ホームレス時代に、見知らぬ人が買ってくれたロードバイク

目にしみるほどの青空のせいで、まとわりつく高音多湿の空気のせいで、いやがうえにも思い出す。もう、一年になるのだ。


「ご飯おごるよ」「うちに泊まっても良いよ」

まったくもって喜ばしくないお声がけはいくらでももらった。

彼らはきっと、私が壮年の男性ならそのように誘いはしなかったであろう。つまり女の子とご飯に行きたかったり、部屋に呼びたかったりしたわけだ。それなのになぜ上から目線になるのか。軽く扱われるのはとっても悔しかったよ。


そんな誘いの中でありがたく受け取ったのは、例えば日持ちする食糧。例えば衣服。すなわち生きるために必要なものだった。高級レストランよりもスーパーに連れて行ってくれる人と会ってきた。そうやって必死で食いつないで、大勢の他人に生かされてきた。今も、そう。


忘れられないプレゼントがロードバイクである。


京都から着の身着のままで出てきた私の靴はもうボロボロになっていた。新しいスニーカーを買ってくださったその人は、自転車屋さんにも連れて行ってくれた。

私とそう年の変わらない、二十代前半の方だった。あの人のように、他人を助けられるほどの財力と良心を持ちたい。


そして、ひとこぎするだけでびゅんと進む、つやつやのロードバイクが私の仲間になった。


夏から秋にかけて大活躍したその乗り物を、やんごとなき事情によって放置する日がやってきた。

放置といっても路上ではない。都心のある一角に、他の自転車と並べていたそれを新天地に持って行けなかったのだ。


さて、長ったらしくも思い出話をつづったのはなぜか。

そのある一角に、行ってきたのだ。


きっと撤去されているだろう。季節が一周しそうなほど時間が経った。だけど、いつまでもうやむやなままにはしておきたくない。はっきりと、あのロードバイクを手放したことを痛感すべきだ。そう頰を叩いて、見てきた。


懐かしい道を歩き、角を曲がった。

瞳の表面がうっすらと濡れた。

まだそこにあった。


これに乗って必死で生きていたなあ、とものすごい勢いで様々な場面が思い出された。衣食住の全てを持っていなかった。さっさと死んでしまいたかった。それでも会いたかった。歯を食いしばって母の手がかりを探していた。


頑張っていたよね。

一年前の自分に負けたくない。サドルを撫でながら思ったことを、書き留めておく。

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