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インドのナガランドで大東亜戦争当時のことをきいて胸が熱くなったときのお話です。

歴史に興味なかった私の意識をかえてくれた2週間の旅でした

知人からのお誘いでインドへ旅にいったときのことです

そこは昭和19年大東亜戦争中 インパール作戦という激戦が繰り広げられた過酷なインドの北東部だったのです 私に歴史を勉強するきっかけをくれた2週間でした


💮インド北東部ナガランド州……イギリスの植民地になってから ナガランドもインドに併合 現在キリスト教徒90%を占めています ナガランドでは長きにわたって独立運動が続いました ナガランドの人たちは インド人というより日本人の顔立ちによく似ていて穏やかで優しい人が多かったです 昔は首狩り族だったという歴史があったそうですが 現在はキリスト教に改宗し 多くの人が信仰深い方ばかりでした インドなのに インドとは違う独特の食文化や伝統がある州です

日本兵をたたえる歌をつくって歌い続けてくれているインド人 是非この歌を聞きながらnoteを読んでください 気持ちが通じる きがします🌱

 

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そのときのエピソード


ナガランド滞在者中 お世話になった牧師さんのお母様たちが 山奥で自給自足しているというので 一緒にその山奥の村へ連れていってもらったときのことです


その自給自足のある村のキリスト教の教会に着いたとき

牧師さんが 現地の方たちに私達 日本人が旅にきていて 自分の家に泊まらせている経緯をみんなに話していました

現地では ナガランド語→英語にしたりしてみんな必死に話をしていました

牧師さんと現地の方や私の知人達との話が終わったかとおもった瞬間。。



突然。。。


なんとそこの現地のお年寄りたちが(90才は越えていそうなお婆さん達)

私達日本人3人をみんなで囲んで

泣き出したのです


ナガランドの 山奥の村のおばあさん達が 皆で泣きながら 見ず知らずの日本人である私達を囲って抱きしめて泣くのです

私は 英語が全くわからず 意味がわからずおろおろしていましたが あとから通訳してもらい その時の情況がようやくわかりました

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そのときの会話


●現地のおばあさん

『あの昭和40年代の戦争のときね この村には私達女性と子供とお年寄りがいたのよ』 


『戦争まっただ中のある日ね 外をみたら 一人のふらふらした兵隊さんが どこからともなく森の方からこっちの民家へ近づいてきたの』

『 「襲われる❗こわいっ❗」とみんなで話していたときに 当時の村長がこう言ったのよ 』


村長「あの兵隊は腹が減っているようだ 誰か食べ物を渡してきなさい」

『でも 私達は 「襲われたり殺されたりしたら怖いし この家を取られたら困る」 と村長に言ったの 』


『そのとき村長がね 「戦争というものは国と国とが戦うものであり 個人にはなんの責任はない あの兵隊も 我々ナガランド人と同じ人間である 早く食べ物を渡してきなさい 」と言ったの  』

『そこで私達は 恐る恐るその兵隊さんの前に行って 食べ物を置いてすぐ家に入り その兵隊さんの姿を皆でじっと見ていたの 』

『そうしたら
その兵隊さんはゆっくり手を合わせていました』

『そして涙を沢山流しながら 私達ナガランド人の差し出した食べ物を 食べていたの』

『そしてまた手を合わせて お辞儀をして もと来た森へとふらふらと姿を消したの』



村ではその出来事があったあと

『あの兵隊さんは どこの国の人だ?どこの民族だ?』と大騒ぎになったそうです

現地のお年寄りがいうには

『あの 苦しい戦争中であるにもかかわらず 自分の命が危ないそんな中でも 礼儀がよく 心ある行動がとれる素晴らしい民族はそうはいない のちにその兵隊さんが日本人だとわかり 死ぬ前にもう一度また日本人に会いたいとみんな願っていたのよ』
『今回の出会いは冥土の土産になる あのときの日本兵とその子孫であるあなたたち(私達のこと)に出会えて私達は幸せです 死ぬ前にまた日本人に会えてとても嬉しい』
『ようこそ ナガランドへ 日本人最高です ありがとう❗ありがとう❗』

当時の日本兵と縁もゆかりもない見知らぬ私達を同じ日本人という事だけで

自給自足の村のナガランド人が

ワァンワァンないて抱きしめてくれたのです

日本人とインドのナガランド人との架け橋となった日本の兵隊さん

その日本の兵隊さんと縁もゆかりもない私たちですが 同じ日本人として

このような繋がりと体験をもたらして下さったその兵隊さんに心から感謝でした

当時のナガランドの戦争体験者たちからの 生の言葉が昨日のように思い出されます

インドの独立は 日本軍が戦ったからこそ 手にいれることができたそうです 


長きに渡る白人植民地主義を 終わらせてくれた日本の英霊たちへの感謝の氣持ちを 日本人として永遠に伝え継がれていって欲しいと思いました

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当時の大東亜戦争

大東亜戦争当時 インド独立の為 日本の自衛のためにナガランドに沢山の日本軍がきてインドを植民地にしていたイギリス軍と激戦が繰り広げられていたそうです (インパール作戦)インド人も日本軍と一緒に戦ってました イギリス側についたインド人もいたそうですが イギリス人はインド人と一緒にご飯も食べないし 同じ車にも一緒にのらない そのため仲良くは慣れなかったようです

しかし日本軍は インド人と食事をともにしともにインド独立めざして一緒に戦ったので 当時のインド人は今でも親日の人が多いようです 日本人のおかげでインドはイギリスから独立できたと感謝されています 戦争が終わって日本軍が日本に帰還したあとも 沢山の日本人が日本に帰らずインドのために戦い続け そして多くが戦死したそうです

✳インパール作戦…物資 食料 兵器不足のため多くの餓死者出す

多くは餓えと病気で苦しんだそうです。

インパール戦争とは言わず インパール作戦といっているのは あくまでも『 インド独立』を掲げての戦いの作戦だったからなのです 目的地につく前に多くの日本人が戦死しました そのほとんどが餓え 病気だったのです ちゃんと歴史は知っておかないといけないと心から思いました

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ラダクリシュナンの言葉

インド第二代大統領

「インドが独立できたのは 日本のお陰である インドのみではない ベトナムであれビルまであれインドネシアであれ西欧の旧植民地であった諸国は 日本人が払った大きな犠牲の上に独立できたのである 我々アジアの民は 1941年12月8日をアジア開放の記念日として記憶すべきである 日本に対する感謝の心を忘れてはならない」

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私は 当時無知で本当に申し訳なかったと思いました🌱これからも 少しずつ歴史のことものせていこうと思います 日本に生まれたことは 宝くじに当たる以上に 幸運なことだと海外にいく度に思います

最後までお読みくださりありがとうございました。