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死なないメソッド(エッセイ)

子供達に教えることは死なないメソッド

仕事でもプライベートでも、子供たちと関わるなかで、一体自分は子供たちのために何ができるんだろうか。なんのために存在しているんだろうか、と考えることが時々あって、それはいつも色々な言葉で自分自身に対して説明するんですが、やはり言葉というのはなかなかはっきりとした所に辿り着かないものなんですね。

自立のため、とか、生きていく力、とか、まあ色々あるんですが、いつもなんとなく嘘くさいなぁと感じていました。ですが、最近になってふと「死なないメソッド」という言葉が頭に浮かんで、この言葉が1番、自分が子供たちに伝えたい思いに近いと気づきました。

クライミングを長く教えてきましたが、クライミングが上手になることは少しも重要だと思ったことはありません。一生懸命頑張ることは凄いと思います。しかし、重要ではありません。むしろ、勝つことが思考の中心になってしまうことに危惧を覚えます。そういう子達をたくさん見てきて、思うところもあり2年ほど前に教えることをキッパリやめました。

今は子供クライミングクラブとして自由に登っている子供たちを眺める日々です。

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つい先日

小学1年生の女の子がリードクライミングをしたいと言い出し、それを聞いた2年生の男の子がクリップを教え始めました。男の子は自分なりに工夫して伝わりやすいようにするんですが、自分自身も失敗したりとなかなかうまくいきません。

すると6年生の男の子が近付いてきて「こうすればいいんじゃねぇの?」と別の手段を提案します。そんな感じである程度までリードクライミングの方法を教えてもらった女の子は、クリップを1本かけることができました。ビレイは私です。ちなみにこのビレイも「先生やってよ」と子供達が私にオーダーしたのです。

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死なないことが生きるということ


私たちが歴史から学ぶ最大の恩恵は「戦争をしてはいけない」ということです。戦争をしないためには「争わずに解決する方法」を知らなければなりません。争わないためには「相手を理解」しなければなりません。相手を理解するためには「相手を知らなければ」なりません。相手を知るためには「学ばなければ」なりません。

だから我々は勉強するのです。子供の時だけではありません。勉強は一生続きます。では大人は子供に勉強を教えれば良いのでしょうか?もちろんそれはとても大切なことです。読み書きができ、会話ができ、数字を理解しなければ、共同生活を営む人間として生きていくことはできません。しかしそれだけで、子供たちは社会に出て、幸せに充実した人生を送れるのか?

戦争は今も絶えず、先進国の自殺者も絶えることはありません。大人は誰しも自分に関わった子供達に不幸になってもらいたいなどとは思いません。ましてや命を落とすなど耐え難い苦痛です。しかしかつてそういうった時代があったのです。そういうことを繰り返さないために、私は「死なないメソッド」を子供達に伝えようと決めたのです。

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死なない為には自信が必要


自分の人生にあるものを全て失っても自信を持って生きていけますか?多くの人は「yes」と言えないと思います。それは私たちが自信を外から追加するものだと勘違いしているからです。

私に例えれば、クライミングをしているからそれが自身に繋がっているとも言えます。確かに若い頃はそんなふうに思ったこともありました。しかし今は違います。明日、クライミングが出来なくなっても自信は消えません。残念だとは思います。

英検を持っているから。テストの点が良いから。役職についているから。それらがある日消えた時、自信がなくなってしまうとしたら、それはあなた自信が自分の人生を生きてこなかったという証明になってしまいます。何故なら、英検も、テストも、役職も、あなたが生まれた時には無かったのです。生まれた時も、今も、あなたがあなたであることに変わりはありません。

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自信は得るものじゃない


クライミングがあるから自信がある、という状態は精神面では危険な状態とも言えます。「クライミングをこなせている自分はなかなか凄いぞ。これだけ出来るならこれからも色んなことが出来る」という状態が精神的には健全です。似ているようで大きな違いがあります。

クライミングも、他のどんなスポーツも道具です。精神と肉体を健康に保ち、自分自身の内側から自信を生み出す道具なのです。それは他人も同じことです。友達や、恋人や、家族、たとえ失ったとしても、あなたは存在しています。悲しむことはあっても自信までなくしてはいけないのです。何故なら内側から生み出され続ける自信こそが死なないために絶対に必要なものだからです。それは生きる根源そのものです。

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先生の役割


多くの先生は最初から最後まで親切に手取り足取り、色々なことを教えてくれます。そして間違っていれば正してくれます。小学校で習う教科はこうした先生の努力がなければ身につきません。

しかし、それだけをいつまでも繰り返していると思わぬ落とし穴にはまってしまいます。それは「答えは常に一つ」という危険な思考です。危険と言ったのには理由があります。私たち人類は様々な人種がいます。考え方も様々。家庭環境も様々。言葉使いが綺麗な人もいれば、そうでない人もいます。そういった様々な人が生きている環境で、それぞれに違う一つの答えを主張しあってしまえば未来が暗くなるのは明白です。

たとえば、言葉使いが汚い人は印象があまり良くないですよね?しかし言葉使いが悪い人は悪い人だ、というのは危険な思考です。

何故だかわかりますか?

言葉使いが悪い人は一様に悪い人だという単一の答えに縛られてしまっているからです。この単一の答えに縛られてしまうことが、他者の否定につながり、場合によっては争いにまで発展するのです。

先生が先生として頑張れば頑張るほど、真面目になればなるほど、子供たちはこのループにはまっていきます。

誰かを叩いた!悪い子だ。というように。叩いた子は誰かが見ていないところで人助けをしているかもしれません。しかし、悪い子と決めつけられた子がそのバッドループから抜け出すのは非常に困難です。先生の正義と悪の法則はそれだけ強く、時として恐ろしいメッセージなのです。

私たちのクラブに、いつも練習をせずに走り回っておもちゃも独り占めすることが多い男の子がいます。時々、相手を泣かしてしまったり、煙たがられます。でも、この男の子以上に、うちの4歳の息子の気持ちを理解して、一緒に遊んでくれる子はいません。うちの息子と遊ぶときは天才ともいえる才能を発揮します。もし彼の身の回りに「単一の回答こそ全て」という真面目な先生ばかりだったらどうでしょうか?想像に容易いと思います。

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まとめ


我々、子供たちと関わる大人に必要なことは何か?

簡単です。それは子供達のチャンスを奪わないことです。

そのために私たち大人は勉強しなければなりません。旅に出て知見を増やし、学び、経験し、可能な限り広い視点で子供達の行動と言動を見る必要があるのです。正しく教えること、正義を押し付けること、悪を正すこと、それらは多くの場合、子供達が生きていく力を得る上で弊害となります。

自然でも、社会でも、生きていく力とは、死なないメソッドを身につけることです。

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