赦しの門へ 8/10
出発
日記によるとかなり遅めの出発だったようです。
やはり昨日、街を観光できなかったことが相当悔しかったようで、今日の街では絶対に観光してやるという気持ちで燃えていたようですね。
一番最初の写真がこれなので、もう日も登ってますね。7:10くらいだったきがします。 朝早くないとゆっくり寝られていいんですが、やはり日差し強くなる前に宿に入りたい。この時の私は、少し急ぎめに歩いたのだろうか。
スタートしてすぐは、みんなとはそんなに差がつきません。元気な人は少し前へ、ゆっくり歩きたい人は少し後ろへ。
少しずつ差が開いて宿に着く頃には20-40分、場合によっては1時間くらいの差が開いてきます。
日記にはあまり道中のことは書かれていませんでした。なのでここからは写真と、私の淡い記憶を頼りに見ていきましょう。
やはり遅い出発と言えども7時前半なので、まだ空は淡いですね。もうかなり記憶も薄いんですが、この辺はあまり気温が高くなかった気がします。もちろん日中は日差しで暑いのですが、朝はジャケット羽織っていないと寒いくらいだったような気がします。
もしも巡礼に行くことがあったら夏場でも、日本の11月くらいに耐えられるような装備を持っていくことをおすすめします。僕はこの先で寒すぎてガタガタ震えることになります。周りの人が気の毒に思うほどね。
教会の中の写真が残されていました。
どうやらポンフェラーダの外れにある教会に入ったのでしょうか。
私が大学で西洋史を勉強してたからか、こういう物を見るだけで結構楽しいですね。
街を通り抜けて
この写真の時点で10時ほど。
この街はカンポナラヤという町。どうだろう。休憩したようなしてないような。
しかしこういう綺麗な街で休憩した記憶も無きにしも非ずなんですよね。
まぁ一人で歩いてたらこの辺で休憩した方がいいんじゃないでしょうか。3時間くらい歩いたら休憩するのがベストですからね。
街を離れました。
また緑溢れる道を歩きます。
やはり乾燥しているメセタの大地にはなかった作物が増えてきました。ブドウ畑は私がスタートした辺りのラ・リオハ州で沢山見ましたね。
巡礼路も残すところ200kmと少しです。
私はだいたい残り600kmのところからスタートしたので2/3が終了したことになりますね。
もしかしたら本当にすぐに終わってしまうかもしれない。
この街では確実に休憩したはず。
教会の横で少し座って休んだ記憶があります。
色がついた像で分かりやすくエピソードが再現されてますね。
教会自体は大きくなく小さなスペースにこのような像が並んでたと思います。
ここで休憩してまた目的地に向けて出発しましょう。
今居た街はカカベロス。今日の目的地まではあと7kmと少しです。
日記によるとまた足が痛くなってきてしまったらしいです。うーんかわいそうに。
1回足が痛くなり出すと大変なんですよ。
動き続けなくちゃならないからなかなか治らない。しかももう動けない!!みたいな激痛と言うよりはジンジン・ズキズキって感じの痛みが定期的にやってくると言った感じです。
しかも結構体力奪われるんですよ。
がんばれー過去の私。
ふと気づくと残り200kmを既に切っていました。うーんこうして、距離が縮まるのは嬉しいと同時にどこか寂しさを感じますね。
痛む足を庇っていたからなのか、着く頃にはもうヘットヘトだったようです。
ここが今日泊まる街、ビジャフランカ・デル・ビエルソです。
早くアルベルゲにチェックインして足を休めましょう。
ここは確かアルベルゲの名前にフェニックスって入っていたような気がします。
ここでクレデンシャルを見返してみます。この日は2019年8月10日なので画像右下辺りが今日のスタンプですね。確かにFENIXとありますね。
ん??
でも不死鳥って綴りPhoenixじゃなかったっけ?
