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物語ー裸足の娘と旅する少年

少年は旅をしていた

少年がその娘の村を訪れたのは、旅に出て三度目の春が通り過ぎようとしている頃だった

村で最初に出会ったのは、大きな犬だった 森の中で犬は真っ直ぐな目で少年を見つめてきて、しばらくすると、どこかに消えていった

次に森を抜けたところで、馬に乗った女性とすれ違った すれ違いざま女性は「探し物はみつかったかい?」と口端に微笑を浮かべ去って行った

村に入ると田植えを終えたばかりの村に、みずみずしい青が広がっていた 少年はどこか懐かしさを覚えていた  

見晴らしのいい村で、一番近くの家を目指した 

水筒の水を補充しなければならない

そして一番近くの家の前に娘がいた それが少年とその娘の出会いだった 娘はしゃがんで蟻の行列を眺めていた 少年が水を求めると、山犬と同じ真っ直ぐな眼差しの持ち主は、少年を家に招き入れた

それから水と一緒に「それで手を洗うといいわ」と葉っぱの入った桶を持ってきてくれた 娘はセージ水だと教えてくれた 甘い香りが鼻をくすぐり、顔を洗えば清涼感があった 飲み水は冷たく、疲れを癒した 少年はどうやって冷やしているのか訊ねた 娘は地下の水をくみ上げているのだと言った それは夏に冷たく冬は暖かいのだと教えてくれた そうして二人が言葉を交わす間、玄関にはひっきりなしに人の出入りがあった ある人はしょうゆを またある人は織物を またある人は絵を そして娘が目配せをした先に珍客もあった みると蟻の列が何かを運んでいた 娘は「うちのお掃除屋さん」と笑って言った それから娘は家の奥にある仕事場に案内してくれた 中は所狭しと干し草と瓶が並んでいた 

娘から軟膏の入った小さな容器をひとつ手渡された 「怪我の時に使ってね」と それから「あなた西から来たのね」と娘は言った どうして西から来たことがわかったのだろう ただ、聞き返す間もなく、少年は娘に質問攻めにあっていた 旅のエピソードがお気に入りらしい 気づけば太陽はてっぺんを越えていた(ここでは太陽は西から登り東に沈む) 少年は今日中に村の先にある丘を越えるつもりでいた そこには大きな湖があるはずで、野宿するには最適だった だから喉の渇きを癒したら、すぐに立ち去るつもりでいた 少年は今から急げば丘を越えられるだろうかと、あれこれ思案してした すると娘は泊まるところはあるのかと訊ねてきた 少年が答えに困っていると、娘はこの作業場でいいならいていいと言った それで少年は村に滞在することにした 

 

娘は水の入った樽を荷台に積みながら、私は行くところがあるから夕飯までの間、好きに過ごせばいいと言った お金を払おうとすると娘はいらないと答えた 少年が何か手伝うことがあるかと訊ねると、娘はじゃあと答え、そうして少年は樽運びを手伝うことになった

長閑な村だった

家々の脇には畑があり、少し歩くと一角に小屋がある そこにとりどりの野菜が並び、ご自由にお持ち帰りくださいの立て看板が立てかけてあった 洗濯物は初夏の陽を浴び、緩やかな風はどこからともなく子供達の喜声を運んできた 目的地に着くと家から男の人が出てきて、樽を中に運んだ それから娘は山の実を採りに行くと言い、荷車を預け、その裏手の山に入った その帰り、喉が渇いた二人は近くの家で水を御馳走になった その隣の家の前では大勢の人で賑わっていた 春摘みのお茶を皆で祝っているのだと娘は言った 中には遠くからやってくる人もいるのだと言う その味は格別なのだそうだ 「行ってみる?」と娘は言った けれどその前に少年はふと、この村にはお金がないことに気が付いた それで娘にそのことを訊いた すると娘は「あなたも他の旅人と同じことを訊ねるのね」とクスッと笑って「ついて来て」と、祝いの席とは逆の方へと歩き出した お茶は明日ねと言いながら 

