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論説 神の存在証明(10) 神が人間を選んでいるのではない。人間が神を選んでいる!?【短編集:創作1000ピース,66】

【はじめに】

この「【論説】神の存在証明」は「神様はいるのか?」という問いに対して著者の考察をまとめたエッセイです。

「神とはなにか?」「存在するのはどのような状態なのか?」という、言葉の定義を出発点とし、宗教や神話を例にして、「神の存在」について論じたものです。

論理的、科学的な側面から神の存在と神とはなにかを論じており、宗教、オカルト、スピリチュアルな要素は含まれておりません。
純粋に哲学的な思考で論理を展開しています。

論説で語られる宗教に関する知識はすべて著者が書籍等から得たもので、そこから著者が感じた印象も含んでいます。

信仰を批判したり、信仰心を傷つける意図はございませんが、何かしらの宗教を信仰している方、神の存在について強い信念をお持ちの方は不快に感じる可能性がありますので、閲覧をお控えください。



【前回の議論】



余談その4:神が人間を選んでいるのではない。人間が神を選んでいる?


選民思想=「神に選ばれた人間」!?

一神教、特にユダヤ教では選民思想が強く、神が人間を選んだかのような感覚を覚える。

キリスト教、イスラム教も、神という存在が人間の上にいる構図に見えるので、どうも神が人間を選んでいるように思えてしまう。
(選んでいるという言葉は適切ではないが、私のイメージを言葉に当てはめた)

一神教の世界観では神はひとりしかいないので、そのひとりの神様に見放されないように「頑張る」という人生観になるだろう。
死後に天国か地獄かに振り分ける審判は神様が担う。それは神が人間を選んでいるイメージにぴったり合う。


多神教は推しの神様を選ぶ感覚

一方で、多神教の世界では、神様はたくさんいるので、推し活のように、自分が推す神様を信じるし、複数の神様を信じる人もいるだろう。

私は仏教の世界では千手観音菩薩が好きだ。仏像の造形美と数多の人に救いを差し伸べようとする背景(設定)に惚れ込んだと言ってもいい。
私の千手観音菩薩好きは推し活動に近いものがある。

受験勉強だったらこの神様、学芸だったらこの神様、子授けならこの神様。
日本ではお願い事に合わせてお参りする神様を変えている。

人間が神様を選んでいる感覚だ。


神を信仰する人生を選んだのは信者自身=結局神様を選んでいるのは人間

最後に再び一神教について。

信仰の道にあれば、人間の上にいる神様を意識した信仰生活を送る。
最後の審判で天国行きに選ばれる人間になるために頑張る人生を送ることになった信者……。

俯瞰してみると、神に選ばれる人生を選んだのは信者ではないか。生まれながらにして信仰の道にあることが多いので、自ら選択した感覚はないだろうが、私から見ると、その信仰の道を信者自身で選択したように見える。


以上のことから、人間が神を選んで信仰しているに等しいと思う。


〈余談その4:了〉

余談その5へつづく……。

 



*** 創作1000ピース ***

 たくさん書いて書く練習をするためにまずは1000の物語を書く目標を立てました。形式は問わず、質も問わず、とにかく書いて書いて、自信と力をつけるための取り組みです。

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