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【短編】命短し

誰でもない誰かの話

僕のひい爺ちゃんは、96歳。
僕は爺ちゃんって呼んでいる。
1日をテレビの前で過ごす。口を開けて天を仰いで目を瞑っているときは、死んだんじゃねーかって思うんだけど、テレビを消すと目を覚まして
「見てる」
って言う。とんでもねえ。
「見てねえだろ」
「見てる!」
「はあ?じゃあ、今何やってたよ?」
「石井亮次がしゃべってた!」
「どれどれ!」
テレビをつけると、ホラン千秋が喋っている。
「千秋じゃねーか!!」
「今、変わったんだろ?千秋に。」
「んなわけねーだろ!てめえが寝てる間にだ!」
爺ちゃんも僕も、ホラン千秋は、千秋と呼ぶ。
「千秋は、…化粧変わったなあ。前に戻せ」
「…爺ちゃん、僕もそう思う。」
「なあ。」
「うん。」
ホラン千秋には申し訳ない。

爺ちゃんは目の前にあるペットボトルから麦茶をコップに移して飲んで僕を見た。
「ひろ、もうすぐ、飯か?」
「これから作るよ。」
今日はお母さんが仕事に行ってるから僕が夕飯係だ。因みにうちは、ちょっと複雑で、祖父、祖母は別な家に住んでいる。お父さんは、僕が小学生の時にミャンマーで事故に遭って死んだ。
爺ちゃんはカレンダーに目をやった。
「もうすぐ、…命日だ。」
「…誰の?」
「あ?」
「命日。婆ちゃん、春だし…。お父さん冬だし、夏…死んだ人…え?いた?」
「ああ?」
「誰の、め、い、に、ち?」
「あああ?」
しらばっくれるつもりだ。都合が悪いと耳が遠くなる。
「夕飯、何食いたい?」
「そうめんかな。」
このクソジジイ。
「ひろ。」
部屋から離れようとすると呼び止められた。
「ん?」
「最近は恋してるか?」
「はあ!?」
「ひろ、振られてから、ひと月か?」
「うるせえ!」
なんで爺ちゃんが僕の失恋を知っているのか、家族のみんなを疑う。お母さんしかいないけど。え?お母さん言ったわけ?つーか、お母さんに言ったっけ。
「初恋は往々にして実らん。」
「告られたから付き合っただけだし!」
「ほほほ。」
「ああ!?なめてんのか?」
「口の悪い子で残念だな」
爺ちゃんが、僕を見て、またカレンダーを見た。
「爺ちゃんの初恋は16で、年上のシノさんで…前の千秋に…似てた。」
「別に聞きたくねーって。」
「…命の短い人だった。」
「え。」
「美人薄命…結核だった。」
「え。風立ちぬみたいだね。」
「…爺ちゃん、庵野には驚いた。」
「僕も。」
庵野秀明には申し訳ない。

「もうすぐ、その人の命日で。」
「ああ。そう。ふうん。」
「ひろ、興味を持て。」
「毎年、墓参りに行ってるとか?」
いや、爺ちゃんは急にどっか出かけたりとかしない。
「いや、…行ったことはない。」
「え。」
「シノさんが、亡くなったと聞いたのは、ビルマから帰ってきてからだ。」
「でも、墓参りぐらい…。」
「辺り一面、何がどこにあるのかわからなくなっていてな。」
「…毎年、そんなこと考えてるの?」
「毎日、千秋の顔を見るとな。」
テレビに目をやるとホラン千秋がニュースを読んでいた。
「なあ、婆ちゃんは?婆ちゃんのことは?」
「あ?」
「お盆で婆ちゃん帰ってきてるじゃんね?」
「ああ?」
婆ちゃんが可哀想じゃねーかよ。
「んで、シノさんが?」
「命日が明後日なんだ。」
「ふうん。ま、僕には関係ないけど。」
もう、夕飯の準備をしようと思う。
「ひろ。」
「ん?」
「お前の恋は本気だったのか?」
「……。…すっ…。」
そう言われると、告られたから付き合ってみただけだったし。本気かって言われると。
「…わかんない。」
「爺ちゃんは、シノさんに本気だった。」
「はあ?別に聞きたくないし!」
「命短し、恋せよ乙女…。」
てめえは充分生きてるじゃねえか。
「恋は全力でいけ」
「きも」
「待て。」
「なんだよ?」
「それでもてめえは男か。」
爺ちゃんの手元を見ると少し震えてて。よく見ると暑中見舞いのハガキがあった。
「それ、自分に言ってんの?僕だって、振られるまでがんばったよ!わかんないよ!恋なんか!」
こんな話、今までしたことなかった。爺ちゃんが今更、初恋とか、意味がわかんない。
「そうめんでいいんだろ!」