少年が娘の背中を追うと、娘はある建物の前で足を止めた 中を覗くと何人かの若者いて、何かを作っていた 娘によると彼らは大皿型の「浮かぶ足」を作っているそうだ

「ここは彼らの仕事場 ここでは誰かが何かを始めると、共感や情熱を持った人達が集まって、そうしてものが出来上がるの 参加するのに条件はなくて、自分の出来ることを提供している あっちにいる人たちは機械好きのエンジニア 実際はここにいないもっと大勢の人が関わってる 頼めばみんな喜んで助けてくれるの 私の家も彼らの助けを借りて自分たちで作ったのよ」

中には子供もいて、娘は子供の発想にはいつもハッとさせられるのだと言った

「楽しそうだね 遊んでるみたいだ」

「遊んでいるのよ」

娘は笑った

「できたものは皆で使うの さっきの車もそう だから作り過ぎることはないの ここでは他のどの生命のためにもならないことはしないと決めているから、私達は常に全体意識で考え、それが及ぼす影響も考慮するの そのときも心配を愛に変えて」

「へー」

「例えば、その昔、罰を更生に変えたの 意識だけじゃなく実態もね そうすることで人々から恐れを取り除き、子供達にもやり直せる機会かあるのだと認知させることができたの もっとも今ではそんなものもないけど 当時はそれで再犯もうんと少なくなったって 見て、あそこにいる人」

と、娘は輪の外れにいたおじいさんを指さした

「おじいさんは真実の目を持った人と呼ばれている人で、人々がものを作る時、自分の真実を捕まえられるように導いてくれる人なの ただ質問することによって」

その人のボサボサの髪と頼りなげな立ち振る舞いに、風格はどこにも見られなかった なのに・・

「だから、よ」

「!で、でも情熱が勝ったら?」

「それは情熱じゃなくて執着ね それに良かれと思った快適や便利も、エゴを刺激し育ててしまう類なら、それは違うもの でもその情熱を諦めたからと言ってがっかりすることはないわ だってだれしも枯れることのない泉を持っているから」

そして娘は再び「ついてきて」と踵を返した 歩きながら娘は、

「私達、お金を持たないって決めたわけじゃないの けれど愛と自由を採用したら、こうなったの」

娘は手を振る子供達に手を振りかえしながら続けた

「ここではみんな、畑仕事をしながら魂の仕事をしている 本来の働く意味や生きる喜び、そして自分自身であることに従事しているわ それ以外、重要なことはないから だからといって私達、我慢なんてしていないのよ ただ、何かがなくてはやっていけないという思い込みもないの それを言ったら旅人は眉をしかめるけれど、今日、彼らを見てわかったでしょう?ここでは病気になる人もほとんどいないの みんな明日がくるのを楽しみにしているから たとえ病気になったって村の皆が世話をしてくれる それを嫌がる人はいないわ みなが治癒者であり、科学者であり、コメディアンなの」

「みたいだね」

あちこちでお茶を飲み談笑している村人や踊りを披露している若者を目に、少年は答えた

「とっても単純なこと その中で皆、純粋を捉えようとしている エールを送り合いながら 理屈ではないの、純粋を捉えようとすることは・・」と微笑みを浮かべた

少年はこの村の人たちの口数こそ少ないけれど、終始、穏やかな微笑を携えていることに気が付いた 娘もまたその一人だった 口数はその通りではなかったけれど

「何を優秀とするかは、その社会の在り方で決まってしまうでしょう? ただ、ここではさまざまな性質も含めて自分自身であることを祝福している だから条件を無くしたの その上で、己の純粋を見張り真摯に取り組み、中には身を顧みず、それを手伝う人もいる その選択は自由 それにみんな超俯瞰的に見ているから 成果の意味も違って来るの 過去や未来と真の勝利を分かち合おうとして」

「そう」

「うん だからこそ私達の日頃の何気ない行いのしわよせが自然や見ず知らずの人に降りかかることも、自ら滅びの道を辿ることも望まない、それで。もし役に立たないとわかったら、すぐに廃止させることができる それが私達の強み お金で回すとこうもいかないでしょう? こうしてここではお金は無用の長物になったの あっても持て余すだけだから」

