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いろいろなことを、考えてみました。

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自分の能力の足りなさを自覚しながら、いろいろなことを、考えて、書いて、考えました。
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#多様性を考える

「病気についての常識」で、改めて確認してみたいこと。

 なるべく外出しないようにしているけれど、昨日は、出かけた。  帰りの電車は、人がぴったりくっつくほどの距離だった。午後8時くらいになっているのに、乗れないくらい混んでいたから、もう1台待って、それでも、けっこう混んでいた。列の一番前で待っていたから、座れた。隣の男性が少しせきをする。同じ車両の遠くの方で、せきをする声が、複数聞こえる。  この前は、これまでだったら、駅の男子トイレは手を洗わない人も結構いたのに、3カ所ある洗面台の液体せっけんが全部、空だった。スーパーのアル

「警備ロボット」の存在が、改めて考えさせてくれたこと

 都心の新しいビルで、初めて「警備ロボット」を見た時は、ちょっと驚いたのと、未来が具体的にやってきた感じがした。 初めて、「警備ロボッ」トを見たとき ロボットは、多くはペッパーくんのように、かなり小柄で、それはロボットはどうしてもボディが固いので、同じ大きさだったらかなり圧迫感があるはずで、という配慮のためだろうけど、「警備ロボット」は、それよりは大きく見えた。  それは、警備という役割を考えたら、当然のはずで、ここにいる、ということがわからないと意味がないからで、ただ、

最新のビル・新しい企業・エリートな気配・クールすぎる空気。

 大きめの駅で降りて、久しぶりの改札を出ると、駅前の風景が変わっているように思えた。  それは、それまでに記憶にないような大きく新しいビルができていたからだった。そこには、あまり聞いたことのない店などもあって、魅力的に見えたので、そこを通り過ぎて、用事が終わってから再び目の前を通ったので、そのビルに入ることにした。 飲食店 外から見たら、ロゴもカッコよくて、何かあまり見たことがお店の名前だったので、珍しくておしゃれなものが売っているのでは、と妻と一緒に思って、何段かの階段

「ルールが理解できない」という能力について

 かなり無茶な設定なのだけど、悪魔を表現するCGや、さらには、新しいゲームをどうやってつくるのか、といったことが気になるし、もしかしたらマンガ『カイジ』に似てくるのかもしれない、といった予感もあって、ドラマ『アクマゲーム』を見ている。  ただ、「アクマゲーム」として戦っているゲームのルールを、テレビだから映像も含めて丁寧に説明しているはずなのに、そのルールがびっくりするくらい分からなかった。  それは、全く知らない外国の言葉。もしくは見たことがないスポーツが急に始められた

気がついたら「セルフレジ」ばかりになっていた

 コンビニによっては、スタッフと直接金銭の受け渡しをしなくなった。  レジで商品を渡すとバーコードで値段を表示して、その機械の画面をタッチして支払いをする。  気がついたら、列の前に並ぶ人がカードだったり、スマホをかざして電子マネーといわれるシステムを使っていたりする場合も多くなり、現金を使う人が減っている実感はあるものの、自分自身はずっと現金を使い、機械の場合にはなるべく小銭を投入するなど、以前とは少し違う行動をするようにはなった。  最初は戸惑ったが、少し経つと慣れ

少しでも、残酷さを減らすために出来ること

 なんとか、少しでも世の中が良くならないだろうか。  そんな漠然とした思いは、濃淡は変わっても、いつも心の中にあるような気がする。それは、純粋に利他的なことではなく、そうなったら、自分ももう少し楽になるのではないか、といった打算的な気持ちも込みだったりする。  同時に、戦争など大きな悲劇があると、何も出来るわけがないから、なるべく考えないようにしてしまう時もある。そんな人間の「少しでも世の中が良くならないだろうか」といった願いには、何の力もないのだと思うこともある。 星

「甘えるな!」と、つい思ってしまう理由を考える。

 最初は、ご近所同士で、料理をつくりたい女性と、料理を食べたい女性の交流の中で、レシピのようなものを紹介するのがメインかも、などと思っていたドラマが、もう少し人との関係を描くドラマに変わっていった。 作りたい女と食べたい女 きちんと見たのは、このシーズン2からで、その女性同士が好意を寄せ合っているのがお互いにわかり、付き合い始めるという展開にもなる。それは、原作を知っていれば当然の前提なのだろうけれど、最初は、そうした話の進み方をするとは思っていなかったので、少し意外だった