腹が立って仕方がなかった。

そうめんを茹でて、きゅうりを塩もみした。爺ちゃんの分だけお盆に盛り付けて、爺ちゃんの部屋に持っていく。
「勝手に食って!僕、1人で食べるから!ちょっと出かけてくる。」
爺ちゃんは目を丸くしてたけど、爺ちゃんの言い分を聞く気にはなれなかった。

しばらく歩くとわかる。
僕がイラついてるのは、爺ちゃんに対してじゃない。爺ちゃんは、ちゃんとしたことを言っているんだ。恋は、全力…じゃなきゃ相手に失礼。僕は間違ったことをした。

「ひろ?」
コンビニの前、声をかけられた。
「あかね。……学校ぶり」
僕を振った元カノ。
「うん。何…してるの?」
「あ、え。ジャンプ買いにきた。」
「今日、発売日?」
「あ、うん。そう。あかねは?」
「彼氏と…待ち合わせ。」
そうだ、別れた理由…あかねにもっと好きな人ができたんだった。
「へえ。」
「…うん。」
僕はそれなりに傷ついて、それなりに落ち込んだ。落ち込む資格も傷つく資格もあったのかな。
「彼女、今いる?」
「いない。めんどくさい。もういらない。」
「え?」
あかねは、傷ついた顔をした。その顔を見て、今言ったことは酷いことだと知る。
「もう、いらないって。え?」
「勝手に好きになられて、好きな人できたわかれようって言われたら、どう思うと思ってんの?」
「はあ?きも!そういうとこなんだけど」
「…じゃあ、バイバイ」
コンビニに入って、あかねがいなくなるのを待った。漫画を立ち読みしながら、相手を見てやれって思って見ていた。カッコよくて、背の高い男が来て、僕には勝ち目がないと思った。

完璧に振られた。あかねは、ああいう人が好き。それだけだ。僕なんて僕なんて
「…都合が良かっただけだ。」
帰り道、悔しくて、泣いた。全力ってなんだよ。

爺ちゃんの部屋は真っ暗だった。この部屋の襖一枚向こうで、爺ちゃんが寝てる。夕飯の食べ終わった食器の乗ったお盆を持った。
「ひろ。お帰り。」
お母さんに声をかけられて、はっとする。
「お母さんお帰り。…爺ちゃん、なんか言ってた?」
「言ってたかな…忘れた。」
「そう。」
「あんたご飯は?」
「あ、食べてない。」
「一緒に食べようか。」
「うん。」
お母さんとご飯食べるのは久しぶりだった。
自分の分とお母さんの分でそうめんをわけて、爺ちゃんが1人で夕飯を食べたことが急に申し訳なく思えてきた。
「ひろ、なんかあった?」
素麺を食べながらお母さんが言うから、余計に罪悪感が込み上げてくる。
「…爺ちゃんに、謝んなきゃ。」
「ん?」
「爺ちゃんに1人でご飯食べさせた。僕、勝手に怒って。」
「なんだかわかんないけど、明日、謝れば?」
「うん。」
僕も素麺を啜る。爺ちゃんには、食べやすかったかな。どうなんだろう。


