荒野の幕屋

クリスチャン夫婦による学びのシェアノート。 今のキリスト教界に対する疑問や世の終わりに…

荒野の幕屋

クリスチャン夫婦による学びのシェアノート。 今のキリスト教界に対する疑問や世の終わりについても触れていきたい。 youtubeで聞いた海外の説教で良いものがあれば要点をまとめてシェアします。

最近の記事

十字架の理解

十字架を見る時、何を思うでしょうか? 十字架は単なるキリスト教のシンボルではありません。 アクセサリーのように自分を飾るものでもありません。 イエスキリストは私たちの罪の代価を払うために十字架でいのちを捨ててくださりました。 それは私たちの罪ゆえです。聖であり、義である神は罪を見逃す方ではありません。全ての罪人は神の怒りを受けるべくして当然の存在なのです。 しかし、哀れみ豊かな神はそのひとり子であるイエスキリストをこの地上に送り、全ての罪人が受けるべき怒りの杯を全て飲

    • ペンテコステ派/カリスマ運動の腐敗したルーツと偽教師たち 〜ジョン・アレクサンダー・ダーウィは詐欺師〜 その3

      ダーウィの名前はそれほど耳にする機会はないかもしれないが彼こそがペンテコステ/カリスマのプロトタイプといっても過言ではない。 なぜなら、ダーウィから多大な影響を受けたまむしの弟子たちが今の現代のペンテコステ/カリスマ運動を作り出したからである。 引き続きダーウィがクリスチャンではないことを示す事実を述べたい。 ・ダーウィとフォロワーの8名がザイオンシティにてダーウィによって精神の病を癒されたと宣言されたミリーローガンという女性がその後、治癒と称して肉体的拷問を受け、適切

      • ペンテコステ派/カリスマ運動の腐敗したルーツと偽教師たち 〜ジョン・アレクサンダー・ダーウィは詐欺師〜 その2

        ダーウィの問題は以下にまとめられるだろう。 ・医療を徹底的に否定、薬を服用することは罪としたこと(にも関わらずダーウィ自身は薬を服用していた) ・癒されないのは不信仰か隠れた罪を告白していないとしたこと ・上記により本来死なずにすんだ人を殺したこと ・免許無しに医療行為を行っていたこと ・金銭を愛していたこと(献金しない者には祈らなかった) ・脅迫行為を頻繁に行っていたこと ・信仰によって多くの癒しを行なったと称しているが証拠がほとんど無く、説明を求められても一切の説明無し

        • ペンテコステ派/カリスマ運動の腐敗したルーツと偽教師たち 〜ジョン・アレクサンダー・ダーウィは詐欺師〜

          ダーウィの負の遺産は現代のペンテコステ/カリスマ運動に多くの影響を及ぼしている。ダーウィが偽物か本物だったのかをはっきりさせることは非常に重要である。 ダーウィは多くの癒しを行なったとされているがそのほとんどは証拠が無い。 ダーウィはいつもスキャンダルに囲まれていた。 ・ダーウィはアメリカのサンフランシスコに渡るときオーストラリアにいた5年間で7000人以上を癒したと主張したが、メルボルンやシドニーのニュースメディアが発表した事実とは大きな相違があった ・1888年

        十字架の理解

        • ペンテコステ派/カリスマ運動の腐敗したルーツと偽教師たち 〜ジョン・アレクサンダー・ダーウィは詐欺師〜 その3

        • ペンテコステ派/カリスマ運動の腐敗したルーツと偽教師たち 〜ジョン・アレクサンダー・ダーウィは詐欺師〜 その2

        • ペンテコステ派/カリスマ運動の腐敗したルーツと偽教師たち 〜ジョン・アレクサンダー・ダーウィは詐欺師〜

          ペンテコステ派/カリスマ運動の腐敗したルーツと偽教師たち

          1906年にアメリカのロサンゼルスのアズーサストリートリバイバルは有名な話である。使徒行伝2章と同じように聖霊が降り、人々は異言を語ったとされている。 そこから Word of Faith(信仰のことば運動) Charismatic movement(カリスマ運動) Prosperity Gospel(繁栄の福音) New Apostolic Reformation=NAR(真使徒運動) などの偽りの教えが生まれている。 アズーサストリートリバイバルから更にルーツを遡ると

