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夜食に歴史あり

夜更かしするとどうしても夜食を食べてしまう。

最近は冷凍讃岐うどんを食べることが多い。つゆだけは一手間かけて、ネットで見つけたレシピで作る。鰹節でだしを取り、みりんと料理酒と醤油で味を整える。みりんはともかく料理酒を入れる意味が今ひとつ分かっていない。だが、鰹だしをベースとしたこの三位一体により、夜明け前の身体に染み入るうどんが食べられる。

振り返ると、気に入った料理は短期間に繰り返し作ることが多い。一時期はカルボナラーパスタばかり作っていた。ほうれん草とベーコンが入っているやつだ。なんなら夜食でもよく作っていた。今考えれば正気の沙汰ではない。昔から体型が変わりにくいので、大罪だと理解しつつも気にせず食べていたのだ。

もう 2, 3 年作っていないが、今でもレシピは覚えている。卵液を麺に和えて乳化させるところが絶妙に難しい。失敗すると固まった卵とシャバついたソースとで、惨めな代物ができあがる。調理に使うのは、入居した頃から使って取っ手が取れそうになったフライパン。端から麺がこぼれ落ちそうなほどの量を作っていた。

どうしてあれほど麺の量が多かったのか。煮立った鍋の上でパスタの麺の束を数えるときだけ食欲に負けて算数が狂い、1 = 2 になってしまうのだ。カルボナーラを失敗させない秘訣は、この狂った量の麺に対して十分な量のソースを作ることだった。

失敗しないためには、何よりも食材をケチらないことが重要だ。粉チーズは容器の 1/4 くらい使う勢いで。バターはケチらず大きくカット。材料費が脳裏をよぎってソースを少なくすると失敗の確率は高まる。カルボナーラ作りは食欲と金銭欲による異種格闘技でもあった。

麺を茹でているときにベーコンとほうれん草を買い忘れていたことに気づき、泣く泣く素のパスタに粉チーズを絡ませて食べたこともある。自慢じゃないが片手で数えられないほどはある。だから、そういう悲しきパスタがスパゲッティアルブーロという大層な名前で呼ばれていることも知っている。後に伊丹十三のエッセイを読んだら載っていた。本場のそれはきっと香川で釜揚げうどんを食べるような感覚に近く、素材の味で勝負する料理なのだろう。午前 2 時に泣きながらディ=チェコの 9 分茹での麺に粉チーズを振ってぺちゃぺちゃ混ぜたものとは違うはずだ。

特に意味もなく徹夜をするような日は、よく夜中に豚の角煮を作ったりしていた。圧力鍋はないので、普通の鍋で時間をかけて作る。日付を跨いだ頃から調理をはじめると、2 時半頃にはできあがる。中央線で考えると東京駅から始まって奥多摩駅に着く頃には出来上がるので、角煮特急と呼んでいた。実際には特快と呼んだほうが正確なのだろうが。深夜特急みたいでこちらのほうがいいじゃないですか。

定期的に鍋の様子を見つつ、夜通し Mac に向かい、冷静に考えると何もしていないのだが何かをしたような気になったりしていた。美味しい化学反応を見つめつつ、たまに灰汁など掬ったりして出来上がりを待つ時間のウキウキ感は、得難い。出来上がったら粗熱を取って冷蔵庫で冷まし、翌朝には炊きたてのご飯といただく。調味液に一緒に卵を浸して味玉を作ったりもしていた。

輝いている。一個でご飯一杯は食べられる濃厚な味だった。

2 時間半の調理を経て、一晩寝かせた角煮と煮卵。丁寧を通り越して王侯貴族の食事だ。これ以上の時間と光熱費をかけて作る料理は、筆者の忍耐力の限度を超えている。ドイツ料理のアイスバイン(でかくてやわらかい豚肉。正義だ)を作ってみたいと何度か思ったことがあるが、手間が多すぎて挫折した。角煮と煮卵は一つの到達点なのだ。

だが筆者が住む小汚い部屋では、過去にはより洗練された食生活が営まれていた証拠が見つかったことがある。我が部屋の考古学史における最大の謎の一つだ。それが見つかったのは、つい 3 年前に冷蔵庫の中を掃除していたときのこと。いつ買ったか忘れたジャムの瓶が、壁面の霜と一体化して「埋まって」いたことがあった。

本当に半ば埋まっているのだ。ところで上の写真、まるで冷蔵庫内を探検していたら壁に埋もれたジャムを見つけたような一枚で妙に笑える。

まるで雪山で見つかった古代の人々の生活用品ではないか。ジャムなどという用途の少ない食品を買ったりして。我が家ではジャムは食パンに塗る以外の方法は考えられない。ということは、この冷蔵庫の周辺ではかつてパンにジャムを塗るような生活が営まれていたというのか。そもそも朝飯を食べる習慣があったというのが、今の食生活からは信じられない。丁寧な生活を送ろうと努力していた時代のロマンを感じる。古代人は偉大だ。

今では同じ冷蔵庫にはベースパスタの袋がいくつか詰められている。当時はいろいろ漬物類や瓶詰めの類が多く、使用頻度の少ないジャムが壁際に押しやられることでこのような奇跡が起きたのだと思うが、今ではそれほど冷蔵庫内は混雑していない。自炊で手間のかかる料理を作ることはだいぶ減り、完全栄養食を標榜するベースパスタを茹でてほんの少しの野菜や生ハムなどと食べることが増えた。古代の食生活を思うと、未来の食事はいささか味気ない。

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