僕はここにいるよ

昔から、変な人が好きだった。

「なんであいつ?」
そう首を傾げられるのが常だった。
なんで、と言われるとちょっと困ってしまう。
顔がいいとか優しいとかスタイルがいいとかそういうところに惹かれるわけではないからだ。
磁石で砂場を掻き混ぜると砂鉄がくっついてくる。
人混みの中でもそこにいるのがわかる、みたいなそういう感覚。
"好きになる"というより"見つける"って感じ。


個性を飲み込もうとした日のこと、今でも憶えてる。
"見つけ出した"彼が後ろ指さされていた。

「"なるしすと"って言うんだよ」

なるしすと、ナルシスト、、、?
初めて聞いた単語。
カタカナなんだろうな、となんとなく思って、褒め言葉なんだろうな、と思った。
だって彼に向けられた言葉だもの。
そう思ったのに、続けられた言葉は
「気持ち悪い」
だった。
なんで?って聞いたら、
「だって、自分のこと大好きってことだよ?キモくね?」
って顔を顰められた。
全身の熱が空気中に分散されて体温が一気に下がるみたいな、そんな感覚があった。

『そっか、自分のことが好きなことって気持ち悪いんだ。』

当時の僕は別に自分のことが大好き!と思っていたわけではなかったと思う。昔から自分に自信は無かったし。
でも、目立っちゃダメなんだな、って思った。
目立つようなことをしたら次は自分が標的になるんだな、ってなんとなく察したんだと思う。

これは"ナルシストの呪縛"。

ずっとずっとずっと、あの日から10年くらい経った今まで、彼が揶揄されていたことも、"ナルシスト"という言葉にも違和感を抱いていた。
それでも、蔑みの目が自分に向けられるのが途轍もなく恐ろしいことに思えて、その違和感を言葉にすることが出来ずにいた。

国語の授業で「みんなちがって みんないい」と教わったのに、先生は口を揃えて「個性を大事にしましょう」なんて言うのに、みんな個性を飲み込もうとしてる。暗黙の了解みたいに。目立っちゃいけない。出る杭は打たれるから。
「わかる」「それな」「共感しかないわー」
魔法の言葉に思えたそれらは、寧ろお互いを殺し合う呪文だった。
呑まれていく。大勢の波の中に。自分はここにいるよ、と叫び出したいのに、口を開こうとすると、「自己顕示欲の化け物」なんて蔑まれて溺れてしまう。

だから誰にも気づかれないように、波が襲ってこない岩陰に隠れてペンを握ったのだった。

今になって思う。
ナルシストだから気持ち悪い、と指をさして嗤っていた彼らは、みんなと違うことは恥ずかしいことなのだ、と脅していたのだろう。なにも指をさされた彼だけでなく、クラス中、或いは学年中の人間に。
わからないことは怖いから。
そうしてみんな"ナルシストの呪縛"にかかっていく。
なんとなく他人の気持ちをわかったフリして、足並み揃えて歩こうとする。

僕はただ単純に、ナルシストなんかよりそっちの方がずっと気持ち悪いと思った。
個性を飲み込もうとしたけれど上手くいかなかったのかもしれない。喉に引っかかって吐き出してしまったのかも。
それは別に僕が特別だとか言いたい訳では無い。


だってあなただって本当はそうなんじゃないの?
飲み込めなかった個性を隠し持って、大切にあたためているんじゃないの?


個性って全然特別なんかじゃない。だって同じ人間は一人もいないってみんなよく言うじゃん。


誰が悪いとかじゃない。多分、みんな臆病なだけ。自分を守るのに必死で、溺れないように藻掻いてる。
譲れないものを抱きしめてる。手放してしまったら波に呑まれてもう見つけられなくなってしまうから。


ペンを走らせる。
宛名のない手紙を書く。
「僕はここにいるよ。君はどこ?」

時々、返ってくる。
「僕はここにいるよ!」

そうして、"見つける"。


僕が好きになる人は、変な人かもしれない。
皆が首を傾げるような人かもしれない。
でもそれは紛れもなく、「僕はここにいるよ」と叫び出せる人だ。



『僕はここにいるよ。』

『君はどこ?』

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