見出し画像

弟のことを書く【第5回】スノコにキノコが生えた事件

昭和の風呂事情

昭和の後半になっても、我が家の風呂は石炭風呂だった。
親に見せられないテストはこっそりと風呂釜で燃やす、そんな時代のことだ。

江戸時代の話ではない。
生れた頃から高校生くらいまで、我が家の浴槽は杉のような木で作られたものだった。
もちろん檜風呂なんて洒落たものではない。
洗い場はコンクリート打ちっぱなしのため、やはり木製のスノコを置き、その上に風呂マットを敷いて入浴していたのだ。

石炭で沸かす風呂はよく温まるし、子供心にも気持ちがよかった記憶はある。
さすがに風呂釜は外ではなく浴室内にあった。
夕方になると、先に焚き付けに火を点けておく。
そのうち石炭が燃えてくるから、抹殺したいものがあれば一緒に入れたりする訳だ。

さて、Keiは風呂が大好きだった。
シャンプーで頭をモコモコにするのも好きだったし、体を流すときの音、浴槽から出るときの音など、水がたてる音も随分と気に入っていた。
風呂はどうやら、水遊びの延長でもあったようだ。
日中から一人浴室内で、砂遊び用のバケツに水を溜めたり、それを小さなビンに移し替えたり、楽しそうにジャージャーとやっていた。
蛇口からお湯が出る心配はないので、母にしてみれば手がかからなくて済む遊びの一つだったろうと思う。
その間に家事が捗ることを考えれば、水道代のことなど構っていられなかったのだ。

私としても、学校から帰って来てKeiが一人遊びしてくれていると、助かることのほうが多かった。
戸を開けて「ジャバー、いいねぇ。」などと声を掛け、そのまま自転車で夕飯のおつかいに向かった。

ある日、スノコにキノコが生える

ある年の夏も相当にハマり、Keiは毎日飽きることなく、浴室で水遊びを続けていた。

自室にいたそのとき、突如、浴室から母の悲鳴が聞こえた。
慌てて駆けつけると、立てかけたスノコの背面に目を奪われた。
裏返したスノコの中央に、シイタケのようなキノコが一本、にょきっと顔を出していたのである。
今度は、私が悲鳴をあげた。

スノコの裏にキノコが元気に生えている様は、なかなかシュールな光景で、正直、見ない方がよかったと思った。
種の繁栄のため?下向きであっても生えることを選択したキノコのたくましさには敬服もする。
驚きはしたものの、笑いながら手で引っこ抜いた母も、今では考えられないほどのたくましさを持っていたものだ。

大人になりスパーの楽しみを知った近頃のKeiは、浴室で水遊びをすることなどなくなった。
若かりし頃のたくましい母と、無邪気に遊ぶKeiの姿を懐かしく思い出す、夏の一件であった。

※Keiは自閉症で、重度の知的障がい者です。
障がい者向けのグループホームでお世話になっています。





この記事が参加している募集

夏の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?