スピリットと自由の性質
自我という言葉を使うとき、いつもためらってしまいます
子供が「自分でする」というのも自我ですし、
聖人らの「自分勝手」は、何が最善を見通し、常にそれを選択していて、それもいわゆる自我であると思います
一方、隠してでも飴を食べたがる「ワタシ」もいます
いずれにしても、「自我」というわたしを支えている源には恐れか愛のどちらかになるのだと思います
なのでここでは恐れに支えられた自我を「エゴ」と表記します
そこで聖人らの自我ですが、ワンネスの元にあるため、結果的にその最善は相手のため