創作活動は自分の生活の上に成り立っているから、自分事を疎かにしてはいけないと思った
ここ数年、創作活動の向き合い方に悩んできた。
最近、この悩みの答えに辿り着けたような気がする。
不思議なもので、“書いているうちに”ではなく、日常生活をおくるなか、創作活動をしていない時間に、何かが見えてきた。
創作活動との向き合い方、自分がどんな活動をしていきたいか、についてだ。
創作と離れているときにジワジワ感じ、考え方が変わっていった気がする。不思議だ。
今回の投稿タイトルが、私が見いだした答え。
創作活動は自分の生活の上に成り立っている。
だから、自分の生活を疎かにしてはいけない。
上記格言は3つの要点がある。
以前はがむしゃらに夢中になって創作活動をしていた。
睡眠も短かったし、その中で仕事も、家事もしていた。仕事や家事などをこなした残りの時間を全部創作活動に割いていた。
他の趣味(音楽鑑賞、映画鑑賞、読書なとなど)はいっさいやらず、余暇時間は創作活動だった。
それくらい楽しかった。そんな時期もあった。
きっかけは忘れたが、環境変化やモチベーションの失墜、体力低下に伴い、少しずつ変わってきた。余暇100%を創作に費やすのが難しくなってきた。
創作活動が義務みたいに感じられて楽しくない時もあった。
特に評価されたい、ブクマやいいねを増やしたいと躍起になっていた時期。成績が奮わないと、どんどんやる気は削がれた。
しまいには何のための創作かわからなくなっていった。
それまで人生を捧げる勢いの創作活動だっただけに、目標を達成できないと無意味に感じた。
そして、創作活動で犠牲にしてきたものを思うと虚しくなった。
体力をつけるために運動したかったけど、創作活動時間を確保するためにやらなかった。
ネイルをしたくて色んなネイルカラーを揃えたのに、創作活動時間を確保するためにやらなかった。
気になる映画があったけど、(以下略)
美術館にいきたいけど、(以下略)
振り返れば、いろんなことを犠牲にしてきたけれど、創作では何も得ていない。(と思うくらい成果は地味なくらい底辺)
それでもがき始めてから5年くらいの歳月を費やしている。
私の人生は何なんだろうと思った。
それならもっと創作活動を言い訳に蓋をしていたことや向き合って来なかったことに向き合うべきではなかろうか。
そう思うようになってきた。
血眼になって取り組むのはもうやめよう。
自分が楽しめない創作活動は意味がない。
そこから、
創作活動は自分の生活の上に成り立っている。
だから、自分の生活を疎かにしてはいけない。
との格言に至った。
要点を繰り返すが、
上記の通り、創作活動は自分の人生の一部であり、私の人生を構成するもの、仕事、子供、家族、創作以外の自分の趣味・楽しいと思うことと同列である。
時間配分を調整しながら、その時に最適なバランスで付き合っていくのが良い。
ライフイベントによっては創作活動を縮小、断念する時期もあるだろう。
日常でも疲れている日もあれば、元気な時もある。自分の体、環境の変化により、時間が作れないときもある。
今まで通りに創作活動ができないことを嘆いてはいけないし、それで諦めてはいけない。
変化を許容し、順応し、自分と向き合っていく。
そして、結果ではなく、作る過程を楽しむこと!
土台となる生活、 人生も楽しむこと!
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