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自分と他者を比べて病んでいる人に「本当にそうかな?」を投げかける

こんにちは。
しろかずお兄さんです。

今日は福祉お兄さんというよりも、悩み病める一人としてnoteを書きます。話が脱線しないで最後まで書けますように気をつけていきます。

書く話題はズバリ「劣等感と認知の歪み」です。

目次はこちら


劣等感に苛まれやすい人とは

さて、劣等感と大々的に書きました。マイナスのイメージがあってやだな~ と感じる人がいるかもしれません。しかし、劣等感を避けて強い自分を保ち続けることはなかなか難しいのでは?と考えてあえて筆をとります。

そもそも劣等感とは何か
考え方の1つとして心理学者アドラーの考えを引用します

『劣等コンプレックスとは、自己肯定感の不足や疑い、確信の持てなさ、そして自分が劣った人間であるという感情を意味します。』
        以下のリンク先「臨床心理学用語辞典」より引用


また、上記のウェブサイトでは劣等コンプレックスが生じやすい人についても触れられています。
その中で私はうつ病の発症歴のある人という記載に対して、確かになと実感を得られたのでした。

しろかずは福祉お兄さんでもありますが、抗うつ薬を飲んでいた経歴があります。むしろ「うつ」の経験があったから福祉をやってみようという経歴があったほどです。

そんな私だからこそ訴えたいのは、心の病は認知の歪みを引き起こしやすいということです。

こちらのリンク先「国立研究開発法人 認知行動療法センター」では認知行動療法について易しくまとめられています。
あえて、ざっくり書かれていることをまとめてみると

認知(ものごとの受け取り方・考え方) → (強い )ストレスの影響を受ける
                       ↓
悲観的(ネガティブ思考)になりがちに…できるはずのことも難しくなる(ストレスへの対応が難しくなる)
        ↓
 私は何もできない、うつだ →余計にできない →うつだ…のループへ
(このドツボにハマっている時はなかなか冷静に物事を認知するのが難しい)

この認知の歪みに対して、認知行動療法という大きな助けがあります

認知行動療法では、自動思考と呼ばれる、気持ちが大きく動揺したりつらくなったりした時に患者の頭に浮かんでいた考えに目を向けて、それがどの程度、現実と食い違っているかを検証し、思考のバランスをとっていきます。

私の話で恐縮なのですが、ここ数日心身共に不調でつらい思いをしたのですが認知行動療法は大きな助けとなりました。

専門職の技法とはかけ離れたものかもしれませんが一例として書いてみます。

__________________________________________

私はしろかず バーチャル福祉お兄さんを名乗っている
福祉を称しているが今は福祉サービスの受け手
サービスの受け手だからこそわかることを発信できれば少しでも社会に貢献できるはず!

…とはいえ、自分は何かを成しただろうか?
何か形に残るものがあるだろうか?
実はぼんやり甘い夢を見て逃げているだけではないだろうか

周りを見渡してみる
就職に向けて訓練に励む人、社会に出て自分なりの働き方を模索する人、自己表現を持って日々の活動を位置付けた人…周囲にはすごい人がいっぱいだ

…私は何者なんだ?
ただのろくでなしではないか
_________________________


などと考えては悶々としていたのですが「本当にそうかな?」と自分に投げかけて鏡を見たときに気持ちが楽になりました

自分の思考という主観的で誤解の多いものに対しては、客観的な事実がよく効きます

例えば、

「…とはいえ、自分は何かを成しただろうか?
何か形に残るものがあるだろうか?
実はぼんやり甘い夢を見て逃げているだけではないだろうか」

この件では今までしろかずが書いてきたnoteが成果物となるでしょうし、それでは満足がいかない!!というのであれば「現在の体調(コンディション)に対して目標が高すぎる(かけ離れている)」ことが言えるでしょう


周囲と比較してしまうことについては「あなたは あなたです むしろそれ以外にない」と補足したいですね

あなた≠周囲の人 であり、周囲の人だってあなたにはなれない

しろかずが周囲のすごい人にどれだけ憧れや羨ましさを持って、その人達の真似をしても「―をした しろかず」になると思います

だから、モノの見方を見直してみましょうよ



結び:認知の歪みと劣等感との付き合い方

長くなったのでまとめをすると
・困ったときほどモノの見方を変えてみよう

・そのためには誰かと話をしてみたり、書いた日記を見直してみたり、ドツボの自分から離れるきっかけがあると◎

といったところでしょうか

また、自分の中のモヤモヤをエネルギーに変えて向上心に変えるという手段もあります


アドラー心理学における劣等感の補償ですね(劣等感の補償については上記リンクを参照)

できないならできるようにする!
これもまた人間らしい心の動きだと思います。個人的には体調を崩さない程度にねと補足をしたくなりますが。

心のエネルギーは一種の燃料だと私は考えます。燃料ですからすぐ燃やしても良し、保存がきくから備蓄しても良し。
劣等感の塊であるしろかずは、燻る火種に少しずつ燃料を注ぎながら、いざという機会を窺っています。

以上で筆をおきたいと思います。

ちょっとお見苦しい記事になったかもしれませんが、そこは現時点での力量不足ですね。

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