見出し画像

地方進学校の闇〜私が絶望した超絶閉鎖的な内実〜

本当に出すべきかどうか、正直迷いました。

でも、何もしなければ何も変わらないから。

知ってほしい、考えるきっかけにしてほしい
という願いを込めて書きました。

届きますように。



全ての始まり


高校2年生の夏頃。

クラスメイトが私の真似をしたり、私のことを
話題に挙げたりすることが一気に増えました。

クラス内で影響力を持った一人の男子生徒が、
私の真似をし始めたからです。


私は話し方や声の出し方が特徴的なようで、
昔から真似をされることが、よくありました。

そのこと自体は「私と仲良くしたい」という
空気が感じられる限り嫌じゃなかったし、
私自身楽しむこともありました。


しかし、そのとき始まった私を弾いて
離れた場所で笑う形のムーブメントに対しては
嫌だと感じました。

「受容の笑い」と「拒絶の笑い」って表現で
伝わるでしょうか。

尊重されていないことを、明確に感じたのです。


そこで私は、それらの行動の中心となっている
男子生徒に放課後「やめてほしい」と
直接伝えました。

すると、その場では話を聞いてくれたのですが
次の日クラスメイトへ伝えるときに
仲間の手前もあってか笑い話にしたんですよね。


そのときクラスの中で

「そういう扱いをしていいんだ」

という共通認識が広がったのか、
今までは関わってこなかった人も
加わるようになりました。


そして同時に、私は「言っても無駄なんだ」と
思うようになりました。




小さな嫌がらせが続く日々


それから1年、私は先程挙げたような

「ものすごく悪いことではないものの、
 される側は気持ちのよくないこと」

を同じ高校の人からされる日々が続きました。


机の中に「好きです」「ファンです」
「これからも応援しています」等の言葉が
書かれた名無しの手紙が入っていて、
それを私が見つけたときにクスクス笑う。


表彰伝達式で毎回、私の番が回ってくる直前に
「来たで」「次やで次やで」と小声で言うのが
聞こえてくる。

(私は放送部に所属していたのですが、我が校の
放送部は校内で強い部活だったので、他の部の
生徒よりも表彰される回数が多くありました。)



受験生だったので教室で勉強していると、
他クラスの生徒がドアの外から覗いて

「あの単語の勉強法何?
 なんかめっちゃ書いてるやん」

「美学なんちゃう、知らんけど笑」

離れたところで私の勉強法に
延々と口出しをされる。

睨んでみても「えっ、どうしたん笑」と、
とぼけられたり笑われたりするだけ。


友人に相談すると

「気にしない方がいいよ」
「(メモに対して)気持ち悪いし捨てておき」

と言ってくれることが多く、
また私もそれが最善だと考え、
無視を続けました。

「反応しなければ、いつか飽きてやめるはず」

そう信じて過ごし、
気づけば一年が経っていました。




私、何か悪いことした?


