見出し画像

「貸レコード屋」の時代。

 日本レコード大賞は、今も年末に発表される。

 最近になって、レコードの復権もあるから、レコードそのものがなくなることはなさそうだけど、この名称は、基本的には音楽の質も大事だけど、「多く聞かれた音楽」に対して評価する、という側面は欠かせないのだと思う。

 だから、現在、レコードで音楽を聞く人の数を考えたら、「レコード大賞」という名称は、変えてもいいのではないか、と個人的には思っている。

 だけど、今は「レコード大賞」への関心や注目も、20世紀ほどではなくなっているから、本当に個人的な関心なのは自覚していても、「日本音楽大賞」という名前に変えればいいのに、とは思うのだけど、それは音楽業界では、政治的に難しそうだから、素人考えでもあるだろう。

 それに、元々、「日本レコード大賞」という名称にした1959年には、「レコードの時代」は永遠に続くと思われていたのかもしれない。

レコードからCDへ

 レコードの発明者に関して、厳密に言えば、誰が発明したのかは微妙という話もどこかで読んだり、聞いたこともあるのだけど、公式にはエジソンということになっていて、最初は1877年だった。

 レコードの時代は長く続き、音楽を再生するメジャーな媒体として、たとえば、「レコード大賞」が始まった1950年代の末頃は、すでに80年ほどの歴史が経っている。

 そのころは、生まれた時からレコードで音楽を聴いていたような世代が、社会を動かすようになっているので、レコードの存在はごく自然で、いつまでもあるように感じるものだったのかもしれない。

 だから「日本レコード大賞」という名前も、当時の関係者にとっては、永遠に感じられていた可能性もある。


 そして、次の音楽再生媒体としてのCDが誕生し、商品化もされたのは、1980年代だから、レコードの時代は100年続いたことになる。

貸レコード屋

 1980年にアナログレコードを貸し出す専業の店として登場。その後1982年に登場したコンパクトディスクも貸し出すようになった。2000年代には専門店はほぼ姿を消し、レンタルビデオ(後のDVD)やゲーム、漫画の単行本等と共に複合化されている。

 今から振り返れば、本当にレコードだけを扱っている「貸レコード屋」が存在したのは、詳細に検討するのは難しいのだけど、1980年に「貸レコード屋」が登場し、CDが出たのが2年後だから、(強引に定義すれば)わずか2年間ということになるのかもしれない。

 ただ、CDという新しい媒体が登場しても、それまでレコードを再生できた装置では、当然再生できなかった。その再生に必要なCDプレーヤーは、発売直後は、かなり高額で、音楽の顧客だった多くの若者にとっては手に入らないものだったから、CDのレンタルが始まったとしても、しばらくは、「貸レコード屋」で、レコードを借りて、家でカセットテープに録音して、音楽を楽しむ、というスタイルが多かったはずだ。

 だから、「貸レコード屋」も、レコードとCDの両方を置く時代も、思ったより長く続いていたのだと思う。

昭和の音楽の楽しみ方

 それまで音楽を楽しむのは、ある程度、お金、もしくは手間がかかるものだった。

 たとえば、レコードでも10曲ほど収録されているLP(今は、アルバムという呼び方になっているけれど)は、直径30センチくらいだった。そのLP(この言い方に馴染んでいるのは、ある年代以上だと思いますが)を1枚購入すると、大体3000円程度だった。

 卵は物価の優等生、という言い方をされていて、それは、長年、値段が変わらないから、という理由のようだけど、こうして振り返ると、レコードや、CDといった音楽再生媒体も、今は、アルバムCD1枚(もう、あまり売れなくなっているらしいけれど)の値段が、30年以上前とそれほど変わらず、約3000円程度なので、卵と同様に、ほとんど変わっていないことに気づく。

 つまりは、昔の方が、レコードは相対的に、価格は高かった。

 音楽を楽しみたいとすれば、欲しいレコードを買って、ステレオ(これも、あまり聞かれなくなった言葉になった)にセットして家で聞くか。レコードをテープに録音して、1970年代に発売されていたウォークマンでなら、どこでも聞けるけれど、ウォークマンも、最初は安くなかった。

 だから、音楽を楽しむには、ある程度のお金がかかるのだけど、そうでなければ、音質は下がるけれど、手間をかけて「音楽を楽しむ」方法もあった。

 FMラジオで、音楽がかかれば、AM放送よりは音質がいい。だから、いつどんな曲がかかるか、ということが重要になるから、FM専門の雑誌が複数あった。それを確認して、自分の聴きたい曲を録音する。

 もっと原始的な方法としては、テレビの音楽番組などから、直接、録音も可能だけど、そのために、家族みんなが音を立ててはいけない、という、今では想像もできない光景が、おそらくは日本のあちこちの家庭であった。

