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セクシャルマイノリティ×フローリストの私だから出来ること

花屋に勤めて日々疑問に思っていること

現在花屋に勤めて10年近く、花の仲卸を2年ほど経験しました
花屋の仕事では主に注文の花束やアレンジメントの制作などを担うのですが
どうしても、お客様に「女性の方ですか?男性の方ですか?」と聞いて色味を男性ならイエローオレンジ系に、女性だとピンクレッド系に作ったりすることに疑問でした。男性だから、女性だからじゃなくて「贈りたい相手」がどう思うか、どういう色が好きで、どういう人なのか…もっと贈る側の人と贈られる側の人に思いを寄せたい。

そもそも、私はどうやってセクマイってことに
気づいたのか?それからどういう行動して、どういう風になったのか…?
ちょっとだけ掘り下げていきたいと思います。

セクシャルマイノリティであることの自覚

私は高校2年生の頃に、転校生の同性に恋をした。
クラスは違えど選択授業が一緒だったり周りの友達が仲良くなったりで
自然とその子とも話すようになった。恋、なんて感情まだ自覚も無かったのだけれどその子が他の友達と仲良く楽しそうに話しているのを目にすると自分でも驚くくらい嫉妬していた。確信的だったのが中学卒業後にその人に彼氏ができたこと。激しい嫉妬心と執着にも似た独占欲。悲しみに近い怒りと失望と無力さ。自分の中で醜い感情が埋めくのを感じた。同性に本気で恋をしていたんだと感じた出来事だった。

セクマイ、と自覚してからの気持ちと行動

セクシャルマイノリティ、同性愛者だと自認してからは当時の掲示板やミクシィという今で言うSNSなどで自分と同じ人と知り合いたいと思い積極的にコミュニティに参加したり、掲示板で友達を探したりした。

地元を離れて進学してからは、私のことなんて誰も知らないという気持ちが強くて特に隠すこともなくレズビアンバーやオフ会などにも参加していった。

考えてみれば親からの刷り込みで「結婚」をずっと意識していて
何となく、「将来はきっと男性と結婚する、今だけ女性との交際を楽しむ」くらいに考えていたように思う。今考えると不思議。そこに自分の意志はなくて「そうならなければならない」と思っていたように思う。

「就職は、鹿児島(地元)でしてね」という母親の言いつけを破り、
「就職が福岡決まった」と私は福岡で花屋のスタッフとして働くことになった。

Twitterで繋がった、セクマイ友達

自分と似たようなセクシャルマイノリティの友達が欲しくてTwitterを始めた。最初は身内で、日常を呟き合い交流することがメインだったけれど他県の方や様々なセクシャリティの方々ともフォローし合い世界が広がった。私に発信出来るのは綺麗な花ぐらいだ、と作った花束やアレンジメント、入荷した花などを紹介したりするうちに友達から恋人に渡す花の相談を受けたり、全くお会いしたことのない方からもお問い合わせいただいたりすることが増えた。来店されたお客様に「Twitterやってらっしゃいます?」と聞かれ私のフォロワーさんだったこともある。(今や常連さん)

私にお手伝いできること

Twitterで目にすることがあったツイートで
「花やラッピングの要望を伝えたのにしつこく渡す人の性別を尋ねられた」
「彼女のこと彼氏と噓をついてオーダーすることにもやもやする」などを見かけたことがあり、私がかかわることで少しでもセクマイさんたちが嫌な気持ちになるも嘘をつくこともしなくていいお花選びの手伝いが出来たらなあと思っております。

繰り返しになりますが、「贈りたい相手」がどう思うか、どういう色が好きで、どういう人なのか…もっと贈る側の人と贈られる側の人に思いを寄せたい。オーダーをする側も、オーダーをされ花を作る側も

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