          ペンテコステ派/カリスマ運動の腐敗したルーツと偽教師たち

          心の貧しい者、悲しむ者

          序フリーランスの塾講師として働いているが、数年前につくったホームページに記載した「大切にすること」を見直しながら、なんだか自分自身で大きな違和感と嫌悪感を抱いた。そこに私はこう書いていた。 「健全な自尊心:ぼく、わたしには素晴らしい力がある!ということを積極的に受け止め、簡単に自分の限界を決めずにない力を育みます。」 当時としてはもちろんよく考えて書いたつもりではあったものの、改めて読み返すと、ディズニー映画などでお決まりの口滑らかなメッセージとまるで同じではないか。ひ

          心の貧しい者、悲しむ者

          真の信仰者-「迫害」という喜び

           16世紀初頭にドイツから始まった宗教改革は、腐敗したローマ=カトリック教会が絶対的な支配力を持っていたヨーロッパのキリスト教信仰を一変させ、聖書の教えに立ちもどろうとする運動が広がった。  1553年イングランド女王として即位したメアリ1世は、スペイン王室と結んでカトリック信仰を復活しようと企てる。1555年1月、異端取締法を復活させた彼女はプロテスタント信仰を捨てない者を次々に処刑する弾圧政策をとり、その残酷さはこのように記述されている。  ジョン・フーパーは、その熱心

          真の信仰者-「迫害」という喜び

          サリエリの信仰は本物か?

          何度も読み返している ・真実の福音を求めて 信仰による人間疎外 その後 工藤信夫【著】 の中に非常に有益な話が紹介されている。 モーツァルトとサリエリ モーツァルトに比べるとサリエリの知名度は高く無いかもしれない。 実際どこまでが本当の話なのか諸説あるが、クリスチャンとして非常に重要な話である。 サリエリは才能のある音楽家であり、無償で音楽を指導するなどクリスチャンとして信仰においても業においても模範的だった。 しかし、それはモーツアルトが現れるまでの話だった。 モ

          サリエリの信仰は本物か?

          砂の上から岩の上へ

          簡単に自分の証を書いてみたい。 (今後はカリスマ運動やペンテコステ派について自分の考えやリサーチも残していきたいと思う) カリスマ運動に惹かれて世の中の裏側を知り、一握りの人間がこの世を裏で支配していることを知り、人生に希望が持てなくなった。そんなとき聖書に出会った。リサーチを続ける中で癒しの動画を見たことで「まるで使徒行伝の世界だ」と目が開かれ、やはり聖書は正しいのだと確信した。 悔い改め、洗礼も受けたが福音の理解はかなり浅かったと思う。私の意識は奇跡やしるしに向いてい

          砂の上から岩の上へ

          問題は「悔い改められない」ではなく「悔い改めたくない」

          昔、ノンクリスチャンの仕事仲間にこんな質問をしたことがある。 「もしキリスト教が本当に真理だったとしたら、信じる?」 いくら「もし」と強調しても答えは「NO」だった。 悔い改めたく無いが本音真理は容赦なく悔い改めを求めてくる。 真理は世に反するため真理を知ったものは多かれ少なかれ生き方を変えることを求められる。 悔い改めを拒む人は「神はいない」「神なんて信じない」「神はいっぱいいたほうがいい」などとそれっぽい言い訳を並べて知恵ある者のように振舞うがその本音は「悔い改めたく

          問題は「悔い改められない」ではなく「悔い改めたくない」

          火事に気づいていませんか?脱出口は一つだけ 〜Are you unaware of the Fire?There is One Escapeより〜

          今回はお気に入り登録しているYoutubeチャンネル「I'll Be Honest」より参考になった動画の要約を紹介したい。 テーマは福音、つまり「良い知らせ」についてであるが、福音が福音たる所以についてとてもわかりやすく解説していた。 私なりの解釈を含めた形で紹介したい。 死からの避難はしごあなたは高層ビルのオフィスにいて、いつもの忙しい1日を過ごしていた。 突然ある人が「このビルの裏側に避難はしごがあります!」とわざわざ「知らせ」を持ってきた。 多くの人は「なんで今?

