150.自信

https://note.com/3ayako/n/n438b5ed22d96

こんにちは
「1.初めまして」の記事を
必ず読んで同意の上で次にお進み下さい
↑の「1.初めまして」に記事一覧あります

150記事まで書くなら
150を3ヶ月記事にしたらいいのにと思われた方へ
どうしてもキリのいい所でこのテーマを書きたかった
今の自分が欲しくて足らないモノ
そしてこれからに一番必要なモノです

150.自信

自分を好きになれなかったり自分を許せない
そんな経験があると自信を付けるのは難しいですよね

根本的なこの「自分への肯定」が無いと
何をするにも自信を持てなくなります
その「する事」に「基準」が無ければ
余計に自信を付けるのは難しくなります

1の「初めまして。」の記事に書きましたが
現在の私は神様の声や姿が以前ほど
視えても聴こえてもいません

そして師匠や友人と視えているモノや言葉が違い
本当に視えているのかと悩む事のある日々です
それでも重ねてきた経験から
それらの全てが妄想だとは到底思えません

それでも3回は私が視ているモノが「正しく無い」と
指摘されて自信を失った事があります

※今から書くこの例え話だと視える視えないは関係なく
その場に居た人とそうではない人となっていますが
この前後で視える視えないの差異があってからの
この出来事への流れでした

3回それぞれに神様のお言葉や行動が
私の視ているモノと友人達と違っていた
正しく無いという指摘も視点を変えれば結果は変わる
何が真実かがわからないのが
この視えている視えていない問題の辛いところ

そう思い悩んだ中で
共に視えている事が全てではないのと
アセンションは経過よりも結果を重視するべきだと
考えを改める事が出来ました

その考えを改めるキッカケを下さったのが
守護神である鬼灯様です

鬼灯様はシロコさんが連れてきて下さった神様です
シロコさんが私の側に居られない時に
私を護って下さるシロコさんの信頼の厚い方です

この方はとても厳しい方で今で言うストイック
センスも良く何でもそつなく熟す天才でもあり
それ以上に努力を当たり前として何事にも興味を持って
熱心に取り組む努力家の方です

師匠は鬼灯様から色々な呪術を習い
師弟関係を築いていました
なので多少キツイ言い方をされる事はありました

それでも私が視る限りでは
蔑んだりバカにした貶した表現をとる事は一度も無い
ですがある日に師匠は
鬼灯様から貶されたと愚痴った日がありました
師匠と鬼灯様の二人だけの時間の出来事でした

「そんな筈ないよ」と私は師匠に訴えましたが
それだと師匠が聞き間違えたか嘘を言った事になる
一触即発な雰囲氣を察して間に入った友人が
その場を宥めるのに
「人によって関係性は変わるのだよ」と伝えてくれて
「確かにそうかもしれない」とも思いました
それでも私の中での違和感は消える事が無かった

鬼灯様は平安時代を生きた人神様です
平安時代と言えば言霊や呪術が盛んで
今よりももっとずっと言葉を大切にしていた時代
言葉が全てと言える程です

それに神様は言葉の持ちうる力を
私達以上にご存知だし大切に扱っているのです
そんな方が言葉を蔑ろにするとは到底思えません

一般的には人によって関係性は変わるので
師弟関係にあった二人の間の軽口だと捉えるのは
至極まともな意見だと思います

ですが鬼灯様の背景や性格やお立場を考えると
どうしても納得出来なかったんです

その事があったその後に私がちゃんと聴こえていないと
指摘を受ける事が何度かあり
元々に視える時期が35歳からだったと遅い事や
自分への肯定感が低い事が根強く意識に出てしまい
自信を持てない日々となりました

そんな中で改めて鬼灯様との日々を過ごしてみて
雲海で2人で話した時に
「視えて(みえて)いるモノが全てではない」
と教えて頂いてやはり
「軽口であっても相手を否定する表現はしない方だ」と
確信を持てました

鬼灯様本人に詳細を問い詰める事はしていません
その場合はどんなお応えだったとしても
何かしらの蟠りが私達の間に出来てしまいます
だからといって師匠が聞き間違えたとも
嘘をついたとも思わない

それに私が視えていないと指摘するのも勇気が必要
それは優しさと思い遣りを持ってなされた事でした
なので尚更に真実を突き詰める事が全てでは無いと
考える事が出来ました

そうした中で
ただ視えるとか聞こえるという部分だけでは無く
「その人(柱)だからこそ」という視点を持つと
その基準にしたら曖昧な事も決断しやすくなった
そうした結果が自信へと繋がったのです

正解を知る事が出来ない現状なら
それぞれの信じたい事を信じれば良い
そう開き直るとどんどんと前向きになり
視えている神様が例えば思う存在と違ったとしても
導いてくれる行く先が同じであり
結果が目標であるアセンションに繋がれば
神様と思っていた存在が神使や精霊でも
些細な問題ではないと氣付きました

「する事」である「アセンション」が
やり遂げなければいけない「基準」で最優先事項です
だからこそ色んな存在が同じ名前を名乗ったりしていた
間違った反対方向へ走るのは困るけど
同じ方向に行くなら案内してくれるのが誰でも
其処に拘る必要は無かったのだと改めて氣付けて

我が家に居る神様が本物だろうが偽物だろうが
神使だろうが氣にならなくなりました
自分が思う以上にその本物に囚われていたと思います
それもまた基準や自信の無い現れでした

どう修正していいかもわからない視る力
養う方法は何かと試していますが
上限があるのか一番最初に視えた以上は視えない
それでも「その人だからこそ」って見方と基準で
信用や安心を押し計れば少なくても後悔は無い
そしてコレが自分軸って事なのだと理解出来ました

自信が無いというのは自分軸がない事だった

物事は大切な事を知る為に全て存在して
意味のない事はない
辛い悲しい悔しい嬉しい楽しいなどの色んな事が
私達が思う以上に意味を持ち
氣付きのキッカケを待っていてくれてるんですね

これからの時代に大切な事の基礎
それが自分軸を持つ事と言われています
皆様がこれを読まれて何かに氣付いたり
自分軸に繋がる何かを手に出来ますように…

150.自信

149の記事と150は
今後必要だと私が思う事を書きましたので
合わせて読んでくださると嬉しいです!