2024年の確定申告
収入は今もとても少ない。
介護に専念していた10数年は、仕事をやめていて収入はなかったから、親の年金や貯金を切り崩して、ギリギリの生活をしていた。
だから、支出を減らそうとして、スマホも携帯も所持することもなかった。介護に専念し始めた20世紀の後半には、そういう人間もそれほど珍しくなかったけれど、2000年代に入ってアイフォンが登場したのが、確か2007年で、その騒ぎはニュースで見て覚えているけれど、自分とは無縁だった。それでも、その後、こんなに爆発的に普及した商品は、おそらく人類最後になるのでは、と思うくらいみんなが持つようになった。
収入がない生活は、とても不安だった。だけどほとんど目の前の介護のことだけで、10年がすぎた。
無職
2010年になって、介護を続けながら、学校に通い資格を取得した。介護中に、家族介護者にこそ、心理的支援が必要だと感じるようになったからだった。
でも、すでに中年になっていたから、さらに、妻と二人で介護をしていて、私は夜中担当だったから就寝が午前5時過ぎなので、午後からの非常勤やアルバイトに絞って応募したが、履歴書が戻ってきたり、返事がないまま、学校を出てから1年間は、仕事は見つからなかった。
もしかしたら、資格をとったら、という希望を持っていたけれど、何十通も履歴書を送り、面接に進んだのが3回くらいで、他は全部「お祈りします」という文書やメールを受け取っていたので、思った以上に気持ちがやられていたと思う。
今振り返ったら、自分にとっては、かなり辛い1年間だった。その当時も、介護は続けていたのだけど、他に何もする気持ちになれなかった。それは肉体的な疲労や、介護による精神的な疲れだけではなく、仕事が決まらないのは、社会から改めて拒絶されているようで、それがダメージになっていたのだろう。
やっと仕事が決まったのは、学校を出てから1年と少しが経った頃だった。
それでも、月に3日程度。
午後数時間の仕事だったけれど、それでも、2つの仕事のうち、一つは介護者の心理的な支援をする仕事だった。
知り合った方に紹介してもらったのだけれど、とてもありがたかった。
仕事をするのは、15年ぶりだった。
源泉徴収
もちろん、収入は、とても少なかったけれど、どこかに所属して仕事もしていなかったし、支援の仕事は、源泉徴収票が発行されたので、確定申告が必要になった。
介護をして、仕事をやめる前は、フリーのライターをしていたので、確定申告をしていた。その頃も、恥ずかしながら、それほど多くの仕事を依頼されるわけではないので、収入は少なかった。
それでも、取材をして書くことは、自分にとってはとても楽しかった。仕事が増えないのは、1990年代になってワープロが普及し始めたのに、ずっと手書きで原稿を書いていたせいもあると思う。
原稿の質が高ければ、それでも大丈夫ではないか、と思っていたが、そんな一部の巨匠だけが許される方法では、仕事が増えるわけがないのは、今だとわかるが、その頃には気が付かず、そのうちに介護が始まり、とにかく目が離せない時期が続き、何度か仕事を断っていたら、いつの間にか無職になっていた。
それから、15年ぶりに確定申告をしたのは、収入はとても少ないけれど、細々とながら仕事をするようになって、源泉徴収されていて、交通費や資料や研修費などの経費もあったから、申告すれば還付されるからだ。ただ、基礎控除などだけでも、還付金は戻ってくるはずだった。
税務署に行って、書類を提出するために列に並ぶたびに、ここの中で最も収入が少ないのは、自分ではないか、と思っていた。だけど、この手間で、少しでも還付されるのなら、と思って確定申告を続けた。仕事は減ることはあっても増えることはなく、月に1度か、2度になっていた。
介護は続き、就寝は午前5時過ぎの昼夜逆転の生活も継続していたが、2018年の年末に、介護を続けていた妻の母親は倒れ亡くなってしまい、介護も突然終了した。
翌年の2月、初めてインフルエンザを発症し、高熱はこんなに怖いのか、と思った。介護をしていた人間は、免疫機能がかなり衰え、それが介護終了後の5年は続く、という研究論文を知っていたこともあり、とにかく1年間は無理をしないように、妻と二人で暮らしていた。
そうして、少し生活のリズムも修正されてきて、仕事を増やせるかも、と思っていたら、コロナ禍になった。妻は、介護をしていた時期にぜんそくになってしまったし、私も介護中に心房細動の発作を起こし、左心房肥大になったことがあり、完治はしない、と言われていたこともあり、とにかく感染を避けるようにしていた。
だから、仕事をするにしても、満員電車には乗らないように、と考えていたら、やはり、ほとんど仕事は増えなかった。それでも、少しだけ収入は増えたけれど、ギリギリは変わらず、まだ携帯もスマホも所持できなかった。スマホなどが優先順位の上位に来ない発想自体が、すでに社会に受け入れられなくなっているのも、理解されにくくなっているのもわかっていたが、でも、定期的な支出はなるべく減らしたかった。
