ナイチンゲールについて思うこと
わたくしがまだ “小とも” だった頃。
その頃、我が家にはハードカバーの立派な童話集が二冊ありました。
「グリム童話」と「アンデルセン童話」
特にアンデルセン童話は、いわさきちひろの淡く美しい挿絵が北欧の物語と優美にマッチしておりました。
くりかえしくりかえし母や祖母に読んで貰い、自分でも幾度もページをめくりながらアンデルセンの世界に浸る日々が続きました。
たくさんあるお話の中でも特に印象に残ったのが、
「小夜啼鳥」のお話です。
世にも美しい声で啼く鳥は、ナイチンゲールという抒情的な別名があり、小ともはその音の響きに憧れました。
もちろんここでも、いわさきちひろの描く儚げな挿絵が物語を引き立たせておりました。
温かなお布団に潜りこみ未だ耳にしたことのない、ナイチンゲールの鳴き声を夢想しながら眠りにつくのでした。
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それは小学生から中学生にかけて...ティーンエージャーに差し掛かりゆっくりと“中とも”に移りゆく頃。
時折、学校の先生や比較的優秀なクラスメートが何やら真剣に話している場面に出くわすことがありました。
それはこんな具合でした。
「おまえたちも、ナイチンゲールのように立派にならなければダメだよ」
「あぁ!ナイチンゲール。知ってるしってる」
「ナイチンゲールは凄いよね」
「ナイチンゲールに憧れるヮ」
この会話は数年に渡り様々なバリエーションでなされていましたが、どちらかと云えば諭し系的な会話の締めの場面が多いのです。
あまり優秀ではなく劣等感の方が勝っていた中ともは、それらの会話をやや上の空で聞くか、あるいは小耳に挟む程度でしたが内心、
「なぜそんなにもナイチンゲールが賞賛されているのか」
「いや、やはり美しく滅多にない鳥だからなのだろう」
「ナイチンゲールのように...って、どう成ればいいのだろうか....」
「あのナイチンゲール!ってあの子はそんなにアンデルセンを読み込んだのか...」
「そこまで有名なのか?」「小夜啼鳥だから?」
と思い続け、何かそこには触れてはいけない秘密が在る気がし、それ以上話に参加する事は躊躇われておりました。
フローレンス・ナイチンゲール
のちに、この偉大なイギリス人看護婦の書いた
「看護覚え書」を座右の書として、大ともとして東京の病院で奮闘する日々が来ようとは...露ほども知らない朝まだき夜明け前のころのお話。
後書き
こーんな愉快な企画を渡邊さんが(突然唐突に)始められてウズウズうずうず。
相方の「思うさん」も既に阿吽の呼吸。
丁々発止のやり取り、その面白さ発想の奇想天外さ、惚れ惚れします。
お二人の熱い交流に「もう一本、(準)決勝戦用のエッセイも書きたい!」と意気込んでしまいました。なんだか新しい自分が引き出されるようです✨
皆さまのご参加楽しみに、ドシドシ読ませて頂きたいと思います🙏
大とも
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