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ひと畝日記④

前の人が植えていた青紫蘇と赤紫蘇の葉が、夏の間重宝した。紫蘇の実ができたので、畑に行くたびに穂先を摘んで帰る。実をとるのが面倒そうだと思っていたけれど、穂をしごくと実がパラパラ落ちるのが気持ちよいので、本を読んでいた娘に声をかけた。しぶしぶ作業を手伝う娘だったが、だんだん面白くなったようで、おしゃべりしながら、二人であっという間に作業を終えた。 野菜の植え方や手入れの仕方を教えてもらったり、庭で梅干し用の梅を採らせてもらったり、ヘチマやホオズキが食べれることを知ったり、挨拶

    • 名乗らずに、書いたものを誰かに読んでもらうのは、変な気分だ。ノートじゃなくてこのnoteに書くのは、独りよがりになるのが嫌だったから。わたしを知らない誰かに見てもらいたかったから。書くことが浮かばないまま、書き始めることで、自分に何が起きるか知りたかったから。

      • ひと畝日記③

        秋晴れの農道は、どちらを向いても黄金色の稲穂。 二週間くらい前に白菜と大根と人参の種を撒いて、大根と白菜は芽が出て、人参は芽が出ない。ひと畝借りているゆきさんに聞いたら、人参は難しいのだそうだ。土の中で何が起こっているのかな。 大根は虫に食われちゃっているけど、大丈夫なのか?葉っぱを食べる虫は飛んでくるんだと。ほらあの蝶々とかね…って、畑の先輩きょうちゃんが言う。 落花生のあたりの草を刈っていたら、馬鈴薯の小さいのみたいなものが、茎??にくっついていた。おお、これは!落

        • 他人に言っていることのほとんどは、自分に言っている。

        ひと畝日記④

        • 名乗らずに、書いたものを誰かに読んでもらうのは、変な気分だ。ノートじゃなくてこのnoteに書くのは、独りよがりになるのが嫌だったから。わたしを知らない誰かに見てもらいたかったから。書くことが浮かばないまま、書き始めることで、自分に何が起きるか知りたかったから。

        • ひと畝日記③

        • 他人に言っていることのほとんどは、自分に言っている。

          生きる

          自殺のニュースを見て思い出したけど、吉本隆明さんが「人間の不健康さ」を「人間の精神の可能性」と言い換えていた。「健康な方にも不健康な方にも浸透し炸裂する」のが人間の精神で、戦争の怖さとは「人間の健康さ」だけを言いふらすことだそうだ。そんな状況で「追い詰められて」人間は「健康」になるが、本当の意味での健康とは違うらしい。 今に似ている。 不健康な心で生きたっていいよ。それが今の自分だから。

          ずいぶん間が空いてしまった。自分で書いたものを読み返すと、どうでもいいこと書いてるなぁ、なんて恥ずかしい気持ちになって書くのが嫌になる。 でも、それは変化しているということなんだろうな。つまりは、生きているということだ。

          ずいぶん間が空いてしまった。自分で書いたものを読み返すと、どうでもいいこと書いてるなぁ、なんて恥ずかしい気持ちになって書くのが嫌になる。 でも、それは変化しているということなんだろうな。つまりは、生きているということだ。

          歳をとってもあんまり変わらない。生まれたときからリンゴの芯みたいなのがあって、それは死ぬまで変わらない。みんな大人になったフリしてるけど、子どものまんまの自分がいる。

          歳をとってもあんまり変わらない。生まれたときからリンゴの芯みたいなのがあって、それは死ぬまで変わらない。みんな大人になったフリしてるけど、子どものまんまの自分がいる。

          ネコの終生完全室内飼いって、どうなんだろ。ネコの喜びは徘徊じゃないの?

          ネコの終生完全室内飼いって、どうなんだろ。ネコの喜びは徘徊じゃないの?

          ひさしぶりに回転寿司に行ったら、ゲームセンターみたいで驚いた。食べた皿を投入口に入れたらガシャポンできるって何だそれ!

          ひさしぶりに回転寿司に行ったら、ゲームセンターみたいで驚いた。食べた皿を投入口に入れたらガシャポンできるって何だそれ!

          ひと畝日記②

          ひと畝だけ間借りして、生まれてはじめて自分の野菜を育てている。きゅうりはスタートダッシュという名前のとおり、1本目の実が驚くほど早くなった後、遅い梅雨明けにもかかわらず、はじめに水をやりすぎたのか、それとも梅雨明けして暑さが厳しかったせいか、3本目の実ができはじめた頃に枯れた。トマトは、水が足りないくらいがいいと油断して畑に行くのをさぼっていたら、これまた枯れた。トマトが枯れるだなんて聞いたことがない。お隣さんに頂戴した南瓜は、水をたっぷりやっていたんだけど、本葉が出たとたん

          ひと畝日記②

          自分が経験するまでは、本当にはわからない。そして、この本当にわかったっていう感覚も当てにならない。心底わかったなんて思っても、あとから本当にはわかってなかったんだ、なんて思ったりする。そもそも全ての「わかった」は、通過点でしかないんじゃないか。樹の年輪みたいなものかな。

          自分が経験するまでは、本当にはわからない。そして、この本当にわかったっていう感覚も当てにならない。心底わかったなんて思っても、あとから本当にはわかってなかったんだ、なんて思ったりする。そもそも全ての「わかった」は、通過点でしかないんじゃないか。樹の年輪みたいなものかな。

          「思う」と「行う」

          思っていてもできないことばっかりだ。やろうやろうと思いながらやらない。 すぐやったらいいんだろうな。「思う」けどやらない、やらないけど(から?)「思う」っていう膠着状態に陥る前に。そのことを思うか思わないかってときに。意識に上がってきた瞬間に。 と、書いているうちに、思っていても行わないことには、2種類あるような気がしてきた。日々の片付けるべき仕事とでもいうのか、こなさなければならない行いと、〇〇をやってみたいなあというような、思い続けていること。 前者、面倒くさかったり

          「思う」と「行う」

          ひと畝日記①

          自転車に乗って畑に行って汗かいて、帰ってきてシャワー浴びて扇風機にあたりながらアイス食べるのがさいこ〜!! あれ、アイス食べるのが最高みたいに聞こえるね。 畑はいいな〜っていうのが言いたかったんだから、畑>自転車>シャワー>扇風機>アイスか。じゃあ、扇風機とアイスあたりは無しでもよいのか? うーん、扇風機なしはこの季節まだつらいし、アイスはひと仕事した後の自分へのご褒美(死語か?)だよなぁ。畑がなけりゃ暑い中で出て行く必要もないし、どうせ汗だくになることがわかっているから

          ひと畝日記①

          今日をひとことで表すなら、「夏の疲れ」だ。 昨日もひとことで表したら、「夏の疲れ」だ。 明日、起きたとき疲れてないといいな。おつかれさん。

          今日をひとことで表すなら、「夏の疲れ」だ。 昨日もひとことで表したら、「夏の疲れ」だ。 明日、起きたとき疲れてないといいな。おつかれさん。

          自分と話をしながら自分のために書く

          ノートといえば、子どもの頃からノートを書くのが苦手だ。書いてあるものを写しても、聴きながら書いても、書いたノートを見れば、よくわからないままに書いたということがわかる。聴くことに集中すると、手が動かなくなる。書き残すことに力を注げば、話の向かっている方向、というか今何の話をされているのかすら、わからなくなったりする。 …というノートの悩みは置いておいて、noteを始める。

          自分と話をしながら自分のために書く