お母さんは今日も仕事だ。お盆休みはないらしい。家族3人分の洗濯をして、爺ちゃんの部屋を覗く。
「爺ちゃん、昨日はごめん。」
「…なんのことだ?」
テレビは、高校野球で、仙台育英が戦っていた。
仙台出身の爺ちゃんはなんとなく仙台育英を応援している。
「昨日、僕、爺ちゃんに勝手に怒って…。」
「なーんだ。そんなの。」
「ごめん。」
「いつもひろは怒ってるから、平気だ。」
「…なにそれ。」
昨日の話の続きを聞こうか迷った。
「まあ、…昨日は爺ちゃんが悪かったな。傷口に塩を塗っちまった。痛かっただろ。」
「…うん。」
「初恋は往々にして実らん。」
「…うん。」
「爺ちゃんの初恋は実ってない。」
「え」
「シノさんには、声をかけられなかった」
また、手が震え出す。昨日と変わらず暑中見舞いのハガキがあった。
「親友のお姉さんで、よく畑仕事をしていて、親孝行で働き者で、爺ちゃんには憧れだった。親友は気づいててな、夕飯に誘ってくれたりしたが、それでも声はかけられなかった。」
「それだけ…好きだったの?」
「当たり前だ。でもな、声をかけたとて、シノさんと夫婦になる自信はなかった。」
声かけてすぐ、夫婦って、話が飛躍してるけど。
「ひろみたいに、爺ちゃんはチャラチャラしてなかったんだ。」
「は?別に僕はチャラチャラなんて。」
「シノさんは、爺ちゃんが18の時に結核にかかって寝たきりになっちまった。爺ちゃんも爺ちゃんで学業が忙しくて親友とも会えないくらいだった。そのうちに、学徒出陣で陸軍に入っちまって、シノさんが、病院に入ったことなんかも親友の手紙で知ったんだ。もっと早く声をかけていれば、もしかしたら、シノさんのそばにいてやれたのかもしれないなんて思ってな。」
「勇気、なかったんだね。仕方ないよ。」
「そんな時に、縁談があって婆ちゃんと結婚した。爺ちゃんの父ちゃんが、爺ちゃんが戦争に行く前にって、決めたことでな。」
「…複雑。え?婆ちゃんのことは…」
「は?」
「婆ちゃんのことは…」
仏壇のひい婆ちゃんの写真を見て一層複雑な気分になった。
「昔はそういうもんだったんだ。婆ちゃんのことは、まあ、気の利く娘で、まあ、なんていうか、まあ…。」
「なんだよ。」
「そういうもんだった。」
誤魔化すなよ。恋とは違うってこと…なんだろ。
でも、それで祖父が生まれたのは…そういう…。……あんま考えんのやめよ。
「親友は、その頃、もう子どもがいた。だけど、お国の命令で爺ちゃんと一緒にビルマに行ったんだ」


1945年(昭和20年)爺ちゃんは19歳。ビルマにいた。親友は、その時爆撃に巻き込まれて戦死したそうだ。その骨の一部をずっと持っていた。太平洋戦争は8月15日に終わりを迎えたけど、ビルマでは9月下旬まで武装解除にならなかった。収容所で数ヶ月過ごしてから帰ってきた爺ちゃんは、親友の家族に、大切に持っていた骨を渡し、シノさんが亡くなったことも知ったそうだ。

「親友もシノさんも、命は短かった。」
「ふうん。」
僕はカレンダーに目をやった。
「シノさんは、戦争が終わってから亡くなったんだね。明日だもんね、命日。」
「そうだな。」
「一言も喋ったことない爺ちゃんのこと待ってたのかもしれない…。」
「…それはないんじゃないか。爺ちゃん、一緒に夕飯食っただけで……」
「ん?」
「一度だけ、うちの縁側で一緒にスイカを食ったな。甘い方をシノさんに譲った。」
「はあ?なんだよ、誘ったんじゃん。何が声かけられなかっただよ!甘い方譲るとか、優しいねー。やるやん。」
「爺ちゃんを揶揄うな。」
「だってさ、誘われたくないなら断るじゃんそんなの。シノさんも爺ちゃん好きだったんじゃないの?いーのちみじーかしーこいせよおとめーっつって。」
「ひろに歌われると、イライラするな。」
「は?」
「は?」
僕は爺ちゃんのコップにペットボトルの麦茶を注いだ。爺ちゃんは素直に麦茶を一口飲む。手元の暑中見舞いのハガキがどうしても気になった。
「ね、昨日から置いてあるそのハガキなんなの?」
「これか。親友の娘さんが毎年くれるんだよ。暑中見舞いな。返事を書いて出そうと思ってな。」
「……毎年。」
「親友の顔も、シノさんの顔も、この人は知らん。それでも、こうして、ハガキをくれるのは縁なんだろうな。」
「良かったね、爺ちゃんは生きてて。」
「そうだな。」

テレビに目をやると試合が終わっていた。仙台育英の監督がインタビューに応えていた。
「爺ちゃん、育英勝ったみたい。やっぱ強いな。」
「あー…ベスト8か。」
「そうみたい。」

暑中見舞いのハガキは、手書きの絵葉書でひまわりが眩しそうに天を見ていた。

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