日本社会におけるヒエラルキーやカースト

 世の中に、ヒエラルキーやカーストという言い方で言われる階級が存在するが、その階級というグループでは競い合うことも交じり合うこともない。

現代の日本社会における階級とは

 バブル頃までは、日本社会では貧富の差に開きがありました。
 家電や車などを持つこと、戸建ての家を持つことなどがステータスになっていた時代です。

 しかし、現代では均等に皆が家に住み、家電を持ち、スマホを一人1台持つ時代になっています。
 車に関しては、田舎であれば1家に1台必ずあります。

 ほぼほぼ、一般的な家庭には貧富の差はないと言っても間違いのない時代です。

 過去の時代のような、金銭的な階級は現代の日本社会には存在していません。

 現代の日本社会での階級とは、スクールカーストという言葉があるような、学力、スポーツ、音楽、カルチャー(文化)など、個人が興味のあることで階級が作られています。

現実で人を傷つけることが楽しい人間が、
階級を作って居るに過ぎない。

 スクールカースト(※階級)という言葉を思い返してみると、各々の記憶の中に人物が思い浮かんでいると思います。
 その人物は、コミュニティの中心的な人物であり、見下している相手を傷つけることに躊躇がないような人を思い浮かべるひとは多いのではないでしょうか。ジャイアンみたいな人です。

 日本社会における階級とは、ジャイアン1人によって生み出されます。

 その人物さえいなければ、特段グループ化されず、その時々で、それぞれが気の合う者同士で集まるような状態になっていることが想像できることがほとんだと思います。

 本来は、自分が興味のある分野で集まったグループに居るだけなのですが、そのグループにジャイアンが見下す対象に順位をつけているだけです。

人間は、所属している学校や会社などのコミュニティという組織の中で優劣をつけあっているだけ

 学校や会社などでは、狭い空間にあらゆる思考を持つ人間が詰め込まれているため、自分に居場所がないジャイアンは、そのコミュニティに対して不満を抱えます。

 だからこそ、自分に見合っていないコミュニティに所属していると不満が爆発し全方位型のブチ切れ人間が誕生する。

 その後は、争いを好まない上に、力がない者が自然と下位として扱われるようになります。

現代の日本社会のコミュニティ内に階級は存在しない

 社会的な金銭的な格差はありますが、コミュニティにおける階級格差は存在しません。

 勉強、運動、文化がバラバラに集まって作られているグループは比較することはできないので競うことはできません。

 競うことができないということは、実際は日本社会の階級に、優劣は存在していません。

 そして、階級が存在しないということは、1つのグループに所属する必要もないです。
 気の合わない人達とは無理して関わらなくて良いんです。

 よくある間違った考え方ですが、あるグループに所属していて、そのグループでトラブルが発生してそのグループに居づらくなったという人が居ますが、そのグループではなく人間関係の問題です。

 日本だけでも1億人は人間が居るので、その人間関係に固執することに意味がありません。

 なんとなくで使っている、ヒエラルキーやカーストという階級という言葉にとらわれて、人間としての評価だと思い込んでしまうことがないようにすることが、とても重要です。

 日本社会に階級は存在しないのです。

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