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思い出と共に夜明けを待つ

酒に溺れた者の部屋の安い発泡酒の空き缶の如く床の上に無造作に転がっているエナジードリンクの空き缶を、ひとつひとつ拾ってビニール袋に入れる。新フレーバーが出ると忽ちTwitterで話題になるお馴染みのそれは、フレーバーごとに缶の色が違っているが、どれも明らかに身体に悪そうで、外国のお菓子のように攻撃的な見た目をしている。自暴自棄になり自己破壊的衝動に駆られながらも、臆病故に結局行動には移せない僕を慰めるには丁度良い量の355ml。様々なことに対して過敏に反応する体質のせいか、カフェインを摂取すると頭痛や吐気に襲われるのにそれをわかっていて355mlを空にする。今も現在進行形で苦しめられている。すっかり空になって袋に詰められた缶がその中で耳障りな音を立てる。“中身の無い空っぽな人間ほどよく騒ぐ”、どこかで聞いたそんな言葉が頭を過った。

廃人のような生活だった。何をする気にもなれず、5分前に何をしていたかさえ曖昧になっている。そんな死んでいるかのような時間がだらだらと流れ、何もしていないのに、いや、何もしていないから心が磨耗していく。ナニモノかになる為に普通から逸れた道を選んでは見たものの、それこそが何者にも成れない理由に成り下がっていた。惨めだった。

横になる。溜息を吐く。寝返りを打つ。不意に視界に飛び込んできた花浅葱。ビルの隙間に慎ましげに浮かぶ月が印象的な表紙の本であった。題は『明け方の若者たち』。よく聴くバンドのヴォーカルが帯にコメントを書いているのがきっかけで知った一冊。

深夜2時過ぎから読み始め、本を閉じた頃には夜明けがすぐそこまできていた。まるで誰かの腕に抱かれているかのような、微睡ながら昔の夢を見ているような、そんなふわふわと柔らかくて温かい時間だった。

*

​記憶を呼び起こすスイッチというものが、世の中にはいくつも設置されている。

そんな文が作中にあったが、僕にとってはこの本もスイッチのひとつになった。

初めて恋人と呼んだ人のことを思い出した。中学生の頃のことだ。その歳の恋愛なんて高が知れているが、それでもこの先も忘れることはないのだと思う。勿論それが何かの初めてでなくとも、だ。当時は(も)「好き」が何なのかもわかっていなかった。(今でもよくわかっていない。)手を繋ぎたい、と思ったのだ。直感的なものだった。理由なんてわからないけど、他の人では意味がない、と何故かはっきりと思った。そしてその思いは無意識のうちに「手」という一文字になって口から零れていて、右手を差し出す動作と共に目の前にいた人に向けられていた。言葉の対象であった人は、なんじゃそりゃ、なんて笑いながら手を差し出してくれた。その後、特に改まった告白をしたわけでもなかったが僕たちは恋人同士だった。別れる時も同様に、改まって言葉を交わしたわけでもなかったがそれでも僕たちはもう恋人同士ではなかった。そういう、あまり言葉を必要としない関係だった。側から見れば友達のような関係だったと思う。恋人らしいことをしたのは、せいぜい手を繋ぐ程度で、キスもハグもしなかった。それでよかった。そんな関係は、今の歳ではもう恋人とは呼べないのかもしれない。歳を重ねるほど友達と恋人を線引きしなくてはならなくなるらしい。誰に言われたわけでもないが、暗黙の了解みたいなものなのだと思う。

彼とは今でも時々話す仲だが、彼もまた僕と同様に“ナニモノ”かになりたい人である。詳しくは書かないが、あるアートに熱心に取り組んでいるらしい。

彼だけではない。きっと誰しもが“ナニモノ”かに成りたがっている。頭を揺らす「平凡」の文字に気付かないふりをして生きている。

*

フィルムカメラで撮った写真みたいに、淡くてノイズが混じった、ノスタルジーを具現化したような本。楽しいだけじゃない。寂しいも、痛いも、虚しいも詰まっている。思い出みたいに傍にいてくれる。でもそれだけだ。この本はきっと僕を救ってなんかいない。そもそも何にだって、誰にだって救いようがないのだ。未来からやってきた猫型ロボットでもない限り、僕たちはたかが数秒後に何が起こるのかさえ知る由もない。常に不安を抱えて生きていくしかない。ただひたむきに、がむしゃらに日々を重ねていくことしかできない。夜明けを信じて、暗く寂しい夜を歩いていくしかないのだ。

お前はただの凡人だ、居ても居なくても差し支えない存在なのだ、と他でもない自分自身の中から発せられる言葉に希望を殺されてしまわないように必死だった。緊張して強張っていた心が、ゆっくりと解れていく。

夜明けがもうすぐそこまで迫っていた。露草色の空が、締め切られていないカーテンの隙間から覗いている。カフェイン摂取による吐き気はまだ治まる気配がない。今夜からはもうエナジードリンクはもう必要ない、と言いきれるほど僕は強くない。すぐに心を入れ替えて前向きになれるような人間なら今までだってこんな廃人みたいな生活は送っていない。

おはようとおやすみが反転することになってしまったが、それでも久しぶりにぐっすり眠れそうな気がした。

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