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『生き心地の良い町 ― この自殺率の低さには理由がある』 岡檀 「手応えのある希望の研究」

 この書籍のことは、他の本でも「話題」になっていた。そして、このことが本当だったら、もっと広く「話題」になってもいいのに、と思っていた。

 「生きやすい場所」があることは、この日本ではあり得ないのでは、と自分が疑っていることに気がつくと、こんな自分でも、どこか世の中に対して、諦めていることが分かる。

 そして、この「生きやすい場所」をテーマにした時に、その中の、ある要素を取り出して、それを広げて大げさに語って、事実かのように語るような文章には、一瞬、希望につながる気もするけれど、信頼を置けないことによって、本当の希望には育ちにくい。

 一方で、こうしたテーマを「研究」として扱う場合、厳密さや正確さが大事だから仕方がないのかもしれないけれど、読者としたら慎重すぎて、もう少しはっきり言ってくれないと、希望にはつながらないのに、と思うことも少なくない。

 どちらであっても、本当に手応えのある希望になることは、無理なのではないか。(と、この本を読むまでは思っていた)。

『生き心地の良い町 ― この自殺率の低さには理由がある』  岡檀(おか まゆみ)

 著者が、探ろうしたもの、分析しようとしたもの、見つけようとしたものが、「自殺予防因子」だった。

 何かが起こった原因や理由を「因果関係」として提示すること自体も、おそらくは難しいと思われるのに、「起こらなかったこと」の「原因」や「理由」を探ることは、さらに困難だということは素人でも予想がつく。

 まず前提として、自殺率の低い地域はデータとして出ている。そして、そのベスト10の多くは「島」だという。それ自体の理由も知りたいところだけど、その中で、唯一「島」でないところ。そこが、結論として「生き心地のいい町」となる徳島県海部町だった。

 研究として論文を仕上げるとしたら、最初の時点では、どうなるのか見えないままで、周囲からは、難しいし無駄になってしまうからやめた方がいい、といったアドバイスもされるし、多くの人は(おそらく自分が同じ立場なら)この時点で諦めて、もっと見通しが立つような調査をしたくなってしまうと思う。

自殺予防因子

 そこから、著者にとっても、ほとんど何も分からないまま、ほぼコネもなく、現地に行き、住み始め、時間もかけて丁寧に、そこに住む人に話を聞き、だんだんと分かっていく過程も、興味深い面がある。

 どこか、お伽話のような、のどかさも感じさせるが、そう思えるところが、著者の特徴であり、こうした困難な調査と研究の成果を上げることができた要因かもしれない。

 調査と分析により、自殺予防因子の5つは明らかにされた。それは、まだ仮説という言い方もされるかもしれないけれど、それでも読んでいて、説得力がある。

 それらを5つ、短い言葉で並べると、伝わりにくいこともあるし、興味を持ってもらえたら、この本を手に取っていただきたいので、申し訳ないのだけど、全てを紹介することは避けたいが、この中の2つの要素だけを、ここで紹介したい。

いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい

 この言葉は、今で言えば「多様性」なのだけど、この著者が明らかにした事実は、一見、信じられないような印象を抱いてしまうほどだ。

 例えば、募金については、とても集めにくいし、老人クラブへの加入についても、承諾を得ることが難しい土地のようだ。その理由の根本にあるのが「多様性の尊重」だった。

 すでに多くの人が募金をしましたよと言ったところで「あん人らはあん人。いくらでも好きに募金すりゃええが。わしは嫌や」とはねつけられる。
 募金や老人クラブへの加入を拒む人々が、他人を足並みそろえることにまったく重きを置いていない点にある。

 昔からの住民が多いような地域ほど、同調圧力が強い、というのが個人的な印象だから、こうした事実自体が、にわかには信じられないような気もする。さらに、この海部町は、特別支援学級設置に反対をしている人が多いのだけど、その理由が、この多様性の肯定といった考えを元にしていることが明らかになる。

他の生徒たちとの間に多少の違いがあるからといって、その子を押し出して別枠の中に囲いこむ行為に賛成できないだけだ。世の中は多様な個性をもつ人たちでできている。ひとつのクラスの中に、いろんな個性があったほうがよいではないか。 

 素人の見方に過ぎないけれど、このような考えが「常識」になっている、というだけで、生きやすい場所にしか思えない。

ゆるやかにつながる

 このことも、一見、従来言われているようなことと近いように思う。

 「絆」という言葉で、肯定的に表現されるような場合もあるのだけど、この海部町の大事な点は「ゆるやかに」という部分で、それは、踏み込み過ぎず、放って置かれない、といった絶妙な距離感を保たれている、ということで、心地よく見守ってもらえている状態、と言ってもいいかもしれない。

 ただ、それが意外に響くのは、しっかりとしたつながりの方が「自殺予防因子」になりやすいのでは、と思ってしまいがちだし、著者自身も、そのような考えを持っていたようだった。

 人との絆が自殺対策における重要な鍵であるとする主張自体は、まったく間違っていない。私自身もまた、かつてはこの通説をよく引用していた。ただし今ふり返って思うのは、その言葉を引用するだけであたかも何かを伝えた気になって安心してしまい、思考停止してはいなかったということである。よりこまやかに内容を検討し、さまざまな場面に当てはめて検証していくという作業を、かつての私は怠っていた。

 それが変わったのは、海部町の調査・分析の後なのは、間違いないようだ。

支えていたもの

 この研究は、おそらくは読者が想像する以上に困難なことがあったと思われるのだけど、それを支えていたものの一つが、最後の部分で明らかにされている。

 自殺って、それほど悪いことなのでしょうか。
 私のところへ来て、静かな口調で尋ねた初老の女性がいた。

 自殺予防に関する講演の後で、そんな人が著者の元を訪れた。自殺によって遺族になってしまった家族への周囲の対応について、著者の考えは、元からはっきりしていた。

 悲嘆にくれている遺族に対し、さらに彼らを痛みつける周囲の人々の無知と偏見。「死ぬ気になれば何でもできる」という紋切り型のセリフを、その意味をふり返って考えることもせずに、ただ投げつける。このような仕打ちは、絶対に間違っている。 

 それが、この初老の女性との出会いの後、さらに著者の気持ちに深化をもたらした。それが、今回の研究を支えた要素の一つだと思える。

 この日を境に、胸に刻んだことがある。私は、自殺した人を決して責めない。その思いは以前からもっていたものだったが、よりくっきりとした形をとって心の中に根を下ろした。


 どんな人にでも勧めることはできないとは思うのですが、それでも、想像以上に、幅の広い人に届く著作だとも感じています。

 今回の紹介で、少しでも興味を持っていただけたら、ぜひ、読んでいただけたら、と思っています。とても楽観的すぎる見方かもしれませんが、一人でも多くの人が読んでもらえたら、ほんの少しでも、この国の「生き心地の良さ」が増すような気がするからです。



(他にも、いろいろなことを書いています↓。読んでいただけたら、うれしいです)。


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