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大河ドラマ光る君へ感想(第19~21回) ~枕草子爆誕~

どうも、古の平安中期オタク(中関白家推し)です。
二条第炎上から枕草子が誕生し、全俺が泣いた。本当にありがとうございました。


↓前回

※以下、史実に言及します。若干ネタバレになっている気がするので、純粋にドラマとして楽しみたい方は読まないほうがいいかもしれません。
※ただのオタクの感想なので解釈違い等ご容赦ください。

ついに長徳の変

この隆家、良い

嬉々として人に矢を射かけ、罪が言い渡されると諦めて颯爽と退場する隆家、最高である。
登場人物紹介の文言的に刀伊の入寇の映像化もあるっぽいので、後半一番楽しみにしています。はやく戻ってきてね^^

伊周の凋落

爽やかに退場した隆家に対して、出家のコスプレまでして罪を受け入れない伊周。俺は悪くないし周りが悪い、と思っている感じでイラつくけど笑、これが人間の本質だよねとも思うから私は伊周を100%嫌いにはなれないのです。山月記の虎とも通じる、私が人間の本質のあはれさを感じるところ。反面教師にして、謙虚でありたいと思います。

伊周は、若いうちに苦労を経験しないで大人になると、最初の失敗が取り返しのつかないレベルの事態になり、人生が終わるという良い事例ですよね。貴子様の「私があなたに多くを背負わせてしまった」というのはその通りなのですが、貴子様の甘やかしも原因の一端では?と思わなくもない。父も母も伊周に期待をかけすぎたけど、それは愛ではあったと思うから、子育てって難しいね。
この後枕草子にキラキラ伊周が登場するので若干救いはある気がするけど、この伊周は清少納言に感謝はしなさそう。想像したらまたイラついてきた(笑)

やっぱり面白すぎるこの時代

史実の政争が面白すぎるから時代考証入れてドラマ化したら絶対に面白い、という話を第1回のときからずっと思ってたのですが、長徳の変がその最たるものですよ。寛和の変は計画されたクーデターですが、長徳の変はただの誤解からの自滅、そんなことってある??
史実の話自体も面白いのですが、そこに各人の個性&人間関係&芸術の才能が絡み合って最高なのです。大河ドラマにしてくれて本当に嬉しい。

枕草子誕生

定子様出家、二条第炎上

さて一方、定子様の苦難サイドのお話。
一条天皇と精神版ロミジュリ状態になっており、兄と弟は流罪、頼りの清少納言はいじめで里に下がるという四面楚歌。出家(≒この時代の自死)したくなる気持ちも理解できます。第20話ラストで定子様が自分で髪を切る描写が、自死っぽく見えるように映像化されてたのが、現代人感覚でもわかりやすくてすごいなと思いました。
二条第が火事になったときに、本当にもうこのまま死んでもいい、と思っていただろう定子様にとって、清少納言が生に繋がる一筋の光だったのだろうな(お腹のお子が光にならなかったのは、この時点では一条天皇にも絶望してたのでは、という悲しい考察)

こんなに美しい第一段の映像化ある?

枕草子ガチ勢で第一段は暗唱できるくらい好きなので、今回の映像化には涙が止まりませんでした。

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる 雲のほそくたなびきたる。
夏はよる。月のころはさらなり、やみもなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。また、 ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
秋は夕暮。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行く とて、三つ四つ、二つ三つなど飛びいそぐさへ、あはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫のねなど、はた言ふべきにあらず。
冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして炭もてわたるもいとつきづきし。 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。

枕草子 1段 (角川ソフィア文庫)

これが定子様を元気付けるために書かれたと解釈すると、定子様がこのフレーズを反芻しながら、これまで重ねた季節が甦ったのだろうと想像できます。この言葉で、また生きて季節を重ねたいと思ってもらうことができた。言葉の力を感じる、あまりに美しすぎる世界観です。
(最後の”わろし”でクスッと笑う定子様が容易に想像できて尊い)

なんのために書くのか

私は自分の思考をまとめるために文章を書いているのですが、ついでながらそれが誰かに面白いとか役に立つとか思ってもらえると嬉しくて、noteを続けています。
清少納言は定子様のために書き始めて、その言葉を届けたい人にきちんと届いた時の嬉しさと言ったら筆舌に尽くしがたいでしょう。御簾の向こう側で肩を震わせていた清少納言の気持ちが想像できて私も震えました。
改めて、”書く”ということの行為の持つ力をしみじみ感じます。

紫式部と清少納言が友人だった世界線

紫式部の主人公補正で、枕草子執筆のきっかけがまひろとの会話からということになっているのがやや気になるものの、話が通じる友人がいなさそうなききょうにとって、まひろとの友情は大事なものだったのだろうなと想像できます。
創作系でもどうしても清少納言VS紫式部で描かれがちなので、この友情という関係性は新しいし、ありよりのありでは。定子様と紫式部が対面してるとかは、ちょっとやりすぎな気もしますが、全体的に史実の流れから外れてないのがすごいです。脚本と時代考証の相乗効果がすごい。

清少納言こそ、したり顏にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。

紫式部日記 56 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

紫式部日記での清少納言批判も、後の政治的圧力(定子サロンと比較されてしまう彰子サロンを上げる意図)から書いたものだと読めば、二人の友情とも矛盾しないと思うんですよね。基本的にこの時代、言いたいことも言えないこんな世の中じゃpoison状態なので、残っている文章=本心とは限らない。解釈は無限大。


さて、これ以降が清少納言が最も筆をふるった時代です。
枕草子エピソードがたくさん盛り込まれているといいなと期待してしまいますし、夜をこめてなどの行成との絡みもぜひ見たい。
というわけで引き続き心して視聴したいと思います・・・!

↓続き


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