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【おまけ】中卒エンジニア21年の成果!

この記事は下記記事のおまけです。
まずは本編をお読みになっていただくとよいと思います。

中卒ど底辺エンジニアの年収推移!

本編にも貼ってありますがこちらにも貼っておきます。

年収推移の振り返り

この記事では年収推移をターニングポイントで振り返ってみます。

超絶余談なのですが、『本業』や『副業』という言葉を使っていますが、私は『副業』という言葉があんまり好きではありません。
私が契約している現場にとっては大事なビジネスに対して『副業』として対応するのは失礼のような気がしていまい、クライアントとの間では『本業が・・・』みたいなことは言わないようにしています。

さらに余談ですが、最近では『複業』という言葉を目にするようになりましたね。
『副業エンジニア』というようなマインドではなく、どれも大事なビジネスとして対応するような業界になると良いなと思います。

23歳~28歳

運よくIT業界に入ることができたのが23歳のこと。
『運よく』とは言ったものの、今でこそ人気の職業にランクインするエンジニアですが、当時は『IT土方』とも呼ばれ就きたくない職業にランクインするような時代で、エンジニア3K(きつい、厳しい、帰れない)なんて言葉もあったほどです。

実際、当時はきついし帰れないし、運よく入った会社は正社員ですらなかったため残業代もなく、疲れのためトイレで居眠りするような日々でした。

しかし、私にとっては現嫁と結婚するために水商売を上がり、運よく入れたまともな業界です。後がない私はがむしゃらになるしかないというのが功を奏したかもしれません。

1度目の転職では『個人事業主の年収192万。残業代なし』から『契約社員の年収480万。40時間を超えたら残業代あり』と大幅な年収アップを実現でき、社会保障なども手に入れました。

さらに、この転職先の会社からの特例で、なぜか年商1000億の千趣会に直接契約の業務委託エンジニアとして年収800万で紹介されたのは運が良かったです。
優良企業との初取引を成功させたかったらしく、威勢のよさを買われて白羽の矢が立ったたようです。

28歳~33歳

運よく年商1000億企業で会長おひざ元の企画部署でエンジニアになれたのもつかの間、会長・直属の上司の不幸が重なり企画部署の方針も変わってしまい、エンジニアとしての立場を失った私は年収も大幅にダウン。
ネガティブな転職を余儀なくされ、年収も入社当時から比べると300万ダウンの年収500万でSES企業からの再スタートです。

昼飯もまともに食べれないのはこのころの話で、現場に隣接するSEIYUの1個58円のおにぎりが私の救いでした。
子供二人いて1馬力の収入だと500万は結構しんどかった・・・

33歳~38歳

この年になっても威勢の良い私は『とりあえずsaburoをぶっこんでみるか』みたいな切り込み隊長的なミッションもよく受けてました。
誰もが知る有名企業の現場でお偉いさんから嫌われて、2か月で追い出された重要案件等もありましたが、まぁこういうミッションは嫌いじゃなかったですねw

コードキャンプの外部講師を始めたのもこのころです。
中卒のど底辺からエンジニアになったため、未経験の『何が分からないのかが分からない』という感覚が分かることと、水商売時代のコミュ力が発揮したようで『当時は人気No1だった』と言われています。

本職の方は低い年収に耐えきれなくなり転職。
転職した先がプライム案件を扱う会社のプロジェクトマネージャーです。
年収が100万ほど上がり少しほっとしたのを覚えています。

器用なPMではないですが、エンジニアや企画部署でのディレクション経験を活かして2年目にして売上トップを争うようになりました。
・・・が、この会社では給料上がらず、、、成果を出せない社員の給料が下がらない一方で、成果を出す社員の給料も上がらない会社でした。

38歳~

PMの会社はストレスも要因して25kgも太ってしまうような会社でしたがやりがいはありました。
しかし、直属の上司からのイケてない一言が原因で退職を決意。

外部講師をしていたコードキャンプからは以前からお誘いもいただいていたため、これを機に正社員として入社することになりました。
*以前のお誘いを受けていた頃から比較すると、40万も提示年収が下がってましたw

そして、入社して3カ月後には『経営難のため平社員も10%の減給』というお達しが・・・社長はなんと給料の100%の返上をするほどの経営難だったようです。
そんなこともあり、配属直後には4人体制のチームだったのにあっという間に私1人のチームになるというハプニングも今やいい思い出です!

コードキャンプでは教材開発、講師マネジメント、個人向け学習設計、企業向け研修設計など様々に携わりました。
LINE社やフューチャーアーキテクト社などのような名だたる企業の研修設計に関われたのはとても良い経験でした。

なお、エンジニアリングの副業に力を入れ始めたのはこのころです。
現役エンジニアの講師採用・講師マネジメントを担当するにあたり、私自身が現役エンジニアであり続ける必要があると思い社長に交渉したのです。
*もちろん『お金が大好き』というのもありましたがw

入社半年の社員から『エンジニアであり続けるために副業をしたい。週4日の契約に変えて欲しい。』という申し出を快く受け入れる文化を今でも素晴らしいなと思います。

実際にエンジニアの副業を始めたのは11月でしたが、翌年には本業と合計して1000万を達成しました。
この体験から『エンジニアはシェアされる時代が来た』というのを強く感じています。

また、4年ほど継続した現場からの紹介で、副業エンジニアにより力を入れるようになります。
この紹介を機に本業が月120時間の業務に対して、副業が100時間~200時間という、もはやどっちがメインの収入なのか分からない状態になり、去年は給与所得との合計が1920万という成果にいたりました。
(IT業界に入った時のちょうど10倍です)

まとめ

年収推移から見る業界のおまけ記事として私の振り返り記事をかいてみましたが、振り返るとなかなかに落ち着きのない経歴だなと思います。

ただ、落ち着きのない経歴だからこそ得たものも多いと思っており、エンジニアという業種と日本の『長く務めることが良いとされる文化』の相性の悪さをとても強く感じます。

開発メンバーとして、テックリードとして、プロジェクトマネージャーとして、エンジニア講師として、様々な経験の1つ1つが今の私を構成しています。
1つの会社にとどまっていたらこのような体験は出来なかったでしょう。

『これからは優秀なエンジニアはシェアされる時代だ』というのが私の体験からくる実感です。

シェアされ続けるためにもこれからもマグロの様にこの業界を泳ぎ続けようと思います

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