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今朝平遺跡 縄文のビーナス 41:奇岩&石造物

愛知県道豊田市大多賀町を流れている足助川(あすけがわ)をさらに辿っていると、足助川の川床に角が丸まった巨石が見られるようになってきました。

愛知県豊田市 足助川
足助川 大多賀町/上八木町 奇岩&馬頭観音

足助川と県道33号線が接近している場所では川床が間近に見下ろせるが、この地域では川床や川縁にすぐ上流まで見られた角張った岩が姿を消し、中型や小型の角の取れた河原石が転がっている様が見られるように変化してきた。

愛知県豊田市大多賀町 足助川

それも、なぜか右岸(上記写真右側)には中型の河原石、左岸には小型の河原石が見られる。
石の角が取れているのは鉄砲水などで川床を転がったからとも見られるが、地面の地下で揉まれて角が取れる場合もある。
右岸に大きい河原石があるのは右岸側に露出した巨石が多いからと考えられる。
右岸側には33号線が通されているので、その車道を通すために右岸の石は削られ、切り立った崖が多い場所なのだ。
一方、左岸(上記写真左側)は人為的な地形ではなく、なだらかな土手だ。
河原石をよく見ると、小型の河原石ほど苔で丸ごと覆われたものが多く、あまり水流で転がっていないのが見て取れる。
上記写真下流奥(向こう側)には藤の幹が伝い、インフラのパイプが足助川を渡っているのが見られる。

ここから少し33号線を下ると、巾40cmほどのコンクリートで堰が設けられている場所の脇に出た。

大多賀町 足助川 堰

堰の幅は、ここまでの足助川でもっとも広く、あまり当てにならないが、15mくらいありそうだ。
下流側の川床からの高さは4m近い。
堰が設けられたことで上流側の水面は広がり、土砂の堆積も見られる。
堰の中央部から水は落とされている。
堰の中央部まで出て撮影したいところだが、堰のコンクリートには苔が厚く蒸していて、滑るリスクがあるので出られなかった。

右岸の苔の無い場所に右足を踏ん張り、1歩だけ堰上に脚を伸ばして、下流側の堰の真下を撮影したのが下記写真だ。

大多賀町 足助川 堰 下流側

右岸からは巨石が川に迫り出しており、中央だけではなく、堰の両端からも水が落とされていることに気づいた。

堰のある場所から33号線を少し下った部分の足助川を上流側から下流側に向かって撮影したのが下記写真だ。

大多賀町 足助川

この部分では中型の河原石が多くなり、小型のものは少なくなっている。

さらに33号線を下っていると、足助川とは反対側の土手に巨石が露出している場所に通りかかった。

上八木町 県道33号線 巨石

巨石の周囲や上方は杉林になっており、33号線はこの巨石を迂回するために右にカーブしている。
このあたりはすでに大多賀町を抜け、足助川の両岸とも上八木町(うばやぎちょう)になっていた。

33号線脇の巨石前は杉が整理されているので、石の全容が観やすくなっていた。

上八木町 県道33号線 巨石

この巨石は赤味の強い変成泥岩に見え、横線の入った板状の摂理がみられる。
この巨石全体を庇のようにして、最下層部には横長の窪みがあり、そこに石塔のようなものが立てられている。

愛車を剥がれ落ちそうな巨石の下を避けて路肩に駐め、その石塔を観に行くと、岩が赤いのは表面だけのようで、石の中身は緑がかっていることが分かった。

上八木町 県道33号線 巨石/石造物

この地域に多い角閃石黒雲母花崗閃緑岩のようで、遠くから見ると、もろくて柔らかそうに見えるのだが、落ちている石を見ると、角は鋭角で硬い石であることが判った。

そして、巨石の下部の隙間には落ちた石を積んで塚を設け、4つの方形に加工した石造の基壇を並べ、その内の1つに舟形の後背を持つ石仏が奉られていた。

上八木町 県道33号線 奇岩&石仏

ほかの3つの基壇に奉られたものは、おそらく、ネット・オークションに出した者がいると思われる。

石仏に近づいてみると馬頭観音のようだった。

上八木町 県道33号線 馬頭観音

この地域では、よく見られる三面八臂(さんめんはっぴ)の馬頭観音ではなく、一面二臂の馬頭観音が見られる。
重い荷を背負った老馬が大多賀峠を超えてきて、ここで息絶えた例はあったはずだ。
馬頭観音は平安時代から高コストな移動手段だった馬(今なら馬をエンブレムにしているフェラーリのようなものか)の守護を願って奉られてきた仏だが、街道を使った流通が盛んになった近世以降は急死した馬を供養するために石仏として奉られた例がほとんどになっている。
こうした例の多い街道は日本国内でも、上記二つ目の地図内に記入してある国道153号線(中馬街道)が代表的な街道とされている。
中馬街道は尾張と信州飯田を結ぶ塩と煙草を主目的に輸送した街道だが、ここ33号線はその中馬街道の脇道と言える街道で、信州に向かう中馬街道に対して、岡崎、豊橋方面に向かう街道だ。
体験的に江戸と秩父を結ぶ秩父往還(青梅街道)でも多くの馬頭観音石仏は見られた。

馬頭観音前で上を見上げると半円状の複数の庇が突き出ているのが見えた。

上八木町 県道33号線 巨石

三河ではこれまでにも以下のように奇岩(巨石でない場合もある)と石造物を組み合わせて祀った例と複数、遭遇している。

上記2ヶ所には役行者像、1ヶ所には馬頭観音が奉られており、上八木町の
奇岩&石造物の空席になっている3つの基壇の1つには役行者像が奉られていた可能性は高いと思われる。

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馬をエンブレムにした名車はフェラーリのほかにポルシェ、フォード・マスタングがあります。フェラーリとポルシェのエンブレムは跳ね馬、マスタングのエンブレムは疾駆する馬です。跳ね馬は日本の家紋のモチーフにもなっており、平 将門の子孫である相馬氏が跳ね馬を家紋としていますが、相馬氏は名称に「馬」が付いており、馬の産地の武将でもあり、その傍流氏族は様々な馬の姿のバリエーションを家紋としています。


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