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【雑学解説集③】【Original Sin🍎サブタイトル】
全ての専門に精通している訳ではないので、説明としては、とても簡易(雑なもの)になってしまいますので、より詳しく知りたい方は此の機会に是非、他の方のnoteや他のサイトの検索もおすすめします🐰
では簡単に説明していきます🦀
第11話.ハーロウの絶望の淵
ハリー・ハーロウ。【愛着実験】を行ったアメリカの心理学者です。
彼は、生後間もない仔猿を親から引き離して、代理母実験を行いました。
①哺乳瓶を取り付けた【針金の母】
②哺乳瓶はなく、タオルで覆い、猿に似せた【布の母】
どちらに仔猿は懐くのだろう。
結果、仔猿は『針金の母』の哺乳瓶でミルクを得て空腹を満たすと『布の母』に抱き着き続けました。
此の実験は、感染症の懸念から母子の接触は推奨されず(強いては愛情は悪影響とまでも云われ)、母とは栄養を与える為の存在とされた『時代の常識』を覆す、大きな貢献となりました。
しかし結果を経て、ハーロウは更に踏み込み、閲覧注意の残酷な実験を次々と行い続けていきます。
実験はやがて【絶望の淵】という器具を作り出すに到ります。
逆ピラミッド型の器具に仔猿を入れ、仔猿は最初こそ、斜面を登って逃げようとするのですが、一瞬だけ外が見えると滑り落ち、決して出られる事はない。人為的に作り出された完全な孤独。そして絶望を与えられた仔猿はやがて(本当に自粛)。
こうしたハーロウの実験は、
接触による安心が子供のメンタルに大きく影響すると証明し、『愛着理論』の根拠となる一方で、
アメリカでの動物解放運動のきっかけもまた生み出していきました。
センシティブな内容の為、此処で詳細を語る事は難しいので、興味と耐性のある方は【愛着実験】【モンスターマザー】【絶望の淵】辺りを調べてみてください。
何よりハーロウの生い立ちを知れば更に興味深いものとなります。
第12話.地球照
新月の後、もしくは新月の前の、輪郭の細い月の欠けて見えない部分が灰色の薄い光で補われ、円形として見える現象です。
地球で反射した太陽光が月に届き、更に月で反射され、再度地球に戻ってくる事で起こります。
身も蓋もないのですが、見た方が早い。(素材提供ありがとうございます🦀)
![](https://assets.st-note.com/img/1682626277054-V7f0ALVdrx.jpg?width=1200)
二日月、三日月の地球照は夕時の西の空、新月前の地球照は、明け方の東の空で見られる。(見やすい条件が整えば見られる)
因みに肉眼でなければ、細い月でもなくとも確認出来るそう。ジャンルはそのまま天文学です。
それから、面白いものを見つけたので、以下、Wikipediaの引用です。
英語圏では地球照を表す「the old moon in the new moon's arms」という慣用句があり、これは直訳すると「新しい月に抱かれた古い月」となる。
第13話.透明性の錯覚
心理学の用語。認知バイアスのひとつ。
自分の感情や思考が、他者に見透かされている、他者に漏れているという思い込み。または、
自分の感情や思考が、他者に理解されている、伝わっているという思い込み。
要するに「相手は自分の気持を知っている」と思い込んでしまう傾向の事です。其れが知られたくなくても。知られたくとも。どちらも同じ『透明性の錯覚』となるのです。
相手に届く自分の情報とは、正確、不正確以前に、実はあまり届いていない。
眠さを必死に堪えている時に周囲とやたら目が合う。(眠たいのがバレている)と思ったら「お腹空いたの」と訊かれる。
意味がわからないけども、これが自分と他人の違いです。
自分の考えが他者に見抜かれているではないか、もしくは他者は何故自分を理解してくれないのか、と心の内で悩む機会が多いのなら、
あくまでも自分自身の問題と理解し、対策を見つけていけば、要らぬ心配や落胆、衝突等を避けていけるかもしれません。
私個人としては「バレてもいいや。理由はあるし」「必要な事は言葉で伝えていかなきなゃね」と考える方向にシフトしました。
第14話.砂の上の足跡
原題:FOOTPRINTS IN THE SAND
キリスト教の寓話的な詩であり、作者不詳ですが、少なくとも12人が自分の作品と名乗り出たとのエピソードのあるものです。とりあえず作者問題がどうなったのかは置いておきます。
こちらもざっくりと説明。
男が夢で神と並んで歩いていた
これまでの人生が空に映し出され、どの場面にも神と男の足跡が残されている
男は振り返り、砂の上の足跡を眺める
すると彼の人生の道程にはひとつの足跡しかない場所がいくつもある
特に辛く、悲しかった時
男は神に尋ねる
「ずっと共に歩いてくれると仰ったのに
私があなたを必要とした時
あなたの足跡はない」
神は答える
「あなたの試練と苦しみの時
ひとつの足跡しか残されていないのは
わたしがあなたを背負い歩いた」
興味のある方は原文も含めて捜してみてください。キリスト教徒でなくとも、独りで苦悩していたと思う時期こそ、見えざるものに何よりも助けられていた時期である、との様に受け止めても良いのかもしれません。
此の詩の元ネタらしき文章は聖書の中に出てきます。
第15話.19番目の月
まず最初に旧暦の話を。
旧暦(陰暦)は月の満ち欠けを元に作られた暦であり、新暦と違い、1ヶ月は約30日。新月を【0】とし、満月を【15】とします。この場合の19番目とは旧暦19日を指します。
それでは話を戻します。月の形には名前があります。(見当たらないものも、やたらあるものもあるので良ければ捜してください)
0/1.新月(朔日) 2.二日月(繊月) 3.三日月(朏) 7上弦の月(弓張月・破鏡) 11.十日余りの月(十日夜の月) 13.十三夜月 14.待宵月(小望月)15.満月(望月・十五夜月)〈16.十六夜月(不知夜月)〉 〈17.立待月(十七夜月)〉18.居待月 19.寝待月(臥待月) 20.更待月 23.下弦の月(弓張月) 26.二十六夜 27/28.明けの三日月 29/30(29.5.).晦(月籠)
16〜30 有明の月(朝まで残る月)
※〈16.十六夜〉〈17.立待月〉が満月となる時もあり、その際はカレンダーの表示から月の名が消えたり、満月の前に十六夜と書かれたりします。稀にですが、〈14.待宵月〉が満月の時も。
で、注訳が長くなりました。
旧暦19日の月を、寝待月、または臥待月と呼びます。日没から出てくるまでが遅く、寝て待つ月だから寝待月。臥待月の臥すも横になった状態を表しています。
とても関係ないのですが、福岡弁(博多弁ではない)では「横になる」とは「休憩する」との意味です。寝ていないし寝るつもりもないから間違えないでね🐇
という訳で、今回も浅学で申し訳無いと思いつつ、此のシリーズは続けていくつもりです。間違っている点があれば、お知らせください。それでは、マイペースにて更新していきます。
お付き合いありがとうございました🐧3Z🌙
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