夏に部活を引退し、
本格的に受験へ向かい始めた2学期のある日。

「あっ、しゃいんや」

廊下ですれ違った生徒集団の中の一人が、
小さく言葉をこぼしました。

しゃいん、それは私がツイッターや
今書いているnote等、
インターネット上で使用している名前です。


いつもは何を言われても反応しない私ですが、
今回のは聞き慣れないこともあって、
思わず足を止めました。

廊下に笑い声が広がります。

「何で、この人たちが知っているの」

不思議だった、というのが一番最初の感想です。

後から考えれば、私は部活の友人に自分の
アカウントを教えていたので、フォロー欄から
誰かが気づいて、広げたのだろうと思います。



その日から生徒達は、ことあるごとに
「しゃいん」という言葉を使ってきました。

食堂で昼食を摂っているとき。

廊下を歩いているとき。

移動教室での授業が始まる直前。

「しゃいーん、ぱわわっぷ」

だったかな、しゃいんを文字って
笑っていることもありました。



アカウント自体を知られるのは構いません。

ただ、それを私を輪から外した状態で、
かつ聞こえるように繰り返し変な形で
使われるのは、いい思いをしませんでした。


本名でも一緒ですよね。

例えば「あんなちゃん」って
女の子がいるとして。

「あんなー」って、普通に名前を呼ばれるのは
全く問題ない。

ただ不自然な程たくさん呼ばれたり、
嫌な変形をされたりすれば
不快に感じて当然ではないでしょうか。

誇りに思っているかは関係なく、
いやむしろ誇りに思っているからこそ
心に引っかかると思います。



そして、以前からあった問題は
変わらず続いていました。

ホームルームで発表したときの妙な響めき。

隣の生徒に耳打ちされ、私を横目に見ながら

「ちょっと、そういうのあかんって笑」

と、おどけて返す生徒。

机に入れられた、
からかうような言葉が並ぶメモ帳。


家へ帰るとき自転車に乗っていると、後ろから
追いかけられ「何ストーカーしてんのー笑」
と周りの人が囃し立てることもありました。

変わらず無視し続けているのに、止まらない。


「なんで。私、何か悪いことした?」


そんな言葉が、何度も心を駆け巡りました。


また、SNS上でも似たようなことが
起こりました。

顔が見えない分、こちらの方が
過激な言葉が多かったように思います。

質問箱(匿名で質問をしたり、
受け取ったりできるサービス)に
「落ちればいいのに」と投げ込まれる。


私が投稿した

「単語を頑張って覚えているが、
なかなか覚えられない」

といったツイートに対して、

「みんなは夏頃に覚えているよ♡
 しゃいんちゃんは
 大器晩成型なのかな?♡♡w」

のような煽りを含む引用リツイートをされる。

そのツイートをいいねした人を表示すると、
10人以上の同級生が並んでいる。


この頃には11月後半になっていました。

もうすぐ卒業するから、もう終わるから、と
自分に言い聞かせながらも、
変わらず疑問に思っていました。


「私、何か嫌なことした?」


昼休み、私は進路指導で呼び出しを受けたあと
(公募推薦入試を直前に控えていました)、
廊下で担任の先生から声をかけられました。

「最近、何かあったん?」

そのとき、不覚にも涙が溢れました。

気にしても無駄、気にしたら負け。
何度も自分に言い聞かせて、
心を無にしたつもりだった。

だけど私は、
ちゃんと傷ついていたのだなと感じました。



担任の先生は私を連れて面談室に移動し、
そこで今まであったことを
聴いてくださりました。

その後「この話、他の先生に話しても大丈夫?」
と確認してくださり、「はい」と答えると
他の先生を呼んでくださいました。


こういった問題を担当されている先生方は、
次の授業を自習または他の先生にお任せして
来てくださったようでした。

そのことに罪悪感を感じながらも、
「やっと一人で抱えずに済む」と思うと、
肩の荷が下りたように思いました。





終わることのない問題


それから私の件は「いじめ対策委員会」によって
話が進められるようになりました。

毎日、朝・昼休みに面談室へ行き、

「何月何日何時限目の何時何分頃に
 誰から何を何回されたか」

を一つひとつ訊かれる。

その作業は、思い出すのもつらい人にとっては、
かなり苦しいものだと思います。

私は、ここに書ける程度の精神力を
持ち合わせていたので何とか大丈夫でしたが。


同時進行で、この件に関わっていた主要人物は
放課後、順番に呼び出され、
私と同じように聞き取りを受けました。

今までの嫌がらせはピタリと止み、
平穏な毎日が始まりました。


先生方のおかげで以前のようなことは
全くされなくなりました。

うやむやにされかねない問題で、ここまで
私のことを考えて対応していただけたことに
対し、私は心から感謝していました。



ただ一つだけ気になったのは、
一部の先生・生徒から

「目立つことをするから悪い」
「ツイッターなんかしなければよかったのに」

といった意味のお言葉をいただいたことです。


先程から申し上げている通り、
これらはツイッターを始める前から
存在していた問題です。

ツイッターによって膨らんだ部分はあれど、
ツイッターを始めたことで上記のことが
起こったとは考えにくいと思います。


また仮にそうだとしても、
ツイッターを使用することは、
そんなにいけないことでしょうか。

他人から何を言われても、文句を言わず
甘んじて受け入れなければ
ならないようなことでしょうか。



確かに、私は表現の仕事を志しているので、
ツイッターを通し文章を書いたり、朗読したり
人と違うことをしていたと思います。


しかし、それは嫌がらせと向き合うことを
強いられるほど極悪な行為でしょうか。


私はそうは思いませんでした。

私は拙い部分こそあれど人を欺くことなく、
誠実に取り組んできたつもりです。

他人から馬鹿にされたり、
嫌がらせを受けたりするに
相応しいことをした覚えはありません。


目立つことをする人間は、
叩かれても「仕方ない」のでしょうか。

