必要が生じます。
溺れていないと濡れるのが怖いし、なにより、溺れていないと助けてもらえないと思っているからだったりします。
そもそも、溺れているかどうか、というのは、実際には仮定状態で。
仮想のバーチャル空間で溺れている、というのが正確なところになるのですな。
実際には自家製のVRヘッドセットをつけているだけの自分は、無意識にどこかでそれに気づいているのですが。
そんな溺れてる状態で嬉しいわけでもなければ、かといって、濡れる現実に戻るのも怖いっていう二律背反状態にあります。
なので。
実際には濡れていないことに気付くのも怖い。
泳げてしまっては助けてもらえない。
陸に上がって一度乾いてしまったら、きれいな服が濡れるのが怖くて耐えられない。
などと思っていることが多かったりします(無意識で)
そのため、定期的に溺れていることを確認する儀式を行い、溺れ状態を確認して再燃する自己への呪いともいうべきデバフが行われます。
そして自分が溺れている不安を確認すると、助けを求めて周囲にアプローチしていく。
周囲の人間が味方か、自分が愛されてるか確認したくて、さんざん迷惑や負担かけて試していくことになります。
同時に、なかなか助けてもらえない自分を嘆いて憐れむことにより、溺れているという自己証明を醸成することになります。
まさに、本人にとっては一挙両得の、二律背反に対する対処なんですが。
もちろん、現実的には、さんざん他人に迷惑かけては人が離れていくわけです。
少し離れた目線で見ると。
苦しいのはわかるんですけども、だからって
「自分の感情と自己欺瞞のために周囲を巻き込んで、あなたはわたしの理想を叶えるための人柱になってくれませんかね?」
って言われたら、周囲の人間はみんな困るわけなんですな。
そこまで行ってしまうと、友達という名のもとに「無償で、奴隷として働いてくれ」って意味なので。
まあ流石にそれはOKできないので、みんな距離を置くわけですが。
そのたびに、自分は何もしてないのに裏切られた、自分は悪くないのに人が離れていくってコンボになって、地獄ループすることになったりします。
助けてもらえるべきなのに誰も助けてくれない、自分は正しいのに!
って、地獄ループ突入です。
サークルクラッシャーなどもこの一種で。
この場合、自分は悪くないということを固定してしまい、自分にとって一切の不都合を無視する歪んだ基準を構成して生きてます。
不都合はすべて他人のせいであり、自分は一切なんの問題もないのだから、反省をする必要もなければ対応する必要も責任取る必要もなく、狩場を変えるだけ。
もちろん、誰も愛していないので、自分が愛されることはありません。
◆人間関係はギブアンドテイク
人間関係というのは基本的にギブアンドテイクです。
無償ってことはありません。
一見すると無償に見えても、何かしら、相手が何かを必要としているし、提供しあっていなければ成立しません。
友人というのはその中でも、割と頑張って相手からもアプローチしてくれる関係性になります。
ただ、相互関係である以上、もちろんこっちからもなんか提供できないといけないわけでして。
別になんか特別すごいことでもなくていいのですけども。
少なくとも、一緒にいて楽しいやつでいるくらいの必要性はあります。
なんであれ、そのなにか相手が思っていることの提供割合が、一線を割ったとき、関係は解消されます。
なので、愛されたいのであれば基本的に、普段から周囲への愛の投資が必要なんですけども。
愛されてないって思う人はとにかく
【愛を欲しいけども、自分は愛を投資しない傾向が高い】
です。
嫌われてるんだから自分はもらうべきで、あげる必要はないと、無限に搾取しようとするので、距離を置かれやすくなるわけですな。
まあ、そうなる原因として、自分を嫌っているってのが大きいのですけども。
◆自分を嫌っていると、世界が敵になる
困ったことに、自分を嫌いになると、世界を敵にしやすくなります。
クソ雑魚ナメクジな自分はなにもできない、と仮定することによって海水につかっているので。
「海水につかっているからどんなに水をかぶっても自分は大丈夫戦法」です。
ただし、コレには重大な欠点があって。
海につかってるのでいつまでも冷たいし、吹きさらしなので休まるところがありませんし、なんなら常に溺れているまであります。
でも世間のみんなは陸にいるので、常に見上げているとかいう感覚です。
つまり、自分が間違ってる以上、他人のが正しいので、みんな怖いってなったりするんですな。
そもそも自分が信用できない以上、自分の判断の良し悪しもへったくれもないので、他人様の意見に従うしかなくなったりするんですけども。
そんな世間に同調合意すると、今度は自分が無くなって潰される気がするので、やっぱり敵になったりするんですな。
何も出来ないとみなされたくもないし、ただ従うのも自分の存在がなくなる気がする。
そして何か頼りに行く、もしくは手順がわからないほど複雑なもので一発逆転を狙っては、またダメだと嘆く日々の繰り返しになりやすいです。
まあ感情主体で生きてると「なんで自分の感情の味方してくれないの?」「くそ自分なんかより周囲が正しいさびしいツライ」ってなりやすいんですけども。
だからって、事実が変わるわけでも道理が曲がるわけでもないし、世の中は個人のためには動いてくれないので。
自分を愛する責任は自分が担保するしかないって事情があります。
だって自己承認欲求ですから、他人がしてくれるものではありません。
他人ができるのはその手伝いだけなので。
どう感情的になったところで 「なんで私に世界が従って思い通りにならないのか、世界は私の自由のために、奴隷のように私のために理想的になってくれるべきなのに、みんな裏切る!」 って言われてもどうにもなりません。
それで友人ができない愛されてないって言われても、どうしようもないのですな。
順番としては自分を許して、周囲を許していくしか無いんだけども。
そこで、自分をクソで最低って思ってると「自分より正しい周囲は、私を保護してくれるべき」ってなりやすく、そこで自分に対する愛情を放棄しちゃったりすることが多いんですな。
で、感情がささくれるたび、周囲に助けを求めて同調してくれるかどうか試したがるのだけども。
そこまで行くと介護になってしまうので、それは無理なんですよな。
流石に自分を愛するかどうかは自分次第なので。
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事情説明はココまで。
とりあえずですけども、即実行しやすい解答編だけは有料にしときますです。
お小遣い欲しいので! やきにく!
あと、この辺も参考になるかもなので置いときます。
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