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「僕はきっと旅に出る」 第一話:初めての外国語はマレーシア語だった

自分は17歳の秋に、高校の修学旅行でシンガポールとマレーシアに行った。

パスポートの手続きといった煩雑なこともあったが、これが初めての海外旅行であったので、めんどくささ以上に好奇心で満ち溢れていた。

渡航に際して、『一人歩きの会話集 マレーシア語』を買い、基本的なマレーシア語を三週間勉強した。

まず文法を覚えてから、自己紹介、食べ物の名前、実際に使いそうな会話表現をピックアップしながら暗唱できるまで覚えた。

当時の自分は父親が厳しかったため、スマホを持ってはいなかった。

今ならマレーシアに関する動画を見たり、言葉もアプリを使って勉強できるだろうが、この時は完全にアナログ。
自分の想像力を頼りに、現地の人たちとの交流を想像しながら、ノートに会話表現のストックを書き留めていく。

自己紹介、ホームステイ先の家族との会話、お土産屋さんでの会話、道案内を聞く、お礼の伝え方などなど。

この勉強方法は後に大学で中国語を学ぶようになってからも役に立ったと思う。

実際にその言葉を話す場面を想像し、そのための会話を学ぶ(真似ぶ)。
中国語の場合は、めちゃくちゃ綺麗な中国美女と会話する場面を想像した。

外国語学習の基本はやはり話すことだと思う。
正直、よく教育現場で言われる「日本人の英語力は他国と比べて低い」批判は間違いであると自分は考える。

なぜなら、そもそも学校の科目で英語がある以上、テストで点数を稼ぐことが第一目標になってしまいがちだ。さらに、実際に社会人として就職したとしても、英語を使う機会はほとんどないし、英語ができなくても高等教育、就職に不自由することも少ない。
幸い、自分は新卒からプラントエンジニアリング会社の海外営業部に配属だから必ず英語力は求められる。

つまり、日本人は英語ができないのではなく、英語を学ぶインセンティブ(動機付け)が無いのだと思う。
いつの日か分からないけど、必要に迫られれば、きっと日本人の英語力はその勤勉さで大きく向上するだろう。

英語の話はさておき、地道にマレーシア語を学び続けて三週間がたった。

ついに2017年10月17日にシンガポール・マレーシアへ渡航する日が来た。

初めて乗った国際線はシンガポール航空で、成田空港からチャンギ空港へのフライトだ。
出国審査を終えると、ゲートの向こう側は法的に日本ではないという、日本にいるのに日本ではない不思議な感覚を味わった。

シンガポール航空の機内はなんとも国際的で、様々な人種のCAさんがいて、機長もたしか中華系の人であったように記憶している。

およそ6時間のフライトを終えて、いよいよ着陸する。
眼下の景色が日本っぽくないのはすぐに分かった。茶褐色で、アルファベットの多い船など、、、、。

初めて降り立ったシンガポールのチャンギ空港はアジアで一番の発着数を誇る空港らしいが、その時は閑散としていた。でも、非常に清潔感のある、そして湿度の高い東南アジア独特のどんよりとした感じが、異国情緒を感じさせていた。

入国審査ゲートでスカーフを被った女性にシィラカン(どうぞ)と言ってパスポートを差し出す。
スタンプを押してもらったらテリマカシー(ありがとう)と言ってゲートをでる。

どんなに簡単が外国語でも、相手に伝わると嬉しいものだ。

シンガポールには様々な人種がおり、中華系、マレー系、インド系の三民族が主な構成である。
様々な民族が暮らしているため、ヘイトスピーチや対立をあおるような発言法律で禁じられており、寛容と調和のある国であるように感じた。

夕食を食べた後はクラスのみんなで夜景を見物した。
きらびやかな高層ビルやマリーナベイサンズの光景は日本ではあまり見ないような密度と輝きであった。
これが先進国かぁと感じたが、やはりその先進国の背景には厳しい労働環境や競争があり、美しいものの裏にはそれだけの犠牲があるというのを知ったのはもう少し大人になってからのことである。

明日はシンガポール国立大学の学生に市内を案内してもらう予定だ。
どんな景色があり、どんな人たちに出会えるのだろうか、そんなワクワクを感じながら、自分はきらびやかなホテルに入っていった。

次に続く、、、。

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