秋本真吾

スプリントコーチ https://www.akimotoshingo.com/

秋本真吾

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最近の記事

スプリントコーチがあたりまえになる日

今から12年前。陸上競技者として第一線を引退した僕は「スプリントコーチ」という新しい自分目がけて走り出そうとしていました。 たくさんの人に相談して分かった「非現実」な挑戦。 無理やできないという発想はよく分かります。 ただ、その判断はその人の経験値や価値観で決定されます。 僕の価値観では「スプリントコーチ」という職業が成り立つとか稼げるとかそんなことを予想していたのではなく、ただただ単純に それからただひたすらに走り続けました。 たくさんの子供たちに走り方を教える日々

    • ご報告

      2024年シーズンもいわきFC のスプリントコーチとして契約を更新させていただきました。 僕はこの言葉が大好きです。 この言葉は、いわき市を東北一の都市にするためのストラテジーの一つです。 僕は昨シーズン、チームが勝てない。降格するかもしれない。監督も交代する。絶体絶命の状態でいわきFCが軌道修正できた一つの理由に、このクラブ理念を達成するためのストラテジーに全員が立ち返ることができたからだと思っています。 僕はそのいわきFCというクラブの中の一人です。スプリントコー

      • いわきFC 走りの革命 2章

        先日のプレーオフをもってJ2の全試合が終了しました。 いわきFCとして初めてのJ2への挑戦。 全42節を終え、18位という結果でした。 田村監督も何度も話していた、誰一人この結果に満足していない。僕もその一人です。 昨年、初めてJリーグチームの一人になり、Jリーグ初挑戦でJ3を優勝しました。正直、この勢いのままJ2の舞台でも魂の息吹くフットボールを披露できると信じてきました。現実、こんなにもJ2という舞台が厳しく、レベルの差を痛感するとは思ってもいませんでした。 1.ス

        • 勝ちました。自分に。

          10月に山口県で開催された全日本マスターズが110mハードル。 初めてのマスターズでのハードル挑戦。2位。僕は負けました。 人にも自分にも。 負けた悔しさと、自分が思っている以上に走れなかったという現実に、これから迎える本番で勝てるイメージがなくなりました。 自分で決めたこと。自分で宣言したこと。あまりに無謀だった。そう思いたくなくても思ってしまうような内容でした。明らかな準備不足。全日本マスターズから1ヶ月。限られた時間で何をすべきか。 これまでハードルというものを

        スプリントコーチがあたりまえになる日

          ただいま

          去年の6月。40歳になった僕の最大のチャレンジ。それは世界マスターズ陸上(35歳以上の世界大会)での100mのメダル獲得でした。 その答えは僕が1mmも想像していなかった光景が待っていました。 100mの準決勝。 60m付近で左脚のハムストリングスが激しく動き痛みに変わり止めたくないのに脚が止まりました。 表彰台でメダルを首にかけている光景とは対照的すぎて。 もう2度と走るかと、なんのためにフィンランドまで来たんだと。 ただその後、日本代表の先輩方のメダル獲得、決勝で

          プロなら結果出せよ

          この一つの動画を見てからずっと考えていました。引用してコメントする内容も何度も何度も編集しては下書きに保存してを繰り返していました。考え抜いた結果noteに記そうと思いました。 その動画がこちらです。 この動画は一部切り取られているため、全てを理解することができません。ただ自分なりに検索をして長尺のものも拝見しました。 僕はこれまで陸上競技を専門としてきました。 試合に負けて、一度もこのような叱咤激励を応援者から直接受けたことはありません。 おそらく僕だけでなく個人競

          プロなら結果出せよ

          どうせ勝てない

          16歳から始めた陸上競技の400mハードルという種目。高校の恩師に勧められました。今でも忘れもしない初レースは地区大会でたった3名の出場者。結果はビリ。悔しいというか惨め。もういいかな…が感想でした。ただ、走るたびに少しづつ速くなっていく。できないことができるようになっていく。その感覚にハマっていきました。 それから24歳まで自己ベストを更新しない年はありませんでした。毎年毎年自己ベスト更新。憧れだった大会にも出場できるようになりました。テレビで見てきた、雑誌で見てきた選手

          どうせ勝てない

          きっと君は後悔する

          全国で走り方の教室やイベンド、講演などで年間約1万人の小中高生達に出会う機会があります。これを約10年間も続けると色々な小中高生達と出会うわけです。 本気で全力で取り組む子もいれば、友達と話して聞いていない子もいます。 イベントのような初対面が多い場ではあまり見受けられないのですが、学校で授業をしたり、クラブチームなどにいくと、たまに見受けられます。 当然ですが、そういった子は目立ちます。 周りと違う行動を取ることで目立てる。要はかまってほしい、自分を見てほしいという

