40歳のチャレンジ
ピストルが鳴って、ここ最近で体感したことのないスピード感。
決してそこで無理をしてスピードを上げようとする必要はなかったんだと思います。
その瞬間、左の腿裏の筋肉がつぶれるような、僕の足から取れるような感覚。その時間おそらく0.何秒なんです、このまま走り切る?どうする?そんな感覚と戦って走りきったことも何度かあります。
ただ今回はその選択すらできませんでした。
こんなに長く100m走に時間を要したのは初めてでした。
ゴールまで歩いている時間、初めて夢か現実か分からなくなる感覚になりました。あー夢でよかった..レース前によく見てました。今回もそう思いたかったです。あたりが光で真っ白でそれだけ覚えています。
まずここまで長い時間をかけて準備したことは初めてで、もちろん決して全て順調ではありませんでした。ただ、ここまでこの世界マスターズのために仕事とバランスをとりながらやってきました。
試合の3週間前ぐらいから、以前痛めていた半月板に痛みが出始めました。ごまかしなからもやっていましたが、どうにもこうにも耐えられない痛みになっていきました。ダッシュで痛いな、ジョックで痛い、歩くだけでも痛い。それが2週間前です。もう耐えることができなくなり、お世話になっているドクターに診てもらいました。MRIの結果、以前損傷していた半月板を更に損傷、亀裂が入っている状態でした。
僕は今回の世界マスターズにかけていました。もうこれでマスターズ陸上は最後、メダル獲って終わるんだ。そう決めていました。
自分で決めたチャレンジ。もうこれで半月板を再度損傷して手術になってもいいという覚悟でした。とにかくこの大会で予選・準決勝・決勝の3レース走れるようにと先生に懇願しました。1週間前に膝に2本注射を打ちました。効果は1週間と言われました。
ただ、ぶっ壊れたのは逆足の腿裏の筋肉でした。
自分のために走っているのに、どうしても応援してくれた人たちに本当に申し訳ない、情けない、という気持ちに襲われてしまいます。
レース後、それ以上に僕の感情を支配したのは
という感情でした。
レースを楽しめた!悔いない!そんなこと1ミリも思えませんでした。
誰にも会いたくない、話したくもない、足を引きずってバスに乗って宿舎に帰りました。
冷静になるのは早かったと思います。
僕が出した答えは簡単でした。
試合でしか味わえない緊張感、逃げ出しなくなる感覚、噴き出るようなアドレナリン、思わず発狂してしまう感覚なんて普段の生活で、今の仕事でも絶対に味わえないんです。
そして、今回、もう一つ味わった、「悔しい」という感情。自分の行動に、もろに直結したのはいつ以来でしょうか。きっとそれは本気で挑んだ勝負に負けた時以来だったはずです。いつかはもう忘れました。ただ、こんなにも悔しい、もう一回この借りを返したいとすぐに思うことができるまでの時間はものすごく早かったです。
すぐに足をテーピングでぐるぐる巻きにして、競技場に向かいマスターズの先輩たちのウォーミングアップのサポートをしました。
ウォーミングアップ上でとんでもないスピードで走り抜ける選手たち。あのおじいちゃん70歳であんなに速いの?あのおばあちゃん65歳であの記録出しちゃうの?一体どんなトレーニングしてるの?
もうそれは僕がこれまで見てきた超一流選手達のウォーミングアップで見たものと何も変わらない衝撃でした。
自分がいるはずだった100mの決勝を見るまで、各クラスの決勝レースを見ていました。
メダル獲得の瞬間おじいちゃん、おばあちゃんが、おじさん、おばさんが、ガッツポーズで喜ぶ姿。例えメダルを獲れなくても自己ベストに喜ぶ姿。
走り終わったファイナリストが全員肩を組んで笑顔で写真に収まっている姿。
そして、僕がいるはずだった、僕がメダルを獲るはずだったレースを見ました。僕はそのレースの動画は撮りませんでした。僕はそのレースを見ている自分の顔を動画で撮りました。どんな顔して見てたんだ?後からそれを見た時、
決勝のウォーミングアップで着るはずだったいわきFCのユニフォーム。いるはずだった自分のレースを見ている自分。
それらを見て僕が感じた答え。
僕は10年前に競技者を辞めたと思っていました。
自分で引退したと言いました。今は本業はスプリントコーチであくまで片手間でマスターズの陸上をやっているんだと思っていました。
でも、その答えは間違いでした。
現役だからオンリンピックを目指さなきゃダメなんてないんです。
プロにならなきゃいけないなんてないんです。
「引退」なんて言葉自体がマスターズの人たちを見ているとないんだなと思いました。
最後に、こんなにもたくさんの方々に応援され、僕自身のチャレンジに、人生に、共感されるなんて思ってもいませんでした。
夢は叶いませんでした。
でも、僕はまだこれからも走り続けます。
例え何歳になっても、夢を叶えるために、僕は僕の人生を走り続けようと思います。
そしてこの経験をスプリントコーチとして関わる全ての人たちに必ず還元します。絶対に、絶対に、この経験を生かします。
スプリントコーチ
秋本真吾
写真:北原基行
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