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【かえるのうた】白い月と夕焼け

母が、来ました。棲み慣れた土地を離れ、400km以上の距離を越えて・・・。無事着いてほっとしました。

一緒に「とても美しい夕焼け」を観ました。

これまで母とは、心が通じ合う感覚がありませんでした。しかし、昨日、なぜか分かり合えた感じがしました。それは、スーパーから外に出た時でした。

夕焼けが、視界に飛び込んできました。

私は「綺麗!」と思わず言いました。

すると、母も夕焼けを見て、綺麗だと言ったのです。

これまでなら、母は、まず夕焼けを見つけられないか、見つけても綺麗ではないと言っていました。

自分と他者は別々です。同じ意見にならなくても、悪く思わないのが人生を楽に生きるコツだという説もわからなくもありません。しかし、親となると、やはり、自分と同じになってほしいと思ってしまいます。

これは、自然なねがいのような気がします。

しかし、私は長らく諦めていました。

これまでの私なら、「綺麗!」と言わなかったでしょう。絶望していたからです。言っても傷つくだけだ、と。

昨日の夕焼けは、いわゆる、インスタ映えは全くしないようなものでした。彩度の低い、くすんだ、なんというか、きっと、旅行の雑誌などに載せるとしたら、絶対却下されそうな色でした。しかし、2つの口から「綺麗」が飛び出したのでした。優しめの色でした。

不思議な感じがしました。人生の流れが変わった感じが。

母は、ひとしきりその美しい夕焼けを眺めていました。飽きることなく眺めているように、私には思えました。もしかして、気をつかってそんなふりをしているのかなとも一瞬思いましたが、そんな芸当のできる母ではありません。おそらく、本心なのだと思います。

夕焼けはいよいよ元気を失い、私はだんだん見飽きてきましたが、母は綺麗だと言いながらじっとしていました。私は母がそこを去ろうとするまで社交辞令の相槌を打ちながら一緒に夕焼けを眺めていました。

そして、昨日は、もうひとつ、月も大丈夫だったのです。

夕焼けを見つけたころ、空には半月に近い月がありました。私は、不覚にも、それにも言及してしまいました。すると、なんと、母も月を認め、また綺麗だと言ったのです。私は傷つかずに済みました。

それは、見えるか見えないかくらいの薄い月でした。これまでの絶望していた私なら、何も言わなかったでしょう。

ひとしきり夕焼けを眺めた後、月も話題にしました。暗くなったためか、月は、発見当初よりずいぶんはっきりしていました。ぼーっと光って「とても綺麗」でした。「全ては幻影」と言いますが、普段、幻影を幻影と思えない私にとって、この月はとても幻想的でした。母と同じなのは、魔法のようでした。

ふたりでしきりに綺麗と言うので、月はちょっと照れくさそうでした。あるいは、微笑まし気にこちらを眺めていたのかもしれません。

ようやく、母と解り合えたような気がしました。何でも話せそうな気がしました。

帰宅して、魔法が解けました。

今は詳しく書けませんが、とにかく母との生活は、自分との闘いなのだと思いました。わかってほしい気持ちとどう付き合っていくかが課題です。

私は、母がぼけたと思えません。私が小さいころから受け答えがとんちんかんだからです。これが、父とうまくいかなかった原因だと思いますが・・・。私もまた、たくさん傷ついてきました。母に、期待しすぎていたのは、頭ではわかりますが・・・。そして、ずいぶん前から心を閉ざしてしまっていたのですが・・・。

もう、ぼけていると思ったらいいのかもしれません。冷蔵庫の開け方がわからなかったり、トングの開け方も、ドアの開け方もわからなかったりしても、わからないのが当たり前だと思ったらいいのかもしれません。毎回、優しく説明したらいいのかもしれません。何を言っても無駄だと思わなければいいのかもしれません。そう思っている時間に、何か言ってみたら、案外大丈夫になるのかもしません。心身ともに元気でいてくれるだけで有難いと思ったらいいのかもしれません。歩行がちょっぴり難しそう(昨日の観察によれば、階段の上り下りが大変そうでした)で、外出は一緒にしたほうが良さそうですが・・・。

こうして、母との暮らしが始まったのでした。

うまく書けませんが、ひとまず公開します。

そして、みんフォト!

昨日の美しい風景を描きました。実際は夕焼けと月は別の方角にありましたが、心の風景ということで同じ辺りに登場してもらいました。

塗り重ねていくうちに、私の好きな跡ではなくなってしまいました・・・。

色は、CUD推奨配色セットのうち7色使ってみました。

ありがとうございます。それでは、また。