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苦しい記憶と向き合うこと

息子の誕生日の記事の翌日に、こういうことを書くのもどうかと思うが、思い出してしまったのでそのまま書こうと思う。
(暗い内容で申し訳ないが、お付き合い願えたら幸いです)

私のドイツの母が亡くなったのは昨夏で、そろそろ1年が経とうとしている。
そのことを思い出すと、お葬式のことがやはりセットで蘇って来る。


このことは過去記事に書いたが、書いていないこともあった。

昨日のお誕生日に義姉も来ていて、久しぶりに顔を合わせて義姉にハネローレの面影が色濃くあることに驚いた。
母娘なのだから当然かもしれないが、瞬間胸がギュッとなった。もう会えないとその事を再認識した。


彼女のお葬式に不倫相手の女性が参列して、お葬式を思い出すとその記憶に直結することが哀しいと今朝、不意に思った。

「私はあの二人を赦すことができるのだろうか」

と自問自答する。

“赦す必要はない”という人もいるかもしれない。
でも私は赦したいと思っている。
一度は愛したひとを憎み続けたくない。

人を憎むことは自分の身を削ることになる、ということを私は夫の不倫で苦しんでいるときに嫌というほど実感した。

憎しみに囚われていると幸せが見えなくなるし、感じなくなる。
私はそういう心理状況にいるのが心底嫌で、そこからどうにか出て来れないか・・・と藻搔いてたっけ。。

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「義姉に久しぶりに会った」
と書いたのには訳があって、彼女に最後に会ったのは去年の秋だから、本当に半年以上ぶりだった。

11月下旬の第一アドベントの日曜に、義姉夫婦が元夫と相手の女性の住む家に招かれていると知った。その日は、子供達も向こうの家に行くことになっていた。

長男が前日に「明日、○○たち(義姉夫婦のこと)もパパの家に来るんだよ」と、無邪気に教えてくれて初めて知った。
もしかして事前に、いや事後でも良いから義姉からそういう報告が直接あれば、私的には妥協ができたのかもしれない。
でもそういう報告はなかった。

弟の家に行くのは姉として当然なのかもしれない、でも私はどうしてもそうやって割り切れないものがあった。
別にバリバリのクリスチャンの家庭でもないし、第一アドベントがどうのなんて誰も思っていないだろう。
でも向こうの家に行くということは、今までの経緯をよく知っている姉が行くというのは、「認めて受け入れた」ということなのでは...としか思えなかった。
そこで義妹(私)がどう思うか・・・は考えてくれなかったのだな...と感じた。


「それはそれ」と割り切るのがドイツ人かもしれない。
そんな義理人情みたいな“察して文化”をドイツ人に期待している方がおかしいのだろう・・・と思いつつ、どこかで情緒的なシンパシーがあるのではないかと思っていた。

「勝手に期待して、裏切られた」と思う方が大人げないのかもしれない。


でも、、、
お葬式の参列に対して、元夫に
「小さい教会だし、そこに相手女性を連れてくるのはおかしいんじゃないか」

と言えた唯一のひとが姉だったのに・・・とも思っていた。


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義母が亡くなったのは、夏休みの終わりで私は最期を知らない。
子供達と日本に里帰りしており、私達がドイツに帰国した翌朝に母は自宅で亡くなった。

出発する前日にお見舞いに行ったのが最後だった。


母が退院して、自宅に戻ってから元夫が泊まり込んでいたし、最期の2週間は彼女も付き添ったらしい。

亡くなってすぐに会いに行った。
母の亡骸がある寝室に続く居間を横切った時と食堂の壁を見て、すぐに気付いた事があった。
居間にずっと飾ってあった結婚式の写真と、食堂の壁にかかっていた家族5人の写真が消えていた。

私達夫婦の関係が壊れてしまってからも、これらの写真はずっと変わらずにそこに在った。
義母を訪ねるたび、それらの写真を見てに心がチクチク痛んだ。
特に結婚式のふたりの写真(神前式で和装の)が、義姉夫婦の結婚写真と孫の結婚写真の間に挟まれるように置かれてあることに対して、いつまでそこに置いておくのだろう・・・とドキドキした。

そういう複雑な写真が無くなって初めて、義母はずっと変わらない空間を持ち続けてくれていたのだと気がついた。


夫婦が壊れようと離婚しようと、
母は変わらない何かを守り続けてくれていた」のだって、初めて気がついた。


あの日私が直面した喪失は、母自身と彼女の残そうとしてくれた空間というか、空気感だった。

写真を片付けたのはおそらく元夫で、泊まり込んでサポートをした相手女性に気を使ってのことだと思う。
誰にも聞かなかったし、写真について一切の言及はしていないけれど、心に澱の様に残っている。

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第一アドベントの後、クリスマスやお正月もあったが姉夫婦には会っていなかった。
1月に会いましょうとメッセージを貰って初めて、
“いつまで無闇に避ける訳にいかない”と覚悟して、
会いたくないこと、その理由を率直に書いて送った。

私は忘れるのが得意だから、時間が経てばまた気持ちも変化するだろう...と思った。
とにかくその件については考えず、少しの間手放すことにした。
向こうがどう思ってるかも考えないことにした。
そうやって時間という薬が効き始めるのを待っていた。

結局、私の気持ちや立場がどうであろうと、子供らにとっては伯母夫婦なので、末っ子の誕生日がそろそろもういいか...と思う時期だろうと感じていた。


誕生会には、最初は参加しないとなぜか頑なだった元夫も義姉もいて、だから精神的にしんどくもあったけれど、まぁ良くやったね..と自分で自分を労って終わったつもりだった。
その反動か、はたまた名残か...今朝の気持ちと繋がっている。

不倫についてのことも書きたい...と思いつつなかなか腰が上がらないでいた。
こういう内容の記事を書く事になろうとは、さっきまで思っていなかったのに私の心には、少しのキッカケがあればガタガタと音を立てて動き出すものが在るのだなぁ...と思う。

それをもう一度日の当たる所に掬い上げ、見つめていく作業をしなければならない時期に来ているのかもしれない。
放っておいて風化するものでは無いし、
傷口に塗れる特効薬がある訳でも無いし、魔法の言葉も無い。
ただ地道に自分に向き合っていくのが唯一の道だと思う。

noteに書くことは、確実に自己を癒す最善の方法の一つだと思っている。

ここで出逢った方々の温かさにどのくらい救われただろう。
自分は独りだと、穴に落ちそうになるたび、まだ出逢ったことが無い方達が心の目で視えることがあり、自分は独りじゃないと感じることが度々ある。

当たり前だけど、noteで繋がっている方々にも日常があり、しんどいことや辛いことが在る日々を過ごす、私が知らない人生を歩んで来られた人達だ。
そんな彼らの言葉は、ある重みを持って心の深い部分を柔らかく包んでくれる。


noteのみなさんへの感謝は尽きない。


今朝、車を修理に出して歩いて帰って来た時に通った木
とても強いエネルギーの様なものを感じ祈らずにはおれなかった

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