貸レコード屋の利点

 だから、「貸しレコード」は、ありがたかった。
 購入する10分の1くらいの値段で借りられた。

 そして、個人的には、家にはステレオがあったけれど、カセットテープのプレーヤーがなかったので、ただレコードを聞くことしかできず、「貸レコード屋」でレコードを借りて、家でテープに録音してくれる友人にお願いしていた。

 そして、多くの場合は、1枚レコードを借りると、複数のテープに録音し、そのテープ代と、レコードのレンタル料も、何人かで割り勘していたから、さらに、値段を抑えられた。

 そんな方法で、お金をなるべくかけずに、音楽を楽しんでいた。お金のない若い人間にとっては、「貸レコード屋」は有難い存在だった。(著作権のことで、いろいろと紛争も、交渉もあったらしいが)。

貸レコードの時代

 貸レコード屋は、だんだんCDも置くようになったし、CDプレーヤーも普及してきたから、レコードばかりを貸し借りしていたのは、そんなに長い年月ではないと思う。

 そして、その後、CDの時代になり、その後は配信というデータになったから、音楽再生媒体という物質で「音楽を楽しむ人」自体が少数派になっていったから、レコードが主流の時代は、今から考えたら、とても遠く、20代以下の人には想像もしにくいことだと思う。

 ただ、貸レコードの時代に、それからあとの時代と何が違っていたのかと考えると、レコードという30センチ四方の平面を、街で持ち歩きしていた人が珍しくなくて、その大きさをバッグなどに入れるのは難しいから、片手で小脇に抱えていた。

 だから、「レコード」を持っている人が分かりやすく、透明な袋であれば、レコードジャケットというアートワークも丸見えになり、どんなレコードを持っているのかが、よく分かるのが、当時の自然な光景だった。

 つまり、「レコード」という「音楽再生媒体」を、街の中で頻繁に目にしていたのが、「貸レコード屋の時代」なのかもしれない。

貸レコード屋をつぶした男

 その持ち歩きのため、借りて返す手間が、より面倒くさいためか、借りて、返却期限を過ぎても返さない人間が、少なくなかったと思う。

 中には、ずっと借り続けて、そして、延滞金を考えたら、より返しにくくなり、さらに返せないまま、何ヶ月かたつ場合さえあった。日数分のお金を払うと大変なことになると、さらに返さなくなり、さらに時間が経ってから、そっとその貸しレコード屋を見にいったら、閉店していた、という人間までいた。
 
 その彼は、貸レコード屋をつぶした男、としばらく言われるようになった。

オシャレなレコードジャケット

 いつの時代でも、妙に異性にモテる人間がいる。

 そういう若い男は、オシャレな格好をさりげなくしていて、そして、貸レコード屋の時代の頃も、脇に抱えているレコードも、それは、もしかしたら、同じようにおしゃれな友達に借りたものかもしれないけれど、私のようにモテないゾーンにいる若い男から見たら、いつも、知らないレコードジャケットだった。

 それも、英語で書かれているから、いわゆる洋楽で、オシャレそうに見えた。そういう姿に、圧倒的な文化資本の差を感じながらも、時々は、その「知らない」レコードのことも聞いて、自分自身も、モテる方向へいこうともしたのだけど、そのタイトルを聞いても、彼にとっては日常的な言葉のはずだけど、私には、覚えられなかった。

 そのオシャレな感じと、レコードジャケットを抱えた格好のイメージは覚えているけれど、その具体的な音楽に関しては、本当に記憶にない。

時代の流れ

 街角に個人経営の「貸レコード屋」もあるような時代は、おそらくかなり短く、そして、ビデオテープもDVDになり、音楽も映画も、ほとんどが「TSUTAYA」でレンタルできるようになった。

 でも、その「TSUTAYA」でさえ、レンタルから徹底する時代になった。

 自分があまり利用していないので詳しくは知らないにしても、音楽も映画も、再生媒体という「物質」で見聞する時代は、もうすでに去って、全てが配信中心に移っているのは間違いないと感じている。

シティ・ポップ

 チェーン店だけでなく、個人経営の「貸レコード屋」も街なかにあり、若い人間が、そこで貸し借りをしていたレコードを小脇に抱えて、道を歩いていた時代は、本当に短く、あっという間に去ってしまっただろうことは、振り返ると、改めて分かる。

 それが、特に2010年代になって、日本の過去の音楽が、再び、世界で、聞かれるようになった。

 それは「シティ・ポップ」と呼ばれるようになったが、その音楽が最初に流れていたのは、1970年代から1980年代の「貸レコード屋の時代」と、かなり重なるような気がする。

 その印象は、その時代を知っている人間の、ただの感傷の可能性も高いと思うが、そのころの音楽を、ラジオなどで、また聞く機会が増えたのは意外で、さらには、リアルタイムで聞いていた時とは違って、うれしさも、確かにある。




(他にもいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。



#貸レコード屋   #レンタルレコード   #レコード

#CD    #音楽  #歴史   #貸レコード屋の時代

#思い出の曲


この記事が参加している募集

#思い出の曲

11,252件

記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。