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エリートの言う「海外は~」「世界は~」に違和感を感じる理由

大学教授やニュースのコメンテーター、実業家など社会で一般的にエリートまたは知識層と言われる人たちに出羽守が多く、僕は昔から何とも言えぬ違和感を感じていた。

例えば僕の学生時代の体験談を書こうと思う。
1年生のころに、海外志向の強い(意識高い)学生が多く集まるゼミに参加した。
このゼミを主宰していた教授はアメリカの大学院で博士号を取得しており、グローバル人材を育成する社団法人の理事長もしていた。
人生経験豊富で、人柄優れる方ではあったがこの教授が「海外は~」「世界は~」と海外のことを語るときは大体においてアメリカや欧州での事情を紹介していた。
僕は違和感を感じた。
なんで欧米のことを話しているのに、それがさも全世界かのような口ぶりで話しているのだろうか?

それからのこと、2年生になり開発経済学のゼミに入ってからは例の違和感をますます強く感じるようになった。
このゼミも前回と同様に海外志向が強く、意識の高い学生が集まっていた。
彼らと教育問題や環境問題、途上国の開発課題を議論するのだが、彼らもまた「海外は~」「世界は~」と海外事情について話す時もほとんどの場合において欧米の事情を話していた。
そして欧米の事情を話しては日本は劣っていると言い出す始末だ。

これは学生に限らず大学教授や社会的に発言力のある人物までも「海外は~」「世界は~」と欧米を礼賛し、日本批判をする場面を多く見てきた。

やはり僕は思うのです。
なぜアメリカや欧州以外の地域、つまり東南アジア・中東・中南米・アフリカは彼らの眼中にないのだろうか?

確かにアメリカやヨーロッパ各国は政治・経済、学問の面で非常に強い影響力を持っている。
だからこそ世界中から優秀な人材・金・情報が集まるのだと思う。
それは自分でも理解できる。もし自分が海外で留学したり就職するとなったらこれら先進国を選ぶから。

しかし、だからといって欧米諸国がまるで全世界かのように話すのは間違いだ。
東南アジア・中東・中南米・アフリカだってそれぞれ文化を持っているし、固有の事情もある。
欧米諸国が政治・経済・学問で影響力があるからと言って、その他の地域をないがしろにするのは傲慢以外に何物でもない。

だから僕は海外のことを他人に話すときは「中国は~」「バングラデシュでは~」と個別の国名を出したり、「イスラム圏の国では~」と文化圏を明確にしてから話すようにしている。

僕は学生時代は中国語やイスラム圏の文化をよく勉強していた。
理由は中国人留学生の女の子が好きになったから、それと高校生の時からイスラム教に関心があったから、ただそれだけだが周りの学生が欧米中心の考え方で世界を論じている中で違う視点で世界を見れたのは良い経験になった。

欧米中心主義で物事を語るグローバルエリート(笑)の方々に言いたい。
英語・キリスト教以外の価値観にもっと触れてほしい。

しかし、それは少し難しいかもしれないと最近の僕は感じるようになった。
様々な国に渡航して、様々な人と関わるうちに分かったのは、文化や言葉よりも人の価値観に影響を及ぼすのはその人の社会経済地位なのではないかと。

裕福な人、教育レベルの高い人は世界どこに行っても同じような考え方をしているし、立ち振る舞いもなんとなく似通っている。
(アジア・アフリカでも富裕層はおしなべて子弟を欧米諸国に留学させている。)
その逆もしかりで貧しい地域・民度の低い環境で育った人は文化や言語に関係なく世界どこ行っても似通った言動をする。

これはもはや文化や言語の違いで説明できるものではなく、社会の分断なのではないだろうか?
その分断が原因で「差別意識」が生まれ、欧米=先進的・それ以外の地域=劣っている、という図式ができてしまうのだろうか?

マイケル・サンデル教授は著書で「エリートは謙虚になるべき」と述べていた。
確かにエリートと呼ばれる方は小さい頃からたくさんの努力を重ねてきて今の地位があると言えるが、それは本当に本人の実力だけのものだろうか?
もし親が裕福でなかったら?もし周囲に良い気づきを与えてくれる人がいなかったら?
はたまた生まれ育った国の政治・経済が脆弱なものだったら?

僕だって、たまたま親にお金があったから、面倒を見てくれる祖父母がいたから、何かと気にかけてくれる大人がいたから大学に行くことができたし、大企業に就職することができた。

そして自分はたまたま文化・社会資本に恵まれた環境で育ったから今の余裕ある暮らしがあり、これはただただ「運が良かった」だけなのである。
だからこそ、驕ってはならない。
自分自身の運の良さ・その環境を与えてくれた人に感謝をしなければならない。

そして世界は欧米諸国だけではない。
アジア・中東・アフリカ、それに中南米だってある。
世界を語るならそれぞれの視点から物事を見てみるとまた違った発見があるかもしれない。




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