整理回収機構卒業への道③
月曜は仕事(三宮一貫楼)ネタ
↑からのつづきです。
物別れに終わった一回目のA信用金庫M支店への説明ですが、整理回収機構(以下RCC)としては最大限、先方の言い分などを聞き入れるような交渉姿勢で、根気強くやられていたと思います。
ただ日々の入金業務などが当時の支店長の目を気にして行きにくい(苦笑)
この頃の私の業務を思い起こすと、
・荒田一貫楼の現場仕事(平日ランチタイム、土日祝の終日)
・事務所の日常業務(資金繰り等)
・2月開店のJR三ノ宮駅前店の条件交渉や建築打合せ
・監査法人が作る再建計画書のヒアリング&資料提出
・三宮一貫楼本店での深夜営業のサービス(週2回~3回)
・銀行への再建計画賛同への交渉
人生で最も多忙を極めた時期ですね。
今思えば30代前半でよき経験を積ませていただきました。
とくに勉強となったのは監査法人とともに再建計画書を作ったことです。
ヒアリングされたことに答えるごとに何となくしか掴んでいなかった、会社の輪郭や骨格みたいなものが腑に落ちる感覚がありました。
何度もラリーを繰り返し、計画書の大体の方針が平成17年春あたりに固まって来ました。
本再建計画はRCCの債務免除、他金融機関の債権に対してはDDS(デット・デット・スワップ)という手法を組み入れた計画となりました。
※DDS(デット・デット・スワップ)とは
細かいことに触れず、分かりやすく説明してみます。
つまりRCCの免除後の残債を優先債務、他金融機関の公的融資以外のプロパーでの融資残高を劣後債務と色分けをします。
返済計画は12年。
そのうち優先債務(RCC、国の融資)に関しては最初の5年で完済。
劣後に区分された債務は最初の5年は(かなり安い)利払いのみとなり、優先債務完済後の計画6年目から元金返済が開始。
※その間の融資残高は貸し倒れ引当金として計上
計画10年目に債務超過を解消し、12年ですべての債務を返済する。
これが債務免除以外で等分に痛みを負うというスキームの概要となりました。
たしかなことは言えませんが、
当時、兵庫県下ではじめてのDDS組み入れの企業再建事例だと聞きました。
A信金M支店に比べ借入シェアが低めだったB銀行K支店においてはまったく問題なくこの計画に同意をいただきました。
この方針が決まる前は「雲をつかむような話し」とまったく聞く耳を持たなかったA信金、支店長の反応はいかに??
結果、もっと怒りが爆発しました!(苦笑)
支店長の怒りももっともな部分はあります。
一度サシでお話しをした時に仰ってました。
タイミング的には台風の日、荒田の店も早じまいしよかな。
と、思った矢先に支店長が1人でフラッと入って来られました。
その時の会話の一幕です。
「この前、僕もRCCの聞き取りに行ってきましたよ。そしたらあいつ等の綺麗なオフィス見たら腹立って来てね。そら、あいつ等は国やから免除言うたら億単位のお金簡単に溶かせるわね?我々はそんな訳にはいかんのよ!」
何も言い返すことが出来ません。
終始平謝りのような状態でお話を伺うことしかできませんでした。
ただ少し言い分を言わせていただいたのは、
この計画が始まった暁には命がけで頑張って返済するということをお伝えしました。
「そら、頑張ってもらわないと私の立つ瀬がありません。」
ぶっきらぼうな言い方でしたが、多少エールのような響きに聞こえなくもありませんでした。
支店長は支店長なりにバンカーとしてのプライドと経済合理性のせめぎ合いの中で、職務を全うされていたんだと感じれた時に苦手意識が消えていました。
罵倒に近い言葉をかけられ続けたこの時期ですが、これも振り返ればギフトだった。そんな記憶です。
しかし、まだまだ試練は続いていくのでした。
(つづく)
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