格闘技アート

格闘家が通信制美大に。武蔵美通信の先輩、斉藤俊一さんーその2

前編はこちらより。

総合格闘家として、プロレスやブラジリアン柔術の大会でも、数多くの実績を残している斉藤さん。通信制美大に通うまで、どのような人生を歩んできたのでしょう。

今回は、ご本人の許可を得て、メールを転載させていただきます。

・斉藤さんが通信美大に通うまで

私は、元々プロレスに憧れてました。

従来、人と争うことを好しとしなかったので、スポーツもそんなに好きでありませんでした。(小学校の時剣道で全国大会に出たことはありましたが)
私が幼少の頃はアントニオ猪木さんやジャイアント馬場さんがまだ現役で、プロレスを見ない男はいない時代でしたが、私は、「演技っぽくて馬鹿みたい」と冷めた目で見ていました。
どころがある時、

「待てよ、これってショーだよね。でも鍛えて強くならないとやりたいことを表現できない。ということは、芸術とスポーツをミックスさせたショービジネスの最高のものではないか」と思いはじめました。

と言っても、生まれつき体は頑丈で力は負けない自信はありましたが、そんなにスポーツやってたわけではないので、一人で密かに鍛えてました。
プロレスラーに成りたい夢は堅物の親には打ち明けられず、デザインの専門学校に入れてもらいました。が、親元を離れたのを機に学校へは行かず格闘技のジムに通いました。

プロレスの試験を何度か受けているうちに、スカウトされプロレスの世界に入り専門学校を辞めました。内緒でプロレスデビューし、一時人気者になりましたが、父の心臓病のため千葉に戻り、暫く郵便局で働いてました。

格闘技はずーと続けてました。

プロを諦めきれず、親を説得し横浜に引っ越し、再びプロに戻りました。アルバイトで芸能の仕事をしているうちに、バラエティ番組に出演するようになり、私が出演すると深夜に関わらず5%視聴率が上がるということで、プロレスで出世したかったのにアルバイトの方が忙しい状態になってしまいました。

しかしそうなると、プロレスを極めたわけでないない私は特に芸があるわけではなく、雛壇芸人しか道が無いように感じました。
試合で肩を骨折したのを機にまた千葉に戻り、今の職につき、格闘技を続けました。

アマチュアでも何でもいいから「世界チャンピオン」になり、その後、元々得意だった絵画の道に進みたかったのですが、結局アジアチャンピオン止まりで、ムサビに入り、今に至ります。

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アジアチャンピオンでも、十分に凄いことでは…!?
と思ったのは、私だけでは無いはず。

次回は、武蔵美通信で学んだことを更新します。

どうぞお楽しみに!

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H30年12月13日~H31年2月3日まで、
千葉県東総文化会館ギャラリーで、斉藤さんの個展が開催されます。 http://www.cbs.or.jp/toso/gallery/index.html

私たちの展示は、石川県金沢市ですが、こちらは千葉県。
もし千葉県近郊の方々がいれば、ぜひ。

金沢市では、12月22日(土)に、ワークショップも開いていただきます。
もしよろしければ、こちらもどうぞ!

【イベント申込フォーム】
https://goo.gl/forms/AItVwolV5947SicB3

【webサイト】
https://sites.google.com/view/3bidai2018

【fecebookページ】
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【note】
https://note.mu/3bidai2018

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