「そういえば、さっき君んちに出入りしていた一人が、ここでは欲しければ貰えるし、いらなければ必要ないと言い、なければないで工夫して みんな科学してるって・・」 

「きっと、それは取引がないという意味ね みんな好きでやっていることだから 交換という意識もないの、したいときにできることを 生命の維持とわけることでそれを可能にしたの さあ、着いた」

 

しばらく歩いて訪れたその家も他の家とよく似ていた 中は静かで空気が凛としている 家が呼吸しているからだと娘は言ったけれど、土と草で覆われたその外見とは裏腹に中はとても日当たりがよく、ここでは所狭しと干されている草から蒸れた草原の香りがした 棚には瓶がぎっしり並べられていた ここは娘の薬草の師となる老女が一人で暮らしているのだと娘は教えてくれた けれどおばあさんの姿はどこにもなく、代わりに屋根を直している人がいた それから村人が入れ代わり立ち代わりやってきて、勝手に何かを置いて行った その中の一人が、おばあさんが染め付けた糸を配って歩くのを見たと言った 娘は待たせて貰いましょうと言った 窓から望む一面の畑は綿の畑なのだと娘は教えてくれた 景色を眺めながら「ここでは玄関を開けていればご自由にお入りくださいのサインなの 閉っている時は玄関先に届け物を置いておくの みんな誰かの物を勝手に触りはしないわ」

少年は空の青さに吸い込まれそうになっていた 

「綺麗だね」 

「うん この景色を守れるなら、ここの通りでなくてもいいの 健やかでいられるなら・・」

と、その時、ぬうっと一人の背の高い老女が現れた ただ、老女は少年をぎろりと睨むとまたどこかに消えて行った 娘は少年に「大丈夫、とても優しい人よ」とささやいた そして奥から戻ってきた老女に娘は枯れない泉のことを少年に教えて欲しいと言った 老女は「創造のことなら教えられる 愛のことはトリに訊くといい」と答えた それから少年に

「食べたいものがあるかね」

と訊ねた 少年はおばあさんがごちそうしてくれるのかと思い、遠慮がちに「パン」と答えた するとおばあさんは「ここでは遠慮は無用だよ」と言った 正直、少年は腹ペコだった それだけでなく去年パオという土地で食べたビーンズとトマトの煮込み料理がこのところ無性に食べたくなっていた けれどその料理の名前も知らなければ、あの特有のスパイスがなんなのかもわからなかった するとおばあさんは「手をかしてやろう」と少年の手を取った そして「良い風が吹いている」と言った それから「さあ、食べたいものを思い描いてごらん」とも言った 少年はその通りにした するとおばあさんが「これはチチスニャゴラと言う料理だね スニャは大地、ゴラは赤い、チチは恵み」 その時、あの料理の香りが実際に少年の鼻先を掠めた 少年がああ、これだと思った瞬間、想像を離れた感覚に陥った

おばあさんは手を離すと「どこからともなくやってくるよ」と言った 少年はなんのことだかわからず戸惑った 娘を見ると笑っていた それからおばあさんは娘に「そこの梅の実の甘漬けでお茶を煎れておやり 滞った血の巡りがよくなるから」

そのお茶は甘酸っぱくてとてもおいしかった そこに「おーい、ばあさんいるかぁ」と声がした おばあさんは「おや、早いね」と呟いた それからのことはまるで夢みたいだった 辺り一面にチチスニャゴラの香りが漂ったかと思うと、男はテーブルにどんと鍋を置いた「ばあさん、珍しいだろう?チチスニャゴラだ 旅人が作ってくれたのさ」少年は驚きと、それから溢れてくる唾と パニックだった そんな少年におばあさんはチチスニャゴラをよそってくれた 少年は夢中で流し込んだ その時、少年ははじめておばあさんの微笑みを見た 

少年はもう動けないというほどチチスニャゴラで腹を満たし放心していた その少年に、傍で糸車を回していたおばあさんが「人はみな、枯れない泉をここに持っている」と胸をおさえ、続けた

「おまえさんは絵を描くかい?それと同じこと 内から湧くそれをアウトプットさせる これで何かは得るものではないことがわかるだろう?愛も創造も同じだよ 少年、行って枯れない泉のことを伝えることだ スアティ・クラルの末裔だからね」