          きっと君は後悔する

          野球選手が走り方を学ばなければいけない理由

          先日、阪神タイガースさんの新人合同自主トレの講師として参加して来ました。阪神タイガースさんの走りの臨時コーチも7年目になりました。 「陸上競技と野球の走りは違うから」この台詞はもう何回言われたか分かりません。僕のような野球とは畑違いの人間が走りや盗塁や走塁を指導するみたいなことは野球関係者からすると「は?」となるのは自然です。当時はおそらく選手の皆さんもただでさえキツイ走りの練習に元陸上選手が来てまたキツくなるじゃんと少なからず感じたと思います。 もちろん速くはなりたい。

          野球選手が走り方を学ばなければいけない理由

          ご報告

          昨年に引き続き、2023年もいわきFCのスプリントコーチとして契約を更新させていただきました。 改めてこのいわきFCというクラブでチャレンジできること本当に嬉しく思います。 1年前にJリーグで初めて僕自身が10年前に作った肩書き「スプリントコーチ」という役職で就任させていただいた、いわきFCというクラブには感謝しかありません。 1年前にも記事で書きましたが、大きな覚悟と決意を固めていわきに来ました。自分の役職であるスプリント能力の向上、最高速度、スプリント回数、走行距離

          いわきFC 走りの革命

          今でも頭の中にいわきのサポーターのチャントが心地よく鳴り響いています。 大倉智社長から昨年スプリントコーチとしての打診をいただきました。スプリントコーチ10年目にして初めてJリーグのクラブが単発ではなく年間通して関わって欲しいというお願いは初めてでした。どの世界もそうだとは思いますが、続けてこそ、積み重ねてこそ、変化や成長の確率は高まります。スプリントコーチがJリーグクラブに求められる時がきたんだと自分にとっては大きな大きな一歩でした。僕自身が地元福島県であること、僕の故郷

          いわきFC 走りの革命

          40歳のチャレンジ

          ピストルが鳴って、ここ最近で体感したことのないスピード感。 決してそこで無理をしてスピードを上げようとする必要はなかったんだと思います。 その瞬間、左の腿裏の筋肉がつぶれるような、僕の足から取れるような感覚。その時間おそらく0.何秒なんです、このまま走り切る?どうする?そんな感覚と戦って走りきったことも何度かあります。 ただ今回はその選択すらできませんでした。 こんなに長く100m走に時間を要したのは初めてでした。 ゴールまで歩いている時間、初めて夢か現実か分からな

          40歳のチャレンジ

          もう2度と走らない

          自分の中でそう決めて、10年が経とうとしています。 10年前に引退して、今年で40歳になりました。 陸上競技には35歳から出場できる「マスターズ」という大会があります。数年前にお遊びぐらいの軽い気持ちで出場した全日本マスターズ。 ウォーミングアップエリアに入ると、その空気感は現役時代に見た光景と何も変わりませんでした。みんな笑顔で楽しくのほほんとしたものではなく、真剣な表情と眼差してダッシュを繰り返すかっこいい「おじさん」と「おばさん」「おじいちゃん」「おばあちゃん」の姿

          もう2度と走らない

          浜を照らした光たち

          2022年3月20日。いわきFCにとって大きな1日になりました。 いわきFCの一員になってまだ2ヶ月足らずの僕が軽々しく言ってはいけないかもしれません。2012年に創設されてから10年。Jリーグに参入し、初めての勝利を地元福島県浜通りの地で実現させました。 今日僕は初めての経験をしました。 試合開始前にいわきFCの監督コーチスタッフ選手が全員ロッカールームに入りました。 村主監督が信じられないほど落ち着いていて、冷静に、淡々と話す。 村主監督の「絶対に勝とう」という声に

          浜を照らした光たち

          いわきFCという「チーム」

          いわきFCの一員になって2ヶ月が経ちました。 正直、陸上競技という個人で戦うスポーツに長くいた身として、「チーム」として戦うということがこんなにも新鮮で胸が熱くなるものなんだなと日々感じています。 たった1人で競技場を走る。練習も試合も1人。そんな時間を知っている自分としては試合や練習で選手同士の相手を尊重した上でのコミュニケーション、監督スタッフの日々選手を思っての言葉がけなどを聞いていると「チーム」っていいなと思うわけです。 大倉社長の凄さは常にクラブビジョンを選手に

          いわきFCという「チーム」

          ご報告

          ご報告です。 2022年1月からプロサッカークラブ「いわきFC」のスプリントコーチに就任することになりました。 2011年の東日本大震災後、地元福島県しかも僕が生まれ育った「大熊町」のある浜通り地区にサッカーチームが発足されました。 当時現役の陸上選手だった頃は、サッカーの試合も日本代表の試合をぼんやり見るぐらいのレベルでした。引退し、陸上競技で培ってきた足を速くするトレーニングを他のスポーツ選手や子供たちにという想いで「スプリントコーチ」と自ら肩書きを名乗りスタートし