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論説 神の存在証明(9) 信じる人が救われる!?【短編集:創作1000ピース,65】

【はじめに】

この「【論説】神の存在証明」は「神様はいるのか?」という問いに対して著者の考察をまとめたエッセイです。

「神とはなにか?」「存在するのはどのような状態なのか?」という、言葉の定義を出発点とし、宗教や神話を例にして、「神の存在」について論じたものです。

論理的、科学的な側面から神の存在と神とはなにかを論じており、宗教、オカルト、スピリチュアルな要素は含まれておりません。
純粋に哲学的な思考で論理を展開しています。

論説で語られる宗教に関する知識はすべて著者が書籍等から得たもので、そこから著者が感じた印象も含んでいます。

信仰を批判したり、信仰心を傷つける意図はございませんが、何かしらの宗教を信仰している方、神の存在について強い信念をお持ちの方は不快に感じる可能性がありますので、閲覧をお控えください。



【前回の議論】



余談その3:信じる人が救われる!?


娘のみーちゃんが「神様はお願いを聞いてくれるの?」とよく質問してきて、疑問に思った。

それはどんな神様か、次第だな、と。


願いを叶えてくれるかは神様次第!?

どんな神様か?

それは神様のキャラクターと言ってもいい。
どんな姿をしているか?
人間に優しいのか?

神様の性質(キャラクター)は、願い事をした当人がどんな神様を信じているかに依存すると思う。


信仰があっての救い

例えば、私たちがユダヤの民で、ユダヤの世界で暮らして、ユダヤの神を信じているとしよう。

ユダヤの神様は、ユダヤの民をお救いくださるし、ユダヤの民である我々はユダヤの神と契約をしている。
ちゃんと神と約束(ユダヤ教の戒律)を守っていないユダヤの民を、ユダヤの民はお救いくださるだろうか?
当然、救ってはくださらないだろう。

なのでこの(ユダヤ教徒の)場合、「神様は願いを聞いてくれるの?」の答えは、こうなる。

「安息日には労働をしないでお休みして、食べてはいけない食べ物を食べない。他には神様との約束を守れば、神様はきっとあなたの願いを叶えてくれる」
(ユダヤ教の中でも正統派と言われ、厳格に教義を守っている場合)

他の一神教の場合も同じく、信仰あっての救いである。信仰には戒律や掟がある。厳守しない人間には救いはないと思う。


かつて宗教は倫理や道徳そのものだった

法律が整備される前の人間社会で、宗教は倫理や道徳、特には法律を担う役割があったから、宗教は救いと同時に人間社会の倫理を担っていた。

一神教の神様は日本の神社にいる神様とは毛色が違うし、日本人の感覚ともかなりずれているように思う。

信者の心の中には常に信仰している神様がいるし、常に神様に見守られているような気持ちで人生を過ごしているだろう。


信じるものじゃないと救わない一神教の宗教観

一神教の宗教観は、たまたま出かけた先で、神社を見つけ、「ちょっとお参りしようか」とお賽銭を投げ、祀られている神様を掲示で知るようなラフなスタイルとは大違いだ。
日本にも「バチが当たる」と言うように、悪いことをしたら天罰がくだるという感覚はあるが、一神教の信者の生活習慣のように厳しいものはない。

「信じるものは救われる」キリスト教も、「神の前では皆平等である」イスラム教も、自分が信じる神を信じ、自分の人生や生活の中で神に祈りを捧げ、神もしくは預言者(神の信託を信者に伝える神の代理人)の言うことをしっかり守ること。
信仰あっての救いなわけで、信じていない人間に神は手を差し伸べないだろう。

一神教の神様は随分と人間にとって厳しいなと思うわけである。


あなたはどんな神様を思い浮かべる?

「神様、願いを叶えて」

そう願った時、思い浮かべる神様はどんな神様だろうか?

自分の心と対峙すると、神様の姿が見えてこないだろうか?
甘やかして欲しいとか、励まして欲しいとか。

それは自分の願いを都合よく叶えてくれる願望を詰め込んだ神様の姿ではないだろうか?


〈余談その3:了〉

余談その4へつづく……。

 



*** 創作1000ピース ***

 たくさん書いて書く練習をするためにまずは1000の物語を書く目標を立てました。形式は問わず、質も問わず、とにかく書いて書いて、自信と力をつけるための取り組みです。

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