「えっ?」驚いたのは娘だった

「でも名前が違うわ」

「先祖の中に養子に出された者がいるからね」

「・・そう」

「いったい何の話?」

「これからその話を聞きに別の家に行くのよ」

そう言う娘におばあさんは「トリに届けておくれ」と染付の糸の束を手渡した 少年はさよならとお礼を言ってそのおばあさんと別れた 辺りは赤焼けに染まっていた 来た道を戻る道々、娘は口数が少なくなっていた それは少年も同じだった スアティ・クラル、その名が少年の頭の中で木霊する ドキドキしていた それはこれから待ち受ける未来にだろうか けれど自分でもびっくりするほど心も頭も何もかも澄み渡っていた

「・・君たちは人の心が読めるの?」

少年はおばあさんや馬に乗った女の人や若者たちの顔が浮かべた

「人による」

「君も?」

「わたしは木や声や声なき声 なんていうか、入って来るの 言葉のない言葉で 手をパンと叩くより速く」

「ふーん」

「それに感情で感情を捉えることもあるの 山が泣くこともあるのよ 人間がひどいことをすると 着いた、ここよ」

「でも君は僕の頭の中を・・」

「ほんとね、なぜだろう」

「・・・まだ混乱しているけど、でもチチスニャゴラのことは信じようと思う」

「ありがとう」

微笑みが少年を手招きした そして出迎えてくれた小柄な老女をこの村の語部だと教えてくれた 

 

懐っこいおばあさんの豊かな表情は少年のこれまでの旅路に驚き感心していた

「おばあさん、彼、スアティ・クラルの末裔だって、リュルウが」

「ほー、よくおいでになった」

「だから彼にあの話を聞かせて スアティ・クラルのお話」 

「ああ、いいとも」

そう言って語り出したおばあさんのお話は遠い遠い昔の話だった おばあさんは少しずつ、少しずつ織るように

「私と相手、うちの子とよその子、あの地域とこの地域、被害者と加害者・・そんな意識が強かったのも遠い昔 あの頃のように一方向に向ける愛によって分裂を招くことも今はないけれど、その頃の人々はそうという視点の中にいた 自分が何者かわかっていなかったからね そんな時、ある村と村で怪我人が出るほどの揉め事が起こった その中にスアティ・クラルと言う男がいた 

ある日、スアティ・クラルはたまたま敵対する村の者の怪我を介抱した それを知ったスアティ・クラルの仲間は激怒した 仲間の中には相手の村に恨みを抱く者もいたからね それは仕方のない事だ ただ、敵に唾を吐く者こそが英雄として扱われるのもその頃の常だった それでもスアティ・クラルは目の前の怪我人を放っておくことはできなかった  それでクラルは味方に袋叩きにあったんだよ けれどクラルは自分でも知らず知らずの内に愛の種も蒔いていた」

「村と村が仲直りしたのですか?」

「うんにゃ、恨みは親から子へ そう簡単に解けるものではなかった けれどスアティ・クラルの行いもまた、両村の子供達からその子供達たちへと語り継がれた それで人々はスアティ・クラルの真似をして、怪我人だけは敵味方関係なく介抱するようになった」

「それからどうなったのですか?」

「どうも けれどスアティ・クラルがいなければ、憎しみだけが深まっていたかもしれないね それに私らもこうして己の意識の在りどころを見つめ直すことができなかっただろう いずれにせよスアティ・クラルから種は贈られた あとは一人一人の心の中に蒔かれた種を、咲かせるも咲かせんもみんな自分次第なんじゃ・・お若いの、」

「はい」

「私にはスアティ・クラルが怪我人だけではなく、もっと大きなものを見ていたと思えてならぬ・・・そしてその創造は長い長い時を経て、結晶となりつつあるのだと」
そう言うと、おばあさんは目を瞑り、うつらうつらと船を漕ぎ始めた 辺りはすっかり暗くなっていた 

帰り道、とぼとぼと月明かりの中、

「君の家族が心配しているね」

「大丈夫」

ただ、このときも娘の心はここにあらずと言った様子だった そしてその晩、少年は娘からこう告げられた

「一緒に旅をさせて欲しいの」

星降る夜のことだった

 

おしまい

 

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