気になるササクレ ①

    「あっという間の1年でした」

 10月も終わり11月がやってくる頃、毎年恒例の「もうすぐ師走症候群」が国民の声となり聞こえてくる。「もう12月か、1年間ははやいな」知り合いとの会話やテレビのコメンテーターが正月の挨拶みたいに繰り返す。
 わたしも何度かこころの中ではそう思ったのだが、口には出さなかった。なぜだろう。なぜだろうと問いかける自分の心理には確実に毎年同じことを繰り返す輩への反発があることに気がつく。
「もう12月か、1年は早いな」に続くのは、おおかた「こないだ正月だったのに」という奇妙奇天烈な発言だ。11月1日にそんなことを言ったならば、その人の300日あまりの日々はその人にとって何なんだったのだろうか?日めくりカレンダーをめくったらいきなり365日後の日にちが現れるのだろうか?空白の時間と空間をどのように過ごしてきたのだろうか?
 先日、新聞のコラムで、老人は脳内の時間の推移が遅く、現実の時間の推移のはやさに追いつけないので、老人は特に1年がはやく過ぎてゆくと感じるということが書かれていた。その記事を読んだとき躰を流れる血が固まったような頭の回転が一時適度にストップした。
 若い人も「1年ははやい」と言っているし、老人に限ったことではないのに。 
 では何故「1年はあっという間に過ぎるのか?」
 みんな経験があるでしょう?来賓客の10分の挨拶が30分にも感じられる長き時間を。数学の60分授業が耐えられずに目を閉じ妄想を湧きたてようと腐心した授業時間を。長時間の会議て眠気を堪えて会議室の椅子に座り続けたことを。
 こんなことを押し寿司みたいに圧縮して溜め込んだらニンゲンとしてとても生きてはゆけません。
 忘れるんてす。昨日の夕飯どころか今日のランチさえ朧げな記憶としも存在しない。
 忘れて、辛い目にあって、また忘れる。そうやって毎日生活してゆくうちに1年は過ぎてゆきます。
忘れて、ひっくり返ってまた忘れる。忘れるから1年がはやく感じる。
「あっと言う間の1年でした」とふと口から出る幸せを噛み締めて、また年を越えて生きていくのでしょう。たぶん。


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