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『伝説の秘密』を守ることと、語ること……「ネッシー」と「妖精写真」。
ネッシー、という名前を知らない人は、今は増えているのだろうか。
イギリスのネス湖という場所にいる、と言われる未確認生物で、恐竜の生き残り、といったことまで言われていて、いわゆる「U MA」の中では、「スーパースター」といってもいい存在だった。
その「根拠」となっているのが、ネッシーの姿をとらえたとされる「外科医の写真」(このネーミングも趣深い)だった。
「ネッシー」の伝説
この写真を撮ったのは、ロンドンの外科医(本当は産婦人科医とされている)ロバート・ケネス・ウィルソンで、1934年の4月にネス湖に友人と共に遊びに行った時に撮影されたものです。
このロバート・ケネス・ウィルソンの写真はデイリーメール紙に掲載されて、大きく取り上げられました。
ここから「ネッシー伝説」は本格的に発動を始めたのかもしれない。
その後は、長くずっと話題になり続け、1970年代には日本から「ネッシー捕獲」を目的とした団体が出かけていったり、海で漁業船に捕獲された「死体」が「ニューネッシー」ではないか、と言われ、一般紙を大きく飾ったのが1970年代の後半だった。
「ネッシー」という、存在自体があいまいなものへの過剰な期待、があったせいかもしれない。
ねつ造の告白
それが、「外科医の写真」から、59年後、1993年に、当事者の1人から、写真は、ねつ造だと告白があった、という。
写真を撮ったのは、クリスチャン・スパーリングという人物で、1人ではなく2人で行なったそうです。
最初はエイプリルフールの軽いジョークの気持ちでしたが、デイリーメール紙に掲載され話がどんどん大きくなってしまって、引くに引けなくなってしまい時間も経ってしまったのだそうです。
そうした報道などに対して、写真一枚が否定されても、それがネッシーの存在の否定にはならない、という言説を、当時、数多く目にしたのも、意外なようで、当然のようにも思っていた。長い年月をかけて、「ネッシー伝説」は、広く根深いものになっていた、という印象だったからだ。
人が信じる、ということの不思議
その後、2019年には、ネス湖全体の調査による、DNAでの鑑定によっても、ネッシーの存在が否定されている。
だけど、もうどれだけ科学的に証明したとしても、ネッシーという「伝説」は、世界中の「ネッシーを信じたい人のもの」になっているのだから、それはある種の信仰に似ていて、存在を否定するのは不可能ではないか、と思うようになった。
だから、「ネス湖の水、全部抜いた」といったことでもない限り、ずっとネッシーはいる、という人はいるのだろう、と思った。(水を抜いても、ネッシーの存在は否定できない、と言う人はいそうだが)。
人が信じる、ということの不思議さや、理不尽さみたいなものまで考えさせてくれるのが「ネッシー伝説」だと思う。
妖精写真事件
ここまでメジャーな「伝説」でないのかもしれないけれど、「妖精写真事件」も、かなり有名な出来事だった。
1917年、イングランド北部にあるコティングリー村に住む女の子エルシー(当時16歳)と、その従姉妹であるフランシス(当時9歳)がエルシーの父親から借りたカメラを使って、妖精の写った写真を2枚撮影することに成功します。3年後、この写真に関心を持った神智学者のエドワード・L・ガードナーが新しいカメラを渡すと、女の子たちはさらに3枚の妖精写真を撮りました。
この妖精写真についての論文を『シャーロック・ホームズ』シリーズで知られる人気作家のアーサー・コナン・ドイルが執筆し、雑誌に掲載したことでイギリス中に知られ話題になったといいます。
ここにコナン・ドイルが登場するところも、より「事件」を盛り上げてしまい、しかも、ドイルはずっと信じ続けていた、という。
その頃、ヨーロッパは妖精ブーム末期でもあったらしい。だから、より強く信じられた、ということもあるのだろうし、「少女が撮影した」ということが、「信じる力」を、さらに発動させたのかもしれない。
だが、この「事件」も、当事者が60年以上たってから、「告白」している、という。
大変な騒ぎになったため関わった大人に迷惑をかけないようにと、ガードナーやドイルなどが亡くなった後の1981年に、フランシスが作家のジョー・クーパーに初めて真相を告白しています。ただ2人とも5枚目に関しては撮影した記憶がないと言っています。フランシスに関しては妖精を見たことは真実だったとも主張しているんですね。