気づかないフリをして、
無言を貫くしかないのでしょうか。


もちろん、私にだって今思えば
改善できる点がいくつもありました。

それは、私がこれからの人生で
活かしていきます。


また先生方に助けていただいたおかげで、
私はこの問題以前の学校生活に近い状態で
毎日を過ごせるようになりました。

それに関して、私は本当に感謝しています。


しかし、もし目立つことをした人間には
何を言ってもいい、という風潮が
あるのだとしたら。

それは少し怖いなと思いました。


そして、この考え方が当たり前に
まかり通る限り、この問題が本当の意味で
終わることはないだろうなと感じました。




この文章を書いた理由


私のいた高校は、一般的に見て
「いい高校」だと思います。


地域でも比較的勉強のできる人が集まる、
いわゆる進学校と呼ばれる高校。

全国大会・近畿大会で活躍するほど、
優れた結果を残す部活動が多い高校。

校則を破るような人はほぼおらず、
風紀的に問題のない高校。



また、こんなことを書いたけれど、
私自身も自然いっぱいで朗らかな
母校が大好きです。

そして、そこにいる個人個人が大好きです。


3年間仲良くしてもらった友人もいるし、
同じ部の先輩・後輩・同級生には
本当に助けられました。

親身になって、相談に乗ってくださる先生方も
いらっしゃっしゃいました。

今回の件に深く関係していた
生徒についても、そうです。


成績優秀、生徒会や運動部で活躍する
クラスの中心人物。

私も過去には、個人的に委員会等の学校生活で
助けてもらったことだってあります。

悪い人ではないんです。

元々関わりのなかった人はわかりませんが、
私と元から関わりのあった人に関しては全員、
本当にいい人でした。




しかし、私はこの件によって正直

「もう、あの日々には戻りたくないな…」


と苦々しく振り返るようになりました。

敬愛する先生方も、大人になっても
ずっと仲良くしたい友人もいるけれど。

大切な思い出もいっぱいあるけれど。

別れるのが本当につらく悲しいくらい、
大好きな人たちにも恵まれたけれど。

それでも、正直、
卒業してホッとした自分がいました。

やっと解放されるんだ、と。


いい思い出もたくさんあったけれど、
わかっているけれど


それでも、あの日々には絶対戻りたくない。



では、何故こんなことが起きたのでしょうか。


私は、二つ大きな原因があると思いました。



一つは「環境の力」です。

田舎特有の濃い目の人間関係。

珍しいことをしている人が少ない。

どこにでも私みたいな人がいる状況であれば、
わざわざ私が注目を浴びたり
言及されたりすることもなかったでしょう。


二つ目は「知らなかったこと」です。

調査が行われた際、先生方の

「どうして、こんなことをしたんですか?」

という質問に対して「遊び半分だった」
と返す生徒が一番多かったそうです。

悪気なしに、ここまで人を苦しめることが
できるのかと思うと、ぞっとしました。

また私自身も、このようなことが起きるのを
思いつきもしませんでした。


想像力がなかった。これは私の反省点です。


もし、これ以前に今回のような出来事が
身近な場所で起きていたのなら。

私は今回の件が大きくなる前に
何らかの対策を打っていたと思います。




そして、この二つの原因を考える中で、
私は今回のことを書いて
残すべきだと感じました。

同じことを繰り返さないために。

それが、私の身にこのようなことが
起きた意味なのだと考えました。




誰もが楽しい毎日を過ごせるように


国語の時間に当てられて行なった朗読を
真似したり、私の授業中の発言を繰り返したり…

振り返ってみると今回の問題は、
ほんの些細なことから始まっていたんだなぁと
改めて思います。

また、その後も入試関連のコメントは悪質ですが
他は一つひとつの内容を単体で見ると、
明らかに悪いものは少ないと思います。


大したことのない行為でも長期的に大人数で
繰り返し行なえば、人に大きなダメージを与えることができる。

このことを、私は今回の出来事で知りました。


では、なぜ大勢が一人を叩く空気が
出来上がったのか。

そこには私のいた場所が目立つものを許さない
閉鎖的な空間だったことが、
大きく関係していると思います。


だから私は、まず知ってほしい。


そんなに繊細でなくても、状況によって
人は些細なことで傷つくということを。


悪いことをしたつもりがなくても、
思わぬ形で他人から傷つけられる
可能性があるということを。



する人もされる人も周りで見ている人も、
知って少し言動を変え、対策を打つことで、
結果が変わることはあると思います。

そして、この話を
考える材料にしていただきたい。



この文章は、私の視点で書いたものです。

今回の出来事に関わった方からすると、
一方的に悪者扱いされたように
感じてしまうかもしれない。

ただ私は今回お互いが
嫌な思いをしたということも、
よくよく感じています。

だからこそ、「しゃいんがこうすべきだった」
も含めて、誰がどうすればよかったのかを
一つひとつ考えたい。

そうすることで今後、今回のようなことが
起こるのを、ある程度防げると思うんです。



閉鎖的な場所で苦しむ人が、
少しでも解放されますように。

同じ思いをする人が、一人でも減りますように。

誰もが、楽しい毎日を過ごせますように。



この文章を読んでくださった方が、
この話をご自身の今後に
活かしてくだされば幸いです。

最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。


ーーーーーーーーー

※ご意見、ご連絡はXからお願いいたします。

しゃいん(hikarinooto3)


この記事が参加している募集

いつもサポート、ありがとうございます…! 励みになりますので、今後も記事が良かったら伝えてくださると嬉しいです🥰 いただいたサポートは書籍購入費、教材費等、記事のクオリティ向上のために大切に使わせていただきます🌱