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震災の記憶。【デザート】

メインの詩を堪能していただけましたか?

さて、そういうわけでデザートが欲しくなったあなたへ、はたまたデザートだけ食べたいあなたへ、私の思うところを書いていこうと思います。

今回は、今日が東北大震災のあった3/11ということで、それについて詩を書いてみました。

私は直接震災にあってはいません。あの時は家で家族とあの悲惨な惨状の生中継をテレビで見ていました。

まだ、津波の恐怖を知らなかった頃です。
学生時代のことで、なぜかあまりはっきりとは覚えていません。もしかすると無意識に記憶から消そうとしたのかもしれません。

なんとなく頭にこびりついている映像が2つだけ。

1つは、津波から逃げてくる人を救おうと丘の上から必死で手を伸ばして、逃げてきた人の手を掴もうとするも届かず、その人が津波に飲み込まれていく映像。

あと1つが、津波で飲み込まれていく町をヘリコプターで上空から撮った映像。

この映像だけが頭から離れず記憶として残っています。

それ以外のことは覚えていません。見ていたはずなのに、生きていたはずなのに、思い出せません。

この詩はそんな映像から私が勝手に考えて書いたものです。救おうと伸ばした手がもし私だったら。そんな事を考えてみたり。

救えなかった事も、生きているのが自分である事も、それがきっと運命でどうすることもできなかった。そうだと分かっていても、亡くなった人も生き延びた人もつらくて苦しい気持ちが拭いきれないでいると思います。
私は生きて、いつも通りの日を過ごして、ご冥福をお祈りすることしか今はできません。

それでも、そうするしかないのなら、それを全うするのが今の私がやるべき事なのだろうと思います。

どうか、皆様に少しでも幸あれ。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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