「時代遅れ」ではなく、「時代違い」。

 時代は変わる。  そんな言葉を聞いたのは、もう随分昔で、それはボブ・ディランが歌っていた。  本人はそれから60年が経っても現役で、しかも来日したときは、新しいアルバムの曲だけを歌っていて、2023年にはライブにも行ったけれど、この「時代は変わる」を聞いたのは会場の外で待っている時に、スピーカーから往年のヒット曲が流れ、そのうちの一曲としてだった。  だから、考えたらボブ・ディラン本人は、今も「時代は変わる」を身をもって示しているのかもしれない。 諸行無常 もっと昔

『21世紀の「頭がいい」とは何か?』を考える。(後編)。

 人類にとって、「あたまがいい」とは何か?を改めて考えると、その時代によって違いがあるはずだった。  だから、紀元前からたどり直す必要があると思い、未熟であるのは自覚しているものの、なんとか、そこから21世紀の現代まで到達できた。  それが、前編だったのだけど、後編では、そうしたことを踏まえて、21世紀のこれからに必要な「頭の良さ」をさらに考えていきたい。 失われた30年 バブル崩壊以来、ずっと停滞が続く日本経済、だけではなく、日本社会全体を表す言葉として、「失われた1

『21世紀の「頭がいい」とは何か?』を考える。(前編)

 頭がいい、という事については、ずっと関心を持たれているけれど、人類は知力で生き残ってきたのだから、それも当然だと思う。 ゼロから考える力 世界の大学の入試をバラエティーとして放送している番組の中で、面接問題として出題されて、それに対して、社会的に「頭がいい」とされている出演者が模擬面接に挑む、という形をとっていた。  それは、答えがないことを考える、という意味で「ゼロから考える力」という言葉につながっているようなのだけど、でも、まったくのゼロではなく、何かしらの考える材

「人生経験」という言葉について、改めて考える。

 それほど豊富な知識や経験があるわけではないけれど、例えば、女性が友達の彼氏を紹介されて、どうほめていいのか分からないとき、「優しそうな人ね」と言うらしい。  それを知ったときには、かなり納得もしたし、自分のこととして思えて、そういえば、「優しそう」みたいなことを言われた記憶が蘇り、他の言われ方もしていないことも思い出し、ちょっと落ち込んだ。 「人生経験」という言葉 自分が若いとき、例えば自分よりもかなり年上の世代の人と話をしたとき、圧倒されるほどの人もいた。それは、ごく

灰皿の時代。

 街の中華屋に入ったとき、昔ながらの木目模様で、縁が鉄の薄い板で囲われている机の上に、灰皿があった。  今の時代だと飲食店に最初から灰皿があるのは珍しかった。それに、銀色で軽く、この灰皿を知らない人から見たら「UFO」のように見える形も久しぶりに見た。それも、銀色で比較的新しく、おそらくは今年買ったばかりではないか、と思えるほどだった。  まだ、灰皿は新しく作られている。  それは需要がある以上当然のことなのだけど、こうして具体的に形として見ると不思議な感じがした。

「介護離職」について、改めて考える。

 介護離職は、ずっと存在していた、と思う。  ただ、それが改めて注目されたのは、2015年に政策として「介護離職ゼロ」が掲げられたからだった。  それから8年が経って、その言葉はあまり聞かれなくなった。  その後がどうなっているのか。自分自身も、介護離職を経験した一人として、ずっと気になってはいた。 介護離職ゼロ 毎年、約10万の人が、介護のために仕事をやめている。  そのことに対し、主に労働力の不足のような視点で、「介護離職ゼロ」を目指しているような印象があった。

「世の中、きれいごとだけじゃ生きていけない」は、どこまで本当なのだろうか?

 世の中、きれいごとだけじゃ生きていけない。  そんな言葉は、若い頃から聞いて、大人になってからも耳にして、それからかなりの年月がたって、すでに、自分より若い人たちに、そんな教訓のようなことを(望まれていないかもしれないけれど)場合によっては、言わなくてはいけない年代になった。  そんなふうに時間が流れたのが、時々、信じられないような思いになる。  そして、もしかしたら、気がつかないうちに、偉そうに、分かったような教訓を誰かに言っている可能性もある。そう思うと、恥ずかし