この「告白」が微妙なのは、4枚の写真は「ねつ造」だけど、残りの1枚は違う、というような話であり、これも、「信じる余地」を十分以上、残している。さらに、2人の女性のうちの一人、フランシスが、約60年後でも、まだ「妖精を見た」という主張をしている、という。
この撮影当時、フランシスは9歳で、エルシーが16歳。フランシスの年齢だと、もしかしたら、妖精を見てしまったのは、本人にとっては、完全に本当ではないか、とも思われる。その主観は否定できないが、当時、16歳のエルシーが、そう主張していないから、もしかしたら客観的には、いないのかもしれない、と思わせる微妙で複雑なエピソードになっている。
黙っている気持ち
「ネッシー伝説」の場合、「外科医の写真」は、首謀者は別の人で、どうやら最後に残った1人が「告白」したようだ。そうなると、黙って、そのまま亡くなった人と、「告白」した人とでは、その「黙っている気持ち」は違う可能性はある。
最初に話を持ちかけたのは、養父であるマーマデューク・ウェザラルだそう。
彼は、以前自分が見つけたネッシーの足跡を偽物扱いされてしまったことを、根に持っていたそうです。
そこで見返すべくあの写真を撮ったのだそうです。 (「BERMUDA」)
この「最初に話を持ちかけた」人は、騒ぎになったことも、もしかしたら、どこか得意気な気持ちさえあったのかもしれない。だから、黙ったままでも、少しは納得できる。
ただ、この「ネッシー伝説」の登場人物の中で、「写真撮影者」とされている外科医のロバート・ケネス・ウイルソンが、どんな気持ちだったのか。一番黙っているのが辛そうだけど、そのあたりは、はっきりしない。(私の調べる力不足かもしれませんが)。
この人が、この「ネッシー伝説」の中で、今でももっとも「謎」な存在のままなのかもしれない。
告白する気持ち
妖精写真については、「大変な騒ぎになったため関わった大人に迷惑をかけないようにと、ガードナーやドイルなどが亡くなった後の1981年に、フランシスが作家のジョー・クーパーに初めて真相を告白しています」という動機が語られている。
自分たちが秘密にする苦しさよりも、その時に信じてくれた大人たちに対しての配慮をしているとも思える。だけど、本人たちも、すでに高齢者といっていい年齢になっている頃だから、そうした大きな秘密を持っている人生については、想像するしかないが、やはり苦しいのだろうか。そして、苦しいとしたら、どのくらい大きく、どのような質なのだろうか。
「ネッシーの事件」については、告白した人に関しては、首謀者というよりは、頼まれて(養父であるから、命令に近いかもしれないが)参加したニュアンスが強そうだし、他の人たちが告白していないまま亡くなっていたとしたら、事実を知っているのは自分だけ、といったプレッシャーもあったのかもしれない。
それが、かなり辛かったとすると、60年くらい「秘密」にし続けるのは、どのような重さなのだろうか。最後に「告白」して、どんな気持ちになったのだろうか。
嘘をつくこと。その嘘が広く信じられるようになること。嘘が、いつの間にか、熱狂を持って信じられるようになること。
それによって、嘘をつき続けなくてはいけなくなること。
その状態で数十年も生きていくこと。
何十年後かに、その嘘を告白すること。
それでも、すでに、自分の嘘を信じている人たちは、納得してくれないこと。
その場所にいる人が、どんな思いでいるのか。
こうした膨大な要素を含めて、さらに想像することは、自分の能力では、あまりにも扱うには難しいことだと、改めて思いました。
そんな未熟な結論になってしまいましたが、分からないとしても、「とても大きい秘密を黙っている気持ち」や「告白する思い」などを、想像するだけで、普段では、思いもかけない光景が見えるような気がしました。
(「都市伝説」に、歴史の厚みがあることを、伝えてくれる本を、最近、読みました↓「ネッシー伝説」や「妖精写真」に興味がある方でしたら、オススメできると思います)。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。
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