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「応援してくれた方々に申し訳ないです」への違和感

僕はスポーツを観る際に、試合の内容だけでなく試合後のヒーローインタビューをよく見ます。ヒーローなので結果を出した選手が選出されます。
選手がどういう思いで戦っているのか、その時のプレーや想いを自分自身でどう評価しているかを聞けるのが好きです。

こういったインタビューは勝った時のみで、唯一オリンピックや世界大会であったりは勝とうが負けようが敗者もコメントを求められます。

そこで皆さんも聞いたことのあるアスリートが言う

「応援してくれた方々に申し訳ないです」

という一言です。

昨夜のパリオリンピック柔道混合団体。
印象に残った終了後のインタビューで涙を流し謝罪する選手たち。

試合の規模が大きくなればなるほど、今まで関わりがなかったような人たちが騒ぎ出し、知り合いが急に増え出し、後援会を立ち上げたり、横断幕ができたり、当日は町中で応援しますなんてことが起きると、アスリート側は急に何かを背負いだします。

失敗したらどうしよう、あんなにみんなで応援してくれているから結果を出さないとという心理になるのではないでしょうか。

元陸上選手だった僕は当時、日本選手権で2年連続入賞をして、その後、3年間予選落ちはおろか日本選手権にすら出場できないスランプが続きました。

その後、スランプを克服し4年ぶりに決勝に残りました。その年はアジア大会の代表選考を兼ねていて2位以内に入ることが条件でした。そのためにも前半から飛ばしていこうと思っていましたが、スタート前に急にあることを考え出しました。

「これでもしダメだったら応援してくれている人たち、会社の人たちはどう思うんだろう」と。

その時点で負けです。
結果5位でした。

次に、応援している側の心理としては

なんで謝るの?

だと思います。こっちはただ勝手に純粋に応援しています。
ダメだったとしても応援する気持ちは決して変わることはありません。

僕は選手から応援する側に立ってはじめて、アスリートに対して頼むからまずは自分のために闘ってほしいと強く思うようになりました。

実際に試合を見ていなくてもメディアを通じて、誹謗中傷の文字を見て何が起きたかを知ることもあります。ここ最近で「メディア」もかなり広範囲になってきたように思います。既に存在していたメディアに加え、個人もメディアとして影響力を持つ時代になってきました。

結果が出ている時はスターのように扱い、結果が出なれば袋叩き。表面的な結果を伝えることは報道には必要なことですが、アスリート側の奥深くに思い感じていることを深ぼらずに戦犯扱いするのはどうなのでしょうか。ほんの数件の意見をメディアがさぞみんながそれを言っていますかのように取り上げ、みんなが言ってるから俺も言っちゃえ。俺があの選手にネットを使って言ってやったぜとそれに便乗し石を投げつける個人。長尺を切り取り、前後の文脈を削除し捻じ曲がった情報として世に出回ることも増えました。

もう一方でファンのスポーツへの見る目も肥えてきます。例えば、テニスでミスショットをした際に観客からもれるため息。選手からしたら嫌でしょう。陸上の200mで世界選手権でメダルを獲得した末續慎吾選手が9秒台をいつ出すんだと期待され、日本選手権で勝っても9秒台が出ないと観客からの「あー」のため息。きつかったと言っていたのが印象的でした。ただ、これはスポーツ見るファンの純粋なリアクションなのでアスリートは耐えなければいけないことなのかもしれません。

そう言ったことが複雑に重なり、気にならないようにしても気になってしまう世の中になってしまいました。

僕の中で心がけていることは、リアルでもSNSでも他者から何かを指摘された時それは

「批判」なのか「非難」なのかを見極めるようにしています。

辞書で意味を調べると

「批判」
物事の良し悪しを、論理的によく調べたり考えたりして判定すること

「非難」
相手の欠点や間違いなど、悪い点を責め立てること

「批判」は物事の良し悪しを論理的によく考えた上で意見を述べる。欠点やミスを指摘するような否定的な意見を述べるイメージがあると思います。

ただ「批判」は過ちを指摘するだけではなく、その事についての改善を求めるという少なからず相手のことも考えていることが言えるのではないでしょうか。

一方「非難」は弱みなど悪い点を問い詰めて責めることを指します。SNSでよくマウントをとってくる人がいます。それはこちら側の真意は無視して自分の一方的な意見を押し付けてくるパターンです。本当のことを知らずに表面的な情報だけを頼りに判断し責める。そういう人はほぼ匿名です。

引退した元アスリートとして言いたいことは、

競技者として目標はどこか。
批判と非難を見極めること。

だと思います。

自分の目標を達成するために多くのアスリートは時間の全てを費やしています。目標を達成するためにが本質で、誰かのためにはそれに付随してくるものではないでしょうか。

SNSを通じての誹謗中傷は僕はこの先もなくなることはないと思います。なくなることのないものに縛られて生きるよりも、ダメだった時ほど起きる「批判」と「非難」をどう判別して受け入れるか。それができた時に、もっと生きやすくなるのではと思っています。

そしてこれだけは言えます。どんなに誹謗中傷を受けたとしても、

圧倒的にあなたを応援してくれる人の数の方が多いです。

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