スペイン語だと違うのだろうか。
そういえば久しぶりにクレデンシャルを見せた気がします。各々オリジナルのスタンプを用意してくれています。中には2マス使う大型のものもあったり凝ったデザインのものもあったりします。
私のお気に入りは画像左側の緑のスタンプ。
霧に包まれた街フォンセバドンにあったピザ屋で貰ったスタンプです。なんだかデザインが好き。
ここのアルベルゲのすぐ近くに「赦し(贖罪)の門」という立派な門があります。
病気や怪我でこれ以上巡礼を続けられなくなった者のために、ここまでで最終地点であるサンティアゴ・デ・コンポステーラの聖ヤコブの墓に詣でたと同様の証明書が与えられたらしいです。
現在この門は通常開くことはありません。
病院の診断書があれば現在でもこの門が開き、潜ることができるらしいです。
(聖年とされる年のセレモニーでも開くそう)
でも巡礼者はみんなボロボロなもの。よほどでな
ければこの門をくぐる人はいないと思います。
昔は今のように巡礼路も整備されてた訳ではなく、ゴール地点であるサンティアゴまで到着するのはなかなか難しかったのでしょう。
困難な状況にある巡礼者にとってこのような措置はまさに救いの手であったことでしょうね。
腹を満たして街歩きへ
この時の到着時間が14:30近く。少し遅めの昼食をみんなで取りに行きます。
お腹すいちゃうじゃないの?と思いますよね。
なんやかんやたくさん食べてるんですよ。
朝起きてすぐ軽く食べて、
10時くらいの休憩でまた食べて、
宿に着いてから食べて、
で日が落ちてからまた少したべる。
だいたい一日で4回くらい食事してるんです。
なので、空腹で辛いってことにはなりにくいです。あとそういう時のために私は必ずバナナとチョコバーのようなもの持ってました。
ふむ、なかなか美味しそうなもの食べてますね。
でもスペイン感はほとんどないですね。
だいたい巡礼者のご飯は、専用のコース?のようなものが用意されていて、メインおかず、パスタとか炭水化物、デザートを数種類ある選択肢の中から組み合わせて選びます。
スペイン語のメニューみても何書いてあるのかなんのこっちゃ分からないので、周りの仲間たちの力を借りながら注文します。
よーし食べた。腹が脹れたら街歩きに出かけましょう。昨日の雪辱を今日で晴らすのです。
というわけで私はこれこら街をフラフラ歩きまくります。
この街には教会が5つほどあり、全部回ってみました。その様子を写真でお伝えします。
さてだいたい教会は回りました。
もちろん写真に撮ってない教会もあるので全て
載せられたわけではないです。
中にはミサ中の教会もあったりして、あんまり気軽にチョロチョロ写真を撮ったりできる雰囲気じゃなかったところも何ヶ所か。
中でもわたしの印象に強く残ったのは、写真には残ってませんが、小さく素朴な教会で1人のシスターが黙々と神に祈りを捧げている姿でした。
日記の中にはこんな風に記されていました。
うーん、悩んでますねぇ。でも本当にわかんなかったんです。祈る姿はとても神秘的に見えて、あまり日常と結びついた出来事と捉えることができなかったのかもしれない。
今考えると、私たちが神社やお寺で柏手を打って頭下げる事と何も変わらないんじゃないかなとも思う。(いや、わからん。違うかも。)
やっぱり確証は持てませんね。
でもなんか[宗教]って固く枠組みはめなくてもいいような気がします。
ただ生活の中に組み込まれているだけ。仏壇にお茶備えたりお花備えたり、お線香焚くのも何も変わらないんじゃないんだろうか。
青空ミサ
さてさて、もはや恒例となっているミサに出ましょう。恐らく街の教会に行けば大々的にやっていたのでしょうが、我々のグループには聖職者であるラファがいるので、彼が執り行う小規模なものに出ます。
なんかここら辺で、宿の隣の教会が借りられるとか借りられないとかでわちゃわちゃしてた気がします。その教会というのも先程出てきた赦し(贖罪)の門かがある教会だったきがします。
あの教会は特別なものだから、そう簡単には貸してくれなかったのでしょう。
宿の広場に椅子やテーブルを持ち込んで即席の教会を作ります。
ミサはつつがなく進行。ミサ中はあまり写真とか取れないので、こうして身内でやる機会にたくさん取っておくべきだったかもしれない。