          火事に気づいていませんか?脱出口は一つだけ 〜Are you unaware of the Fire?There is One Escapeより〜

          健全な聖書的教えの不足

          おそらく自分は救われていなかった。約7年前に洗礼を受け、クリスチャンとして生きる決心をした。だが、今思えば罪について表面的にしか理解していなかった。罪を理解し、悪い知らせをまず知らなければ、良い知らせである福音は理解できるものではない。 クリスチャンがストリートに出ていき、癒しを行う動画に大きな影響を受けた私はクリスチャンになれば自分も神様の力によってダイナミックな人生を送れるのだと思った。 異言を語り、癒しを行い、不思議や奇跡、聖霊の賜物によって人々をキリストに導けると

          健全な聖書的教えの不足

          表面的な治療を施し、問題の根に迫らないクリスチャンへの警告

          生死に関わる病気が見つかった際、それを患者に伝えるのは簡単なことではないだろう。 間違ったことをしている人に「間違っている」とはっきり伝えるのも意外と 難しいものである。 診断無しに治療はないしかし、生きるためにはまず患者が自分が病気であることを知らなくてはならない。また間違いを繰り返さないためには、本人が間違いを犯していることに気づかなければならない。 相手が悲しむからと「心配しなくても大丈夫」と言って病気のことを告げない医者は信用できないだろう。 聖書の真理は罪びと

          表面的な治療を施し、問題の根に迫らないクリスチャンへの警告

          悪い、姦淫の時代はしるしを求める

          イエス様のたとえには難解なものがあるが、その一つがこれだった。 マタイ12章全体はイエス様の揚げ足を取ろうとするパリサイ人たちとのやりとりが記されている。 なぜここで汚れた霊の話なのか?汚れた霊の話は38節からのしるしを求めるパリサイ人たちと会話の中で文脈を無視するかのように43節から挿入されてくる。 汚れた霊の話自体の意味は何となく理解はできても、どうしてこの文脈でこの話をされたのか、それがわらかなかった。 意味がよくわからないときは前後の文脈をよく読むようにしてい

          悪い、姦淫の時代はしるしを求める

          疑問を持つことは不信仰なのか?

          序疑うことは悪いことなのか? 疑問を持つこと=不信仰という空気がキリスト教界内に流れているように思う。 もし「疑う」ことを悪とし、分別を働かせることを止めてしまった場合、 羊の皮を被った狼が群れの中に忍び込んできたらどうなるだろうか。 カルト宗教では教祖を神格化し、言うことは全て絶対とする。疑いを徹底的に排除し、人の思考を停止させる。 疑うこと、疑問を持つことについて少し考えてみたい。 1、何でも信じる人はむしろ不信仰 A・W・トウザーの著作の中でハッとする節があっ

          疑問を持つことは不信仰なのか?

          あなたは本当に救われてるか? byポール・ウォッシャー

          ある有名なカルト教団の教祖が急逝した。 このニュースを耳にしたとき天使に打たれたヘロデ王が頭に浮かんだ。 この教祖は降霊術によってイエスキリストの霊を呼び出したとして本も出版している。クリスチャンからすれば降霊術の時点で重い罪であるが、更に主イエスの名を使って冒涜まで犯している。 全く神に栄光を帰さなかった。彼が天使に打たれたと言いたいわけではない。ノンクリスチャンもクリスチャンも神に栄光を帰さず、独善的で自分の行いや誇りに頼るものは滅んでしまう。 特にクリスチャンは神を

          あなたは本当に救われてるか? byポール・ウォッシャー