インボイス制度
そのうちに、「インボイス制度」という言葉を聞くようになった。
これだけ複雑になった税制度を理解するのが無理だと思っていたけれど、反対の署名運動が起こっているのは知っていた。
自分がフリーライターをしていた期間では、1997年に1度、3%から5%になった。だけど、それで原稿料が上がった記憶はない。
だから、免税業者、という表現にはずっと違和感があって、非課税業者、という方が正確ではないかとは思ってきた。現在も、消費税の増税があるたびに、消費者として支払うことはしてきたけれど、消費税分を誰かから、どこからか払ってもらう経験はないと思う。
おそらく、「インボイス制度」に反対している人たちも、状況は似ているのではないだろうか。
こうした記事を読んでいると、この税制度にかなりの無理があるのも分かるけれど、政策として一度決めたことは、何が何でも実行してきた歴史は見てきたので、今のところは、ただ諦める気持ちと、無力感と、でも、この変化は確実に自分にとっては良くないのはわかるので、未来への希望がまた一つ消えたのはわかった。それに税に関して、何かを発言することへの恐怖感もある。
これから先、書くことも仕事にしていきたいとは思っていたが、その可能性が、このインボイス制度で、また減ったと思った。
2024年の確定申告
時々、こういう表記で迷ってしまうことがあるのだけど、2024年の確定申告は、あくまでも2023年分(令和5年)の収入などに対しての申告になる。
以前は、確定申告の書類は郵送してもらっていたのだけど、今は区役所などに取りに行かないといけなくなった。申告のたびに、郵送のことを聞いたこともあったのだけど、何か難しそうで、諦めてしまった。
今年は、以前と書類が変わるのではないか、と不安だった。だけど、インボイス登録をしていない場合には、その形式は変わらないようで、それには少しホッとした。だけど、これから先、どうなるかわからない不安はずっとある。
それは、これだけ収入が少なく、現時点では、インボイス制度とはあまり関係がなさそうな状況(アルバイトと、介護関係の仕事のため)とは言っても、どうなるのかわからない。
それでも、これまでと同様に、領収書などを集めていたので、計算をして、そうした作業にとても時間がかかり、元々、事務作業全般が苦手なため、とても苦痛で、だけど、やっと作成ができた。
今回の書類が、これまでと違っていたのは、昨年までは二つ折りで配布されていたのが、折らずに積み上げられていたことだった。出張所の方には、2つ折りに折ってもいいとは言われたのだけど、なんだか折るのが怖くて、いつもよりも大きいA3サイズの封筒に入れるようにした。
税務署に提出するときも、そのサイズの封筒に入れたから、カバンなどには入れることができず、出かけるときも手で持っていった。風が吹くと揺れて、折れそうになり、その封筒ごと支えた。
午後に出かけたのだけど、税務署に到着するまで、ずっと緊張感があり、だけど、この日は空いていて、税務署の建物に入ったら、すぐにベテランの男性職員に呼ばれ、提出した種類に目を通してもらい、確認しハンコを押して、これで完了です、といったことを言われた。
入り口に入ってから、ここまで5分も経っていなかったと思う。
いつも思うのだけど、あれだけの時間をかけた書類は、提出するのはあっという間で、特に今回は早くて、拍子抜けするくらいだった。
税務署の建物を出て、駐車場などがある敷地内を出るときに、マスクをした女性のスタッフから「お疲れ様でした」と頭を下げられたので、こちらも頭を下げた。
なんだか恐縮してて、こんなことまでしなくてもいいのに、と思いながら、建物の中で提出したときの職員には、こうした言葉をかけられなかったことを思い出した。
2024年は、ちょうど確定申告の時期に、政治の世界で、裏金の問題が起こり、それは確かに確定申告の動機を著しく下げるものでもあったけれど、でも、申告しないと、私の場合は、源泉徴収した分の還付は受けられないし、それ以外にも何かあるかも、という怖さはあるので、とにかく申告はしたと思う。
ただ、今回は特に割り切れない思いは強かった。
これから先に明るさは、全く見えない。
(他にもいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
#習慣にしていること #確定申告やってみた #税務署
#確定申告 #インボイス制度 #不安 #還付金
#源泉徴収 #手続き #事務 #毎日投稿
記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。