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整理回収機構卒業への道④

木曜は仕事(三宮一貫楼)ネタ

↑からのつづきです。
※このシリーズ今回を含めあと3回

整理回収機構(以下RCC)大阪支店に債権が移管したあと、基本彼らの対応は寛大なものが多かったのですが、道中一度だけ厳しく指導されたことがあります。

まず本日のお話しの前提を書きます。


阪神淡路大震災前までは先代の妹(私にとって叔母)も当社の役員でした。

彼女とは阪神淡路大震災発生を機に袂を分かつ決断をしたのですが、
それこそ世襲家業アルアルで、相当なドロドロ劇だったと記憶してます。
※それを書けば1章クラスになるので割愛


再建計画書を作成するにあたり、数年分の財務諸表をはじめとした決算書は計画書を作成する監査法人とRCCで共有をされていました。

それをソースに平成8年(震災から1年後)に多額の退職金(2000万円)を叔母に支払っていることを担当者に指摘され、そのことをRCC大阪支店長の北田氏(仮名)が先代をかなり厳しく追及し叱責しました。

その退職金の支払いがいかに正当だったかを先代の言い訳に近い答弁を斬って取り一言。

「社長のお気持ちは分かります。しかし!会社は公器であり私物ではありません。ましてや震災後の会社の一番厳しい局面で出す金額としてあり得ない金額です!会社が潰れていた可能性もあるのですよ!いったいどういうおつもりですか!!」

この言葉に触れた先代はこれまで私たちに見せたこともないような狼狽ぶりが印象的でした。

私は内心「親父でもこんなんになるんや」。

その退職金を含めたもので、当時のA信金M支店には叔母名義の定期預金2600万円を担保にしての借り入れもありました。

RCCの狙いとしてはこの預金担保を手放すことを親族間で話し合えという強烈なメッセージだったと思います。

ある意味、この交渉はRCC以外の金融機関にDDS組み入れ承諾を取るよりも難しい交渉だったかもしれません。

この経緯は再建計画書にも盛り込み、実際に放棄することになりました。
(全額A信金へ弁済)

その際になんらかの裏工作が先代と叔母の間であったのかもしれませんが、今となってはその事実を知る由もありません。

「大幅な債務免除も辞さない」


というRCCの見解に胸を躍らせていた頃が懐かしい。

これまでも精神的にきつかった時もありましたが、債務免除という甘い言葉聞いてからの1年間は、まさに精神を削られるような1年だったように思います。

しかしこの辛い交渉を経てこのスキーム中、最大の被害者であるA信金さんに納得いただける材料が揃ったように思います。

次回からはより具体的な再建計画の骨子に触れて行きたいと思います。

思い出すだけでも息苦しい交渉のお話しでした。

(つづく)

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