一応何枚かアメリカから来た写真家のJACKに撮ってもらったりしてた。
ここまで来ると何となくミサ中に何してるのかとか分かるんですけど、やっぱり言ってることが分からないので何となくでしか掴めません。
語学って大事ですね。
語学が大事ってことはこの後の夕食でも思い知らされます。
机を囲んで
さてここのアルベルゲは確かチェックインの時に「夕食はいるかい?」みたいに聞かれて、追加で何ユーロか払うとこのように晩御飯を出してくれます。
たしか追加でお金払ってたはず。無料じゃなかったような。
内容はニンニクスープって言われた気がする。
何やらこの宿の名物とかだったような。
仲間からぜひ食べた方がいいと言われたので私も追加でお金払った気がする。
まぁでもこうやってみんなで机を囲んで食事できる機会があるなら積極的に行くべきですね。一人で食べてたら交友の輪が広がりませんから。
このスープにパンがついてきた。パンでお腹を膨らますと言った感じですかね。
石造りの広間の奥に厨房があったのを覚えてます。
そこの写真も取るべきだったな。
さてここで以前出会った、アントニオとイングリーと再開します。
2人についてはここで出てきます。
本当に久しぶりに会った2人。どうやらアントニオはベッドバク(南京虫)にやられたそうで身体中に斑点が出てしまってました。うーん痒そう。
久しぶりにあったので2人の近くの席に座って夕食をとります。
実は2人は英語もスペイン語も両方できる。
なので周りの人がスペイン語で喋ってるのを英語に変換して私に教えてくれたりします。
でも、でもねぇー。
その英語も結構早くてなかなか聞き取れない。
いままでスペイン人軍団に囲まれてて文章としての英語を必要としてなかったんですよ。
要は単語と単語をくっつければ伝わるって感じだったんです。しかし英会話となると、必然的に文章が必要になるわけで。
久しぶりに英語ができる人と話すと、自分の英語力の無さに呆れてしまったりしてしまいました。
英語は喋れるようになりたいが、やはり継続しないと身につかないものですね。
海外にいれば耳だけは段々慣れてくるんですが、喋る練習をしないとなかなか文章にならない。
これからの課題ですね。
一日を終えて
さて、日記も写真もこれ以上のことはもうありませんでした。
どうやら次の日の出発が早かったみたいで、早めに寝たみたいです。
これが残されていたデータです。
巡礼路自体は25~7kmくらいだったはずです。
たくさん街歩きしたせいで結局30kmは超えてしまってますね。
日記によると、この辺りから私は体調を崩していたみたいです。どうやら仲間の中の1人が風邪っぽくなってたみたいで、それを貰ってしまったのでしょう。
咳が出るようになっていたらしく、「体調に気をつけなければ」という言葉が残されていました。
明日はとうとう最後の難関オ・セブレイロ峠へ向かいます。1300mの高さにあるO Ceneeiro(オセブレイロ)をめざして山道を進んでいきます。
現在いるのがだいたい海抜500メートル位のところなので30km以上の距離を歩く、かつ800m程上に登っていかなければなりません。
なかなかハードな一日になりそうですね。
と言ってますが、だいたい巡礼者にどこが辛かった?っ聞くと巡礼初めてすぐのピレネー山脈越えが1番辛かったと口を揃えて言います。
私はそこを通っていないので知りません。みんなが言うので余程辛かったのでしょう。
皆さんももし行ったらぜひピレネー山脈からスタートしてください。辛いですきっと。
またしても見にくいですが、画面下から画面上へと進んでいます。
こうして通った街にピンを立てていくとちゃんと
道になっているのです。
ゴールまでたどり着いたとき、全体図をお見せします。
なんだか感動しますよ。
では、今回も読んでくださりありがとうございます。
前回よりボリューム少なめとなっていますが、前回が多かっただけです。
これからも頑張ってやる気のあるうちにどんどん書いちゃおうと思います。
次回もよろしくお願いします。
次回予告的写真
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?