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もう2度と走らない

自分の中でそう決めて、10年が経とうとしています。
10年前に引退して、今年で40歳になりました。

陸上競技には35歳から出場できる「マスターズ」という大会があります。数年前にお遊びぐらいの軽い気持ちで出場した全日本マスターズ。

ウォーミングアップエリアに入ると、その空気感は現役時代に見た光景と何も変わりませんでした。みんな笑顔で楽しくのほほんとしたものではなく、真剣な表情と眼差してダッシュを繰り返すかっこいい「おじさん」と「おばさん」「おじいちゃん」「おばあちゃん」の姿がありました。

僕はそこからマスターズ登録をして走ろうと決めました。
こんなに素晴らしい競技者の方々とこの年齢になっても、引退しても競技ができるなんて幸せだと思うようになりました。

2017年にスペインで行われた世界マスターズは400mハードルで7位でした。完全に舐めてました。引退して5年まともなトレーニングを積んでいなかったのにも関わらず数ヶ月でちょっと練習すればいけるだろうと思ってました。結果は走ればすぐに怪我をする、どこか痛くなる、結局全くまともにトレーニングすらできずボロ負けでした。アキレス腱もボロボロになりました。
この時35歳でした。

その2年後、マレーシアでアジアマスターズがありました。2年前の失敗を絶対に繰り返さないと、土台から鍛え直しました。現役時代ほとんどやらなかったウエイトトレーニングをはじめました。自分の中で逆算をしてかなりの長い時間をかけて仕上げたつもりでしたが、それでも怪我の連発で本当に苦戦しました。それでもなんとか本番には間に合い、100mで10秒97で金メダル、仲間と臨んだリレーでも金メダルと獲得しました。この時37歳です。

そして、40歳になった今年。
今月末にフィンランドで行われる世界マスターズに100mと200mで出場します。


引退して10年=スプリントコーチになって10年が経とうとしています。何度も何度もそんな職業は無理だとか否定をされてきましたが、今こうして一つの職業として10年前よりかは少しづつスポーツ界に「スプリントコーチ」という存在が認知されはじめてきました。

自分自身も「走る」ということを学び、現役時代よりも遥かに考えるようになりました。たくさんのコーチや選手と出会い、本やネット、論文、情報がとにかく入ってくるようになりました。その中で、このトレーニングいいんじゃないかなと思ったところでそれが本当にいいかどうかを頭の中でイメージはできても実際に自分の身体で感じたいという思いが昔からあります。

そのためには僕自身もそのトレーニングを「できる」状態にないといけないと思うようになりました。まともな練習をせずにコーチングの場にいるだけでたまにダッシュするぐらいではどんどん自分自身も年齢を重ねる毎に衰えを感じるようになりました。

昔はウォーミングアップなんかしなくてもダッシュできました。ハードルも跳べました。でも今は無理です。毎回早めにストレッチをしたり筋肉に刺激を入れたり、選手や子供たちの前で行うデモンストレーションにも昔では考えられないぐらい準備に時間がかかるようになりました。

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ただ、僕の中でこの「見せる」ということも子供たちや選手にとって大切なことなんだと感じています。もちろん、いつかはできなくなるでしょう。でも、できるうちはまだ身体が動かせるうちは僕が納得したトレーニングやパフォーマンスを現場に届けたいんです。

そういった背景もあり、しっかりトレーニングをするなら身の丈に合った試合に出たいと思うようになりました。

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仕事で子供たちに講演をする機会があります。
「チャレンジが大事なんだ」とか「チャレンジをすることが夢を叶えるんだ」みたいなことを当たり前のように伝えてきました。

チャレンジとは挑戦すること。
特に困難な物事や未経験のことをいう。

と辞書には書いてあります。

現役時代も引退してからも僕はたくさんのチャレンジをしてきました。でも、僕の中のチャレンジの定義ってなんなんだろうと考えるようになりました。

経験していくと絶対にうまくいく、成功すると思えることがあります。もちろん初めてのことではあるのですが、自分の中で勝てる気がするという状態です。これは成功と失敗の比率で言うと成功の方が確率が高い状況です。その状況で勝負して勝ったとき、「ほらね、やっぱり」となります。

僕の中でこのチャレンジに興奮もしなければ例え勝ったとしても心の底から嬉しいという気持ちにはなりませんでした。

逆に成功したい。でも、もしかすると失敗する可能性もあるよなというチャレンジもあるわけです。

僕の中でチャレンジの定義は、成功と失敗の比率が失敗の方が可能性が高いということがチャレンジだと思うようになりました。
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まさにこの世界マスターズへの出場が僕が定義するチャレンジだなと。もちろん勝ちたいです。出るからには。ただ、昔と違いちょっとでもトレーニングや走り方にエラーがおきると怪我をします。これまでもコーチングの現場で何度も細かい怪我をしてきました。本当に情けないなと何度も思いました。でも、このチャレンジに勝ったら自分の中で今までに経験したことのない答えが出るだろうと思うとワクワクしてくるわけです。

世界には同世代でどれだけ足が速い人たちがいるんだろう。今の自分が世界で通用するのか、打ちのめされるのか、それはチャレンジをしないと分からないわけです。引退して10年経って自分の中のチャレンジとは何かが分かってきました。

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これまで、僕はスプリントコーチになって様々な現場に立ってきました。当初は緊張の連続でしたが、今は初めての現場であってもこの何分か後に走りが変わってみんな笑顔になっている。そんな気持ちで現場に立っています。自信があるので、緊張するということからだいぶ遠ざかっています。

ただ、いわきFCの試合に帯同するようになり、試合直前の選手の緊張感のある雰囲気を感じた時、身体の芯からアドレナリンが噴き出るような感覚になりました。当たり前ですが僕が試合するわけではないんですが、この興奮状態と緊張状態が重なる瞬間、選手が本当に羨ましいと思いました。そして、僕自身もこの感覚をまた味わいたいと思うようになりました。

はっきり言って、引退した今、その感覚を感じる必要はないです。
走っては倒れ、気持ち悪くなって何度も吐きそうになったり、仕事で疲れてもう寝たいと思っても、無理やり着替えて夜中に重たいもの持ち上げに行ったり、そんなことする必要は全くないかもしれません。

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僕は10年前オリンピックに出れなくてきっぱり引退しました。
もう絶対走らない。2度と走らないと決めてスパイクを脱ぎました。

それから10年が経って、当時考えられないようなテクノロジーが詰まったスパイクを見た時にワクワクして、当時の自分と何も変わらずにそのスパイクを履いて無邪気に笑っている自分がいました。

こんなに走ることが好きで好きでたまらない人間がスプリントコーチという職業を作りました。

今月末、フィンランドのレースを終えたあと、僕は何を思い感じているのか。

きっとまた走ることが大